第1話

文字数 1,999文字

 嘉納健治(かのうけんじ)は背中を襲う激痛に、心の中で悲鳴を上げた。
 健治は柔道を習得して受け身の技術がある。しかし健治を襲った投げ技に何の効果も無かった。
「まだやるかね?」
 健治を見下ろすのは小柄な中年の男――その名を嘉納治五郎(かのうじごろう)と言う。
 東京師範学校校長、国際五輪(オリムピック)委員会委員、大日本体育協会会長等数々の立場を持つが、最も有名なのは講道館柔道の創始者であると言う事だ。
 健治にとって叔父にあたる。
「まだこれからだ!」
「では立ちなさい。寝技(グラウンド)をするつもりは無いし、君も立たなくては拳闘(ボクシング)を出来ないでしょう?」
「うっせえ!」
 健治はふらついて立ち上がると戦闘姿勢(ファイティングポーズ)を整えた。
 重心が後ろよりで現代のボクシングとは違う。
 健治が叔父と戦う理由、それは健治が主宰する柔拳試合にある。
 この明治の時代、開国や維新から既に数十年が経過して海外から様々な文化が流入している。
 歌、踊り、学問、そして體育(スポーツ)
 武道という身体文化を育んだ日本だが、それでも外国の體育は入ってくる。富国強兵の一環の学校體育、五輪(オリムピック)で争われる陸上や水泳、学生間で盛んな野球、そして拳闘(ボクシング)だ。
 だが拳闘は競技としてではなく、見世物、それも柔道と対決する柔拳試合として広まっている。
 日本では拳闘の試合規則(ルール)が知られておらず通常の拳闘の試合――純拳は流行らないが、柔道との試合は大衆に受け入れられた。
 外国人の拳闘士(ボクサー)を日本人の柔道家が迎え撃つ。戦後に力道山がシャープ兄弟を倒して人気を博したプロレスと同じ構造である。
 そして健治は大物興行師である。裏の世界に身を置き、その拳銃(ピストル)の腕前からピスケンの異名を持つ彼は、柔拳試合で好評を博している。
 しかし、そんな時に治五郎が全国の柔道家に柔拳試合参加禁止の通達を出したのだ。
 その抗議・交渉で講道館を訪れたのだが、そこで治五郎から柔拳試合で決めようと持ち掛けられたのだ。
 健治は即承諾した。健治は外国人拳闘士から本格的に拳闘を学び、腕前は職業拳闘士(プロボクサー)並み、しかも講道館で修業している。つまり柔道家が知らない技術を習得、逆に柔道技は熟知しているのだ。しかも健治は若く治五郎は中年だ。負ける訳など無い。
 その考えは甘かった。
 突き(パンチ)は全て防がれ、逆に投げ技は全く防げなかった。
「コンビネーション、一発の重さや鋭さ、全然なってない。欧米で色んなボクサーと戦ったが、君はまだまだだ」
 治五郎は教育学の視察等で欧米を訪れた経験があり、本場の拳闘や西洋相撲(レスリング)等、海外の格闘技も学んだのだ。健治がいくら日本人拳闘士として強くても、本場の一流からは数段劣る。格が違い過ぎるのだ。
 裏世界で一目置かれた健治もその現実に絶望した。
「その極端な自護体は止めなさい。それは単なる逃げ腰だし、パンチやフットワークも悪くなる」
 投げられまいと腰を極端に落としても、治五郎には通じない。治五郎守りの自護体よりも、当身にも対応可能で攻撃に転じ易い自然体を重視している。当身を除外した乱捕ではなく実戦に備えるためだ。
「もう君の御遊戯(ボクシング)はおしまいだ。本家の家業を手伝うんだ」
 嘉納家は酒造業の名門で裕福な一族だ。昔治五郎の家に寄宿していたのも家業に備え東京で学問をするためだ。
「嫌だね……」
「ほう?」
「俺は自由に! 生きるんだ!」
 健治は立ち上がり猛烈な連打を放ち、治五郎は防戦一方となる。
「自由に生きる! 拳闘がそんな気持ちを支えてくれた!」
 親の言いつけで東京で学生をしている時、横浜で柔拳試合を偶然見物した。地味な塩試合だったが健治の心に未知の拳闘は大きく刻まれた。
 その後外国人拳闘士を見つけ、謝礼を渡して拳闘を教えてもらい、結局治五郎の家を飛び出して柔拳試合を開くまでに至った。
 拳闘で自由になれた気がし、そんな素晴らしい拳闘を日本中に広めたい一心だったのだ。
「シュッ!」
 小刻みに呼気を漏らし、健治は治五郎に連続で突き(パンチ)を繰り出す。先程までの逃げ腰ではなく、前傾姿勢で攻撃的な構えだ。治五郎は掴もうと手を伸ばすが、軽いフットワークで回避され空を切る。
 そして治五郎の鼻っ柱を鋭い痛みが襲い、たまらず倒れた。
 掴みかかった手を回避し、カウンターで健治がストレートを放ったのだ。
 吹き飛ぶ治五郎を確認した健治は笑いながら崩れ落ちた。これまでの負傷と緊張が解けた事によるものだ。
「まだ青いな。が、覚悟を決めた良いパンチだ。反抗期の遊びではない、立派な武道家だ」
 気絶した健治の元にすぐに立ち直った治五郎が歩み寄る。
「約束通り柔拳試合への参加を認めよう。君の拳闘もね。ふ、本家からは家業へ戻れと説得しろと言われていたが、逆に本家を説得しなくてはな」
 困ったものだと呟く治五郎の顔には笑みが浮かんでいた。

 この後、柔拳試合は好評を博し日本人へ拳闘を大いに広めた。裏の世界の人間故に嘉納健治の業績は表に出る事は無いものの、彼の築いた拳闘文化は現代で大輪の花を咲かせている。
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