第1話

文字数 5,388文字

【エッセイ賞】

     便ちゃんには嫌われたい
                                のま

 毎朝、快便だとラッキーだと思うのは、わたしだけではないはずだ。五十年生きてきて、自分は便秘体質だとは思っていなかった。そりゃあ、二日くらいでないときはあったけれど、気にすることではないと思っていた。あら、やばいかもって思ったら、牛乳やコーヒーを飲み、ヨーグルトを食べていれば即解決だった。
 だから、一か月前のあの日、真夜中に、トイレのなかで「もういやだよお、こんなのサイテイすぎるー」って泣く羽目になるなんて思ってもみなかった。どんなにいきんでも便が出てこないのだ。この惨劇状態を一秒でも早く終わらせたかった。それなのに、わたしの身体はわたしのいうことをきいてくれない。泣いたって仕方がないし、五十歳超えたおばちゃんが情けないとは思うけど、あのときはこんな感情でいっぱいだった。便ちゃんよ、わたしのおなかのなかは居心地がよかったのかい?
 あの日、三月二十八日の日曜日は、十二年目突入の結婚記念日の前日だった。十二年目の結婚記念日は絹婚式と呼ばれ、絹のようにきめ細やかな2人の愛情という意味があるらしい。きめ細やかなという表現は、わたしたち夫婦とは程遠いような気がするが、子供はいなくても夫婦二人仲良くして、くだらないことにでも笑って、今の穏やかな生活が続けばいいと思っている。
今年の記念日のお祝いの宴は、自宅ですき焼きを食べた。去年もそうだった。コロナ禍になるまえは、毎年、焼肉屋さんに行っていたけれど、やはり外食はリスクを伴うので、自宅でゆっくりすることを選んだ。肉好き夫婦がニクの日に入籍したと気が付いたのは、結婚してから五年くらい過ぎたころだった。偶然にしては笑ってしまう。
 十二時ころから食べ始めて、十四時にはおなか一杯になって、それぞれが好きなことをしていた。夫はリビングでテレビを観ていたし、わたしは自分の部屋でパソコンをいじっていた。
 夫が、十七時半を過ぎたころには眠ってしまったので、わたしはリビングで、撮りためていたアニメをみていた。異変が起きたのは、十八時過ぎたころだった。「あっ、でそう」そう思って、トイレに駆け込んだ。便器に腰を下ろせばするっといきそうな感覚だった。
しかし、いきんでも便はでてきてくれない。便は肛門近くまできているように感じる。あと一歩だ。頑張れ、わたし。仕方ないから一回トイレをでて、うろうろしながら便意を待った。その間隔時間は忘れたけれど、三、四回くらいその繰り返しだったけれど、何の反応もなく、うさぎのうんちの形状さえも出てきてくれない。
「うそだべぇー。なぜでないっ?」
 思わず声が出てしまった。いつも独り言の声が大きいと夫に注意されている。わたしの声で夫が目覚めてしまった。
「なにさわいでんだずっ」
「うんちがでないんだよう」
「クソでねぇのか」
 最初は笑いながらこんなことを言っていたうさちゅうだったが、それからも何度もトイレを行き来するわたしの姿をみて心配になったのか、救急車をよぶかと聞いてきた。
「やんだ。恥ずかしい。便秘で救急車なんてよ。こんなことで来るはずないべ」
 そんなことを言ったが、ほんとは呼んでほしいと思った。コロナ禍でなかったら、たぶん呼んでいたにちがいない。
 とにかく、あともうひと踏ん張りなのだ。なぜ、この踏ん張りがきかない。お尻の穴が裂けてもいい。いや、それは避けたいという気持ちがどこかにあって、ストップがかかってしまい、なかなか踏ん張れないのだろうか。
 あきらめてリビングに戻る。でも、椅子代わりにしているバランスボールに座ることができない。座ると便がおなかを刺激しているみたいで痛くなる。仰向けにもなれない。やっと横向きになると、また便意がきて「よし、今度こそ」と思うが、便器に座ると出ない。こういうのをなんど繰り返しただろう。なんでこんなことになったのだ。昨日はフツーに快便だったではないか。こういうのも便秘というのか。もしかして、これは便秘ではなく、便がかたすぎるから出てこないのか。
 いったい、わたしは何を食べたのだろう。便秘になるようなものを食べたか。気になったので、トレーニングノートを広げた。二〇一九年十二月から、パーソナルトレーナーとマンツーマンで行うパーソナルトレーニングをやりはじめてから、トレーニングノートをつけている。そして一応、何を食べたかも記録している。パーソナルトレーニングを始めてからは、たんぱく質を意識した食事にしているし、食事管理にも多少気を付けるようになった。キャベツやブロッコリーなどの野菜も食べるようになり、ベジタブルファーストも守っている。お菓子だって毎日食べていたのが、かなり少なくなってきている。もしかしたら早食いか? 玄米はよく噛まないと便秘になるときいたことがあるから、よく噛んでいるつもりだったが、そうではなかったのだろうか。
 冷蔵庫を開いて牛乳を飲んでみたが、それでもだめだった。あたたかいコーヒーや炭酸水も飲んでみたりした。でも、やっぱり効果はなかった。水分不足から便がかたくなっているのだろうか。通常生活において常温の水をこまめに取っているほうだと思う。常温の水を補給している。この不気味な異物を早く取り出したい。出てくるのは尿ばかりだ。お昼に変えたばかりのトイレットペーパーは、このせいでワンロールがなくなりつつあった。いったい、何回トイレを行き来したのだろう。
 二十二時になってもこの状態は変わらなかった。立ち姿勢のままスマホで、便秘について検索してみると、気になるものがあった。いきんでも排便できないことを排便困難型便秘というらしい。わたしはこれなのかもしれないと、がっかりしてしまう。それからは、便秘にいいからと、仰向けになって身体を丸めて、深呼吸しながらの赤ちゃんポーズをとり、時計回りに腸もみもしてみた。親指と人差し指の付け根の骨が交わるところの内側にあたる合谷という、便秘に効くというツボも押してみた。それでもやっぱり無理で、トイレに入るたびに涙を流していた。なんでこんな目に合うのだ。
 結局、夜中の二時まで格闘していたが、寝室から布団を運び出し、一階のリビングで寝ることにした。そして、もしもの場合を考えて、生理用ナプキンを使用して、横向きになり眠ることにした。もうあきらめたほうがいいと思ったのだ。便が出ないのは、わたしに運がついているからだと思うことにした。大好きなフィギュアの宇野昌磨選手と一対一でリモート対談ができる権利が当たる、応募したエッセイが入選するとか、明るい希望を持つことにした。
それでもけっきょく、熟睡できないまま朝を迎えた。おなかは痛いが便がでることはなかった。
「出たか」
 朝五時に起きた夫が、おはようではなくこういう言葉で声をかけてきた。わたしは、もう声を出す気力もなく首を振った。定番朝食の納豆かけ玄米ごはん、キャベツ、ゆでたまご、鮭焼きを口にすることなく、お湯だけ飲んだ。
 幸い、自宅から歩いて十分の場所に個人病院の消化器内科があるので、なるべく早く診てもらいたいと思い、九時の診察時間前に行き、受付時間まで車のなかで待機していた。いつもなら歩いていける距離なのに、歩いていて途中でなにかあったら大変だと判断し、今回は車を使った。もちろん、座ると、便がおなかを突き刺しているようで、痛みを発していた。まさか、便秘になって病院に行く羽目になるとは思っていなかった。このコロナ禍のなか、病院に行くことはなるべく避けたかった。でも、そんなことは言っていられない状態になってしまった。待っている間も座るのがとてもきつかった。
 医師から内診でおなかを触られ、看護師さんがわたしのお尻の穴に手を突っ込むということと、それで出なかったら浣腸しますと説明を受けた。お尻の穴をみせるなんて! という乙女の恥じらいなんかもうない。とにかく、これでこの苦しみから解放されるのならなんだっていい。さっさと終わらせて、スッキリしたかった。だが、二回もお尻の穴に手を突っ込んでもらったのに、便はでなかった。わたしの便はどうなっているのだ。
浣腸をしてもらって、なるべく我慢するようにと言われた。目安は十分くらい。でも、どうしてもだめなときは仕方がないと言われた。かなり我慢したほうだと思うがやはり十分は無理だった。何分過ぎたのだろうか。三分は頑張ったと思うのだが、この痛みは気が遠くなりそうだったので、よくわからない。便器に座って出てきたのは液だけみたいで、もう少し我慢すべきだったのかと後悔する。手で突っ込んでもダメ、浣腸もだめだったらどうなるんだろう。腸内洗浄でもするんだろうか。このまま便がでなかったら、ずっとこのトイレにこもっていることになるのかな。そうなったら大騒動だな。もしかしたら、自衛隊とか来ちゃうのかな。大げさなことを考えていくうちにまた涙がでてきた。出るなら涙じゃなくて便のほうだろって、そんなことを思いながら、もう一度踏ん張ってみた。そしたら、やっと出たのだ。かなりの量が出たぞ。看護師さんから量とか太さとか、どんな感じだったのかと状態を教えてくれと言われていたので、観察も忘れなかった。
 医師からは特別な病名は告げられなかった。たいしたことないんだろうなと思いつつ聞いてみた。
「これはいったい、なんだったのでしょう」
「ストレスとかかな」
 ストレスか。うん。思い当たることはいっぱいある。コロナ禍のことはもちろんで、特に買い物に行くと、かなりイラっとしてストレスになっているのは間違いない。いまだにレジ待ちの間隔をとれない人がいるし、食品にベタベタ触ってそれを平気でもどす人がいるし、信じられないことを目にすることが多くなった。たった数分の買い物なのに、疲れは一日分みたいな気持ちになる。
 それから、一番ダメージを受けているのは、やはり人間関係だ。このコロナ禍でわたしはそとに出ていない。毎日通っていたスポーツクラブは、月に二回のパーソナルトレーニングだけ通う生活になってしまった。そこで久しぶり会う会員たちに、痩せたのは病気なのかって言われるし、頑張ったのは筋トレなのに、過激な食事制限をしていると、嘘八百の噂は流されるし、宇野昌磨選手に会えたときのために痩せたいという強い思いでやってきたのに、なんだかなあと思って、コロナ禍のせいだけではなく、こんなこともあって、わたしは人と会うのが怖くなってしまったのだ。つまり人間不信である。
 薬は二種類処方してもらった。食後に飲むマグネシウム錠と、一日便が出なかったら飲むピコスルファート下剤だ。この下剤はコップに水を入れ五滴たらす。初めて飲む薬だ。どうか、これを、飲む必要がないといいなって思ったのに、二日目で錠剤を服用しても便が出なくなっていた。その日の夜は、緊張してなかなか飲めなかった。すごい痛みがおそってきたらどうしよう、寝ている間にもよおしてふとんを汚したらかなり恥ずかしい。布団を買ってまだ三か月しか過ぎてないのにもったいないな。トイレに入るまで我慢できなくて階段におもらししたら、ショックで立ち直れないかもしれない。こんなよけいなことを考えていた。
 しかし、実際は全く何もなかった。朝、いつもと同じような便意があって、下痢ではない軟便がドサッとでてきた。わたしは勘違いしていた。浣腸と同じだと思っていたのだ。
 さて、今度は新たな心配が芽生えてきた。二週間くらい、一日おきに便が出ない状態が続き下剤を飲んでいた。この錠剤と下剤液がなくなってしまい、今までみたいに自然に便がでなくなったらどうなるのだろう。またトイレを行ったり来たりする、あのときのようなことになったらいやだ。
 コロナ禍の前なら、こんな心配したりしなかった。薬がなくなればすぐ病院に行って処方してもらった。でも、今は、病院に行くのも躊躇してしまうのだ。だったら、同じ成分の市販薬を買えばいいじゃないかという話になるが、それですめばなにも悩まない。わたしは、耳鼻科・眼科・婦人科などの薬を処方してもらっているから、飲み合わせの副作用が怖いのだ。
 そうして、あの苦しみからまもなく一か月になろうとしていたある日のお昼に便がでた。実は前日、便が出なかったにも関わらず、疲れていたせいか下剤を飲まず寝てしまい、しかも、朝は牛乳を飲んでしまったので、錠剤を服用しなかった。それなのに便が出たということに、喜びは半端なかった。ありがたいことに薬に頼らず、便がでることができたという事実は、一気に不安を吹き飛ばした。
 
 三月二十九日の結婚記念日は、便事件が発生してしまった。きっと、忘れられない日になってしまうだろう。便が出ることが当たり前だと思っていた毎日だったが、便が出るたびに、今日もすがすがしい気持ちになれます。ありがとう。明日もよろしくお願いしますと思うようになった。そして便が、こんな身体のなかにいるのはいやだわ、きらいっと思う食生活をしようと心掛けている。便ちゃんには好かれなくてもいいよね。

                                 〈完結〉
 
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