恥をかくのも人生だ

文字数 6,440文字

 入学式を終えてしばらく――。

 休み明けの朝礼は、眠くて仕方がない。かといってサボる真似なんてできない。今ここにいないのは、確実に不良だ。

 僕、佐倉実朝も、しっかりと朝礼に参加している。ただ問題なのは、朝礼が終ったあとだ。

「佐倉~、金。持ってるんだろ?」

 体育館から教室に向かう渡り廊下で、僕はいつものように捕まった。朝礼の不良たちは中庭にいるのに、朝礼が終わると僕を追いかけて来る。その頭をつとめているのが、高田仁だ。

「お金はもう……持ってないんです」
「嘘つけよ。財布、出せ」

 言われるがままに、財布を出す。

「ちっ、1000円か。まぁ、今日はこれで勘弁してやるよ。ダサメガネが」

 財布の中身だけ奪うと、高田たちは去って行った。

 まったく……ひどいよ。僕が小さかったときは、こんなことなかった。

 僕の通う海北高校は、偏差値がそんなに高くない。この辺りでは一番悪い……とまで言われている。だから不良が集まっているのだ。

 僕は『家から近い』というそれだけの理由で、この海北高校を選んだ。もうどこだってよかったんだ。

 空になった財布を見て、僕は今日のお昼をどうするか悩んでいた。ここ数日、高田たちに金を取られているから、まともに食事してないんだよな……。

 大きくため息をつくと、僕はてくてくと自分の教室へ歩いていく。教室に戻ったところで、仲良く話す友達なんていない。

 ああ、なんて暗い人生なんだろう。入った高校では、いじめられっ子。神様がいるのなら、なんでこんな試練を僕に与えたのかたずねたい。

 ふぬけた顔で廊下を歩いているところを、校舎の3階から「ある人」が見ていたことにすら気づかないでいた――。

***

 昼食時間になったが、僕はご飯なしだ。教室で顔を伏せて寝たフリをするか、それともトイレでスマホをいじってるか。または外のベンチに行くか……。
中庭と屋上は却下だ。先ほどと一緒で、高田たちが幅を利かせている。僕なんかが行ける場所じゃない。

「気分転換にもなるから、外のベンチ……かな」

 僕はスマホと財布、本だけ持つと、外のベンチへと向かった。

 ベンチには先客も居らず、のんびりできそうな感じだった。座ると、メガネを拭いてから、ゆっくりと本を開く。新刊ではないが、お気に入りの推理小説だ。

 この小説は、僕と同じ年齢の男の子が主役。天才高校生・櫛引生が数々の謎を暴いていくストーリーは、読んでいるこちらもスリリングな気持ちになれる。

「『わからないかなぁ? 俺、気づいちゃったんだけど』」

 小説の一節、生の決め台詞をこっそりとつぶやいてみる。この小説はドラマ化が決まったって、聞いたっけ。スケジュール的には、まだドラマ化が決定しただけで、主役も配役はまだ決まってない。秋頃オーディションだとは聞いていたけど……自分には関係ない。

「『キミ、理解できてる?』……なんてね」
「へぇ、今のって『櫛引生(くしびきいきる)は事件に呆れる』のセリフだよね!?」
「わっ!」

僕のうしろから、少し軽そうな、ちょっと長い髪をヘアピンで留めた男がいた。

「君、一年の佐倉くんでしょ? 俺もその本読んでるよ。演技うまいんだ~」

 誰だ、これ。ネクラで地味な僕のことを知っている!? 何か目立つようなことしたっけ? いや、した覚えはまったくない。 なのになんで……?

 僕が困った顔で視線を泳がせていると、目の前の彼は自己紹介をした。

「俺は珠洲慶一朗(すず・けいいちろう)。一応3年生。よろしく! 佐倉くん」
「よ……よろしく……お願いします」

 僕はわからないまま、珠洲という先輩と握手をする。こいつは一体、何者なんだ? いじめられっ子で嫌われ者の僕に声をかけてくるなんて……。

「ねぇ、俺佐倉のことずーっと見てたんだけど、君って本当に嫌われ者みたいだね」

 やっぱりなんだよ、こいつ! 先輩と言えども人が気にしていることをずけずけとっ!

「……嫌われ者に声をかけるなんて、あなたもよっぽど暇ですね」

「あ、誤解しないでよ!? 俺は知ってるから。君が悪いやつじゃないって。嫌われてるのも、なんとなく……でしょ?」

 まぁ、確かに珠洲……先輩のいうことは間違ってない。

 入学して1か月。高田にはたかられるし、明るいクラスメイトにも嫌われている。嫌われている理由は、多分僕がフツーの話についていけてないからだと思う。話をしてもつまらないんだろうな、と察しがつく。

「嫌われ者ですが、だったら何か?」

 こういうつっけんどんな言い方で、さらに嫌われるのはわかっているけど、この珠洲という男が何を目的にして僕に近づいてきたのかわからないんだよな。

「……とりあえず、隣座っていい?」

 いい、と了解する前に珠洲先輩はベンチに座ると、僕にパンを差し出してきた。

「これ、どうぞ」
「え……いいんですか? っていうか、なんで僕がお昼ご飯抜きって知って……」

「さっきカツアゲされてたの見たんだよ。それだけじゃない。上履きを隠されたり、体操着をトイレに突っ込まれたり……君がいじめられているところは一通り見てきたよ」

「だったら、なんでっ……!」

 なんで先生に言ってくれなかったんだ。 先生がもし何もしなかったとしたら、なんでかばってくれなかったんだ。そう言った気持ちが胸にのしかかり、途端に涙が出そうになる。

 だけど、自分が珠洲先輩と同じ立場だったら……。

 やっぱり何もしなかったかもしれない。いや、先輩はこうして声をかけてくれる。僕だったら声をかけるどころか無視してただろう。僕なんかよりも先輩のほうが、きっと強い。

「パン、食べたら?」

 先輩に勧められ、パンの袋を破く。中はコッペパンで、いちごとマーガリンが入っているやつだ。やっぱり昼ご飯抜きはきつい。僕はすぐにコッペパンを平らげてしまった。

「……ごちそうさまでした」
「食べたね?」
「え?」
「きっまり! 俺の家に今日来てくれるよね? 俺に一食の恩があるもんね~?」
「えぇっ!?」
「放課後もここに来てくれる? 来なかったらクラスまで呼びに行くよ?」

 冗談じゃない! 部活もやってないのに3年の先輩が僕を呼びに来たら、絶対クラスで噂になる!!

「……わかりました。来ます……」

 ただほど高いものはないと誰が言った。確かにその通りだ。僕は珠洲先輩の作戦にまんまとハメられてしまったんだ。

***

 ――放課後。

 帰り支度をしたあと、僕は珠洲先輩に言われた通り、ベンチで待っていた。

「ごめんごめん、待ったぁ~?」
「……待ってませんけど」

 まるで彼氏とのデートに遅れてきた女子高生か。さて、これから何をする気だというのだ。お金がないことをこの人は知っているはずだ。だったら、何が目的だ? 用心深くにらみつけても、珠洲先輩は動じない。

「これからちょっと付き合って!」
「どこへ?」
「いいからいいから!!」

 連れてこられたのは都内のマンションの一室。ただ、明らかに異常だった。だってまるでここは……。

「スタジオ?」

「そっ。俺、今動画配信者やってんの。『スズちゃんねる』っていう。クラスで聞いたことない?」

「なんかクラスメイトが話していたような……見たことはありませんけど」
「じゃあ、今見て!」

 赤いソファに座らされるとスマホをかざす。何が楽しくて今日初めて話した先輩と、仲良く動画なんぞ見なくてはならんのだ。

『ちわちわ、今日もりんりん、スズちゃんねるのお時間でーす! 今日はアップルパイを作ろうと思いまーす』

 出てきたのはかわいい女の子。この動画が何だと言うんだ? チャンネル登録者数は……40万って、結構多いな。

「あ、これ俺ね」
「……は? はぁっ!?」

 黒髪のロングツインテールの美少女が、こののっぺりした男!? しかも登録者数40万!? 嘘だろ、40万人が騙されてるのかよ!

「無論、このことはトップシークレットなわけだけど……男っていうのも隠してるし」

「よくバレませんね」
「バレてるかもしれないけど、みんな気にしてないみたいだよ」

 うわ、肝が据わっている……。ここまで心臓に毛が生えてるような人間だったら、僕も……。

「ねぇ、佐倉。君の演技力があったら、人を騙すなんて余裕だと思わない? 俺が騙せてるんだから」

「どういう意味ですか」

「ちょっとしばらく、俺のおもちゃになってくれない?」

 珠洲先輩はそう言って僕ににじり寄る。『おもちゃ』というワードにびくりとしつつも、ここまで来てしまった手前逃げられない。玄関のドアは閉まっているみたいだし、もうどうにも逃げられないのか。

 僕が覚悟を決めていると、珠洲先輩は笑った。

「あはは、変なことするわけじゃないよ。しばらくお口チャックで目をつぶってて」

 それでも十分危ない気がするんですが。びくびくしている僕のあごを珠洲先輩が触る。このままどうなってしまうんだ……!?

 ――と思っていたのは最初だけ。珠洲先輩が僕にしたのは……。

「え? これが僕?」
「どう? 超美少女だと思わない? 俺レベル♪」

 鏡を見せられて、僕はびっくりした。目の前には茶色いロングヘア―で赤いアイシャドウをしている女の子がいる。誰だ。僕だ。

「先輩は僕を女装させたかったんですか?」

「まぁそれもあるけど――いじめっ子に復讐したいと思わない? 毎回お金を巻き上げられてるなら、女の子になって貢いでもらってみたら?」

「みっ……! 悪女じゃないですか。そんなこと、僕にできますかね」
「でも復讐したいでしょ?」
「はい」

「素直でよろしい。君の演技力、かなりいい線いってると思うんだよね。やってみない? メイクは俺がしてあげるから」

 悪魔のささやき。僕はそれにまんまと乗ってしまったんだ。

 ***

 翌日。

「よう、佐倉。また金欠でさぁ~」

 来たな、高田。今日の僕は身長180㎝でガタイのいい男なんかにびくびくしない。これは――僕の餌だ。

「お金、ないんです」
「はぁ? 全然聞こえねぇんですけど」

「その代わり、この子を紹介するんじゃダメですか? なんでも今、彼氏募集中の子らしくて」

 スマホで昨日撮った僕の女装姿を見せると、高田はじっとそれに目をやる。しばらくねっとりと見つめたあと、スマホを返してくれた。

「この子と会えるのか?」
「はい。ちょっとした知人で。なんでも強い人が好みとか」
「……ふん、悪くねぇけど。で、いつ、どこで会えるんだ?」

 「悪くねぇ」と言いつつ、かなり食い気味。ちょろすぎて笑う。男子校生なんてこんなもんだ。特にうちの高校は地元で恐れられているからな。女子なんて寄りつかない。

 男はこうも簡単に引っかかるものなのか。自分も気をつけようと自戒をしつつ、僕はデートの待ち合わせ場所と時間を告げる。

「今週の土曜日は偶然暇なんだよな。金もあることだし、デート、行ってやろうじゃん」

 金がないと言ったのはやはりカツアゲするためか。怒りを胸に秘めながらも、僕は怯えているフリをし続ける。いじめが怖いから、知人の女の子を紹介した卑怯者という自己設定。だけど、心の中はガッツポーズだ。

 そして待ちに待った土曜日。僕は珠洲先輩にメイクをしてもらい、服を借りた。これで準備万端。

 さてさて、高田はどんな格好で来るのやら。

「……待ったかな? ミノリちゃんだよね」

 おおっ、来たか。制服じゃないからわかりにくいが、にっくき高田は少しおしゃれをしているようだ。きれいめフーディーと。僕は裏声を使って、返事をする。ここでバレないか、緊張の一瞬。

「仁くんだよね、初めまして。ミノリでーす♡」
「…………」

 無言。バレたか? 不安に思っていたら……。

「いや、ごめん。かわいくて見とれてた」

 目玉は流行りの終わったタピオカか、こいつは。耳の中はカスだらけだろう。もう見た目さえよければ楽勝なんて、こいつチョロすぎだろう。

「さ、夢の国へいざ行かん!」
「ふふっ、仁くんおもしろ~い」

 そう言うと、自分の頬を照れ臭そうになでる。こいつ、僕が「かっこい~い」って言えば調子に乗りそうだなぁ……。いくらでも金を払ってくれそうだ。今までいじめられた分、巻き上げてやる。今日は悪魔を地獄に送る記念日だ。

 電車の中で、僕はうんざりしながら高田の話を聞いていた。学校の面白いやつらのことなんて、はっきり言って聞きたくない。これって何の拷問だ。こいつを闇に葬るという大義がなければ、脱落しそうだ。

 遊園地で待っている間も、くだらない話ばかり。そういうときは……。

「ミノリ、ポップコーン食べたいなぁ」
「あ、俺買ってくるよ。キャラメルで大丈夫?」
「うん!」

 パシらせるに限る。

 話が長くなりそうなときには……。

「ミノリ、お手洗い~」
「あ……行ってらっしゃい」

 とは言いつつも、親以外と来る遊園地なんて何年ぶりだろう。僕はそこそこ満喫していた。話はつまらないが、『ミノリ』としての僕にとって、高田は従順な下僕。なんでも言うことを聞いてくれる。

 が……ひとつだけどうしても許せないことがあった。

 夕方5時。そろそろ帰ろうかとお土産屋をのぞくと、高田は胸を張った。

「ミノリちゃんのお土産代、全部俺が出すよ」
「え? いいの?」
「いいっていいって。俺、バイトしてるから、金結構あるの」

 嘘をつけ。お前の金は僕から巻き上げてるんだろう。今日の遊園地だって、僕の金みたいなものだ。僕は一歩踏み込んだ質問をした。

「バイトって何をしてるの?」
「っと……話してもつまらないからさ。それより何買うの?」

 はぐらかした。お前がバイトをしてないことなんて、百々承知なんだよ!!

「お金のことは気にしないで! 好きなものを選んで。ね?」
「僕の金……」
「え?」

 とうとう堪忍袋の緒が切れた。今日一日、よくも、よくも……。毎週お前はこんな遊びをしているのか、僕の親の金で。

「っかげんにしやがれよ! この腐れ金玉猿野郎!!」

 僕はすっと高田のズボンに手をかけると、思い切り下に引きずり下ろす。

「わぁっ!?」

 同時にパンツまで下ろされフリチン状態の高田は焦るが、その隙に僕はすかさずスマホで動画を撮影すると、すぐにSNSに上げた。

「このアマっ……」
「悪いけど、SNSにはもうアップしたからね」

 周りの人たちが咄嗟に高田を指さす。高田はズボンを直すと、遊園地から逃げて行った。

***

 次の月曜日、高田は学校に来なかった。その次の日も、次も。
 遊園地で公然わいせつ画像が出回ったことで高田は特定され、学校側は陳謝。高田は引きこもりになったようだった。

「やりすぎたかな……」
「やりすぎなんてことないでしょ? いじめられてたんだから」

 いつものベンチで珠洲先輩はそういうけども、あの写真のせいで高田は人生終わったようなものだ。動画は拡散した。

「っていうか、やりすぎくらいがちょうどいいんだよ。悪者にはね」
「でも……」

「君だって、街中で女装してたんだし。コスプレみたいなもんでしょ? 心が女の子じゃなかったら」

「まぁ……」

「動画配信なんて、やりすぎくらいが一番いいんだよ?」
「それは動画の中だけで、リアルは違います」
「そう思うなら勝手にどうぞ」

 珠洲先輩はコッペパンを食べながら去っていく。僕の手には、今日はおにぎりがある。あの一件以来、カツアゲされていない。高田が来ていないからだ。それでも僕は気づいてしまったんだ。

 僕のやったことは、いじめと同じなのではないだろうか。恥ずかしい動画をSNSに上げて炎上させた。高田も悪いけど、僕も悪い。

「……よし」

 僕は覚悟を決めると、殺されるのを覚悟で高田の家に向かった。

 県内の一軒家。インターフォンは押さない。閑静な住宅街で、僕は恥をかく。ズボンを下して、大声をあげる。

「高田ぁ!! 恥をかくのも人生だ!!」

 締め切った部屋の高田に、僕の声が届くかはわからない。それでも僕は、自分の正しいと思ったことをしていきたい。

 近所の方々が見てくる。もう少しすると、警察が来るかもしれない。

 そのとき、二階の窓が開いた。高田だ――。
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