第1話
文字数 2,291文字
Actually...
タイチは駅近くのガード下のトンネルをくぐるとき、ひょんなことからカメムシになってしまった。
まあ、ごつふつうに考えて人間がカメムシになるわけもないのだけれど、もしかしたら様々な条件が偶発的に重なり合って、ある法則を満たすのかもしれない。
それは、つまりはメタモルフォーゼの法則というわけだ。などとタイチは暢気に変容のシステムを解析している場合ではなかった。だって、恋人のリサと待ち合わせしていたからだ。
ランチしてからアベノハルカスにあるという美術館を見て、お茶してから映画館へというのが今日のスケジュールだった。
スマホで美術館のスケジュールを確認してみた。いまはマルセル・デュシャン展をやってるらしい。洋式の便器で会場がびっしり埋まっているさまをタイチは想像した。
ちょうどいいとタイチは思った。前にチェックしてみたときには、イラスト展だったからまるっきり興味はなかったのだ。
かなりの美形に生まれついたタイチは、美に対してかなり敏感であり、花は言うに及ばず、芸術は畢竟、美を追求するものだからたまらなく好きだった。
美しいタイチには美しいものこそが相応しい。美が溢れ美に囲まれている毎日に感謝せずにはいられなかった。
そして、同時に醜いものを嫌悪し、憎悪すらしていたのは、美しく生まれついたタイチには致し方ないことなのかもしれない。
そんな美しいタイチと美の女神のようなリサが結ばれたのは運命というほかないだろう。リサは女性たちの憧れのまとだった。
華やかさというものがどこから生じてくるもなのかタイチには分からない、でも美は常に華やかさとともにあるような気がする。
リサは、まるで大輪の花のように溢れんばかりの美と愛を輝きを放って、人びとを魅了してやまなかった。
そう。実は、まだ解禁できないのだけれど、リサは知らない人はまずいない元国民的な人気アイドルだった。
だったというのは、つい先日在籍していたグループを卒業したからだ。
そんな彼女とタイチがどのように運命的な出会いを果たしたのか、結婚発表の記者会見では、集中砲火のようにそのことに対して質問攻めにあうだろう。
もちろん、タイチも馬鹿ではないのでしっかりとその答えは用意してある。美しい者同士が結ばれるには、やはり美しい奇跡のようなストーリーが必要なのだ。
タイチは、エキストラでドラマに出た時に、リサに出会い一瞬にして互いに恋に落ちました、そう記者会見で滝のようなカメラのフラッシュを浴びながら、目を潤ませて語る自分を想い浮かべて、涙ぐんだ。
しかし。
どうしたんだろう、何か様子が変だった。何か聞こえてくる。心がざわつきだした。人の声だ。それも大勢の声。そこかしこからざわざわと聞こえてくる。
みな、タイチを指差して何ごと呟いているのだ。
「カメムシ、カメムシ、カメムシ……」
さざなみのように生まれたその声は、やがて囁きから大音量のノイズのようにグルングルンとうねりながらタイチの頭上から降ってくる。
そうだった。実はタイチは文春砲対策に変装することを画策したのだ。たとえ卒業したとしてもリサが常にカメラに狙われているのはわかっていた。
そのパパラッチ野郎を出し抜いてやろうじゃないかと、敢えてアベノハルカスをデートの待ち合わせに選んだのだ。
互いにサプライズでどんな変装をしてくるのか伝えてはいない。たぶん、とタイチは思った。リサは男装してくるんじゃないかな。美を隠しきれない宝ジェンヌかよ。付けひげのリサを早く見てみたいと思った。
そして、タイチが選んだのがカメムシの変装だった。しかし、そんなふたりの見事な変装にもかかわらず、パパラッチされてしまった時の答えもタイチは用意してある。
「駅近くのガード下のトンネルをくぐるとき、ひょんなことからカメムシになってしまったんです。まあ、ごつふつうに考えて人間がカメムシになるわけもないのですが、もしかしたら様々な条件が偶発的に重なり合って、ある法則を満たすのかもしれません。それは、つまりメタモルフォーゼの法則というやつですね」
あれ? あんまりいいコメントじゃなかったかな? ていうか答えになってないか。
とそこまで、タイチは空想しながら自分のお間抜け加減にいつもながら感心した。こうやって気持ちを明るくしていないことには、この顔に生まれついた自分が厳しい世間様の視線の中で生きてくることはできなかった。
よく今まで自死しなかったなと自分でもタイチは思うのだった。実のところタイチは生まれつきカメムシみたいな顔なのだ。
カフカのグレゴール・ザムザのように、ある日突然、変身してしまったのではない。
この世に生まれ落ちた時から、既にこの顔なのだ。カメムシ、カメムシ、カメムシ。いったいどれだけ人から指さされ、ヒソヒソと囁かれたことだろう。
タイチがどこに行こうが、その囁き声は聞こえてくる。そして、どこまでも纏い付いてタイチから離れない。
カメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシカメムシ、カメムシ、カメムシカメムシ、カメムシ、カメムカメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシ...
それでもタイチは、あきらめない。この人生をあきらめたくはない。涙を浮かべながら心の中で、胸が張り裂けそうな声で絶叫する。
「リサ、結婚したいよー!」
タイチは駅近くのガード下のトンネルをくぐるとき、ひょんなことからカメムシになってしまった。
まあ、ごつふつうに考えて人間がカメムシになるわけもないのだけれど、もしかしたら様々な条件が偶発的に重なり合って、ある法則を満たすのかもしれない。
それは、つまりはメタモルフォーゼの法則というわけだ。などとタイチは暢気に変容のシステムを解析している場合ではなかった。だって、恋人のリサと待ち合わせしていたからだ。
ランチしてからアベノハルカスにあるという美術館を見て、お茶してから映画館へというのが今日のスケジュールだった。
スマホで美術館のスケジュールを確認してみた。いまはマルセル・デュシャン展をやってるらしい。洋式の便器で会場がびっしり埋まっているさまをタイチは想像した。
ちょうどいいとタイチは思った。前にチェックしてみたときには、イラスト展だったからまるっきり興味はなかったのだ。
かなりの美形に生まれついたタイチは、美に対してかなり敏感であり、花は言うに及ばず、芸術は畢竟、美を追求するものだからたまらなく好きだった。
美しいタイチには美しいものこそが相応しい。美が溢れ美に囲まれている毎日に感謝せずにはいられなかった。
そして、同時に醜いものを嫌悪し、憎悪すらしていたのは、美しく生まれついたタイチには致し方ないことなのかもしれない。
そんな美しいタイチと美の女神のようなリサが結ばれたのは運命というほかないだろう。リサは女性たちの憧れのまとだった。
華やかさというものがどこから生じてくるもなのかタイチには分からない、でも美は常に華やかさとともにあるような気がする。
リサは、まるで大輪の花のように溢れんばかりの美と愛を輝きを放って、人びとを魅了してやまなかった。
そう。実は、まだ解禁できないのだけれど、リサは知らない人はまずいない元国民的な人気アイドルだった。
だったというのは、つい先日在籍していたグループを卒業したからだ。
そんな彼女とタイチがどのように運命的な出会いを果たしたのか、結婚発表の記者会見では、集中砲火のようにそのことに対して質問攻めにあうだろう。
もちろん、タイチも馬鹿ではないのでしっかりとその答えは用意してある。美しい者同士が結ばれるには、やはり美しい奇跡のようなストーリーが必要なのだ。
タイチは、エキストラでドラマに出た時に、リサに出会い一瞬にして互いに恋に落ちました、そう記者会見で滝のようなカメラのフラッシュを浴びながら、目を潤ませて語る自分を想い浮かべて、涙ぐんだ。
しかし。
どうしたんだろう、何か様子が変だった。何か聞こえてくる。心がざわつきだした。人の声だ。それも大勢の声。そこかしこからざわざわと聞こえてくる。
みな、タイチを指差して何ごと呟いているのだ。
「カメムシ、カメムシ、カメムシ……」
さざなみのように生まれたその声は、やがて囁きから大音量のノイズのようにグルングルンとうねりながらタイチの頭上から降ってくる。
そうだった。実はタイチは文春砲対策に変装することを画策したのだ。たとえ卒業したとしてもリサが常にカメラに狙われているのはわかっていた。
そのパパラッチ野郎を出し抜いてやろうじゃないかと、敢えてアベノハルカスをデートの待ち合わせに選んだのだ。
互いにサプライズでどんな変装をしてくるのか伝えてはいない。たぶん、とタイチは思った。リサは男装してくるんじゃないかな。美を隠しきれない宝ジェンヌかよ。付けひげのリサを早く見てみたいと思った。
そして、タイチが選んだのがカメムシの変装だった。しかし、そんなふたりの見事な変装にもかかわらず、パパラッチされてしまった時の答えもタイチは用意してある。
「駅近くのガード下のトンネルをくぐるとき、ひょんなことからカメムシになってしまったんです。まあ、ごつふつうに考えて人間がカメムシになるわけもないのですが、もしかしたら様々な条件が偶発的に重なり合って、ある法則を満たすのかもしれません。それは、つまりメタモルフォーゼの法則というやつですね」
あれ? あんまりいいコメントじゃなかったかな? ていうか答えになってないか。
とそこまで、タイチは空想しながら自分のお間抜け加減にいつもながら感心した。こうやって気持ちを明るくしていないことには、この顔に生まれついた自分が厳しい世間様の視線の中で生きてくることはできなかった。
よく今まで自死しなかったなと自分でもタイチは思うのだった。実のところタイチは生まれつきカメムシみたいな顔なのだ。
カフカのグレゴール・ザムザのように、ある日突然、変身してしまったのではない。
この世に生まれ落ちた時から、既にこの顔なのだ。カメムシ、カメムシ、カメムシ。いったいどれだけ人から指さされ、ヒソヒソと囁かれたことだろう。
タイチがどこに行こうが、その囁き声は聞こえてくる。そして、どこまでも纏い付いてタイチから離れない。
カメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシカメムシ、カメムシ、カメムシカメムシ、カメムシ、カメムカメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシ、カメムシ...
それでもタイチは、あきらめない。この人生をあきらめたくはない。涙を浮かべながら心の中で、胸が張り裂けそうな声で絶叫する。
「リサ、結婚したいよー!」