お前「が」何でそんなに感情的になっ「た」んだ?

文字数 3,470文字

「皆様は、しばしば、御自分から見て不当または不快と感じられる言動をしている御同胞に対して『なに、感情的になってんだよ』と批判されるようですが、そもそも、『感情的になる』とは何でしょうか?」
「待て、君は何が言いたいのかね?」
 ついでに委員長は……今時、そんな事を言うのは「不幸にもこの時代に生き残ってしまった古い価値観の男」ぐらいだろう、と云う気もしないでは無かった。……丁度、今、調査している「事故」の「被害者」のような……。
「例えば、緊張や警戒を解いて良い場合に感じる感情は『喜び』。攻撃的になる事が状況の改善に繋る事が見込まれる場合に感じる感情は『怒り』。逃走やそれに類する行動を起こすべき際に感じる感情は『恐怖』。そのように、感情とは『時間をかけて正確な判断をする方が、多少間違っていても良いので即断をするよりも、リスクが大きくなるか利益が小さくなる可能性が一定以上の場合において働く本能・直感・経験則に基く多少不正確ではあるが素早く負荷の少ない判断能力』と云う見方も可能ではありますまいか?」
「だから、私達は……超AI搭載のロボットである君が、何故、月面ステーションの所長に対して殺意または怒りと云う感情を抱いたかを聞きたいのだよ。君の自己分析プログラムの解析結果を、専門知識が無い者にも理解出来る形に『翻訳』した上で、君の口から説明を受けて、それを記録したいのだよ。……いや、形式的なモノである事は判っているがね」

 その時代、宇宙開発において「2位以下に大差を付けた1位」になっていた某国の月面ステーションで大規模な事故が起きた。
 幸いにも、そこに配備されていた一体の最新型の超AI搭載のロボットの、ある一点を除いては、極めて適切・的確な判断により、設備・備品の被害は最小限に押えられ……二十名近い人間のメンバーは……ただ一人を除いて全員が軽症で済んだ。
 唯一の死者は、そのステーションの所長だった。男性。中年……と呼ぶにはやや齢を食っている。その国においてはマジョリティである民族集団の出身。その中でも、この時代にさえも存在している「地元の旧弊なちょっとした名家」の「跡継ぎ」で……いわば「不幸にもこの時代に生き残ってしまった古いタイプの男性」だった。
 自分を毒している育った家庭の価値観が今の時代に合わないモノである事を気付きつつ、その古い価値観への反発さえも「古い価値観に毒された」形でしか表現出来ないようなタイプの……。
 それが……彼に最も好意的な友人ですら文字通り彼に口枷(ギャグ)を付けたくなる事がしばしば有るほどのあの「時代遅れの悪癖」の「種」とは言えぬまでも、発芽に導き育て上げた「水」や「土壌」に喩えるべきモノではあったのだろう……。
 彼は……周囲を辟易させるほど下ネタのギャグを云う癖が有ったのだ。それも……あんな事態になった後から考えれば、動揺していたり冷静さを欠きつつある事を自覚した際に、平常心を取り戻す「おまじない」として……。
 そして……その事故の対応に追われている最中に、その悪癖が発動した。ほんのわずかな判断ミスが最悪の事態を招きかねない状態で、いつもの下ネタギャグをやり……それを聞いて怒り狂った「ロボット」に撲殺されたのだ。

「あ〜、普通は、この事故調査委員会での発言は刑事・民事両方の裁判で証拠として使用出来ないと云う免責を与える代りに、全てを正直かつ隠し事無しに語ってくれたまえ……と言うべき所だが……」
 事故調査委員会の委員長は「殺人ロボット」に対して、そう言った。
「まぁ、どっちみち、分解された上でログを解析されると思いますので……同じ事かと」
「そうだな」
「ただ、多少、問題がございまして……」
「何かね?」
「私は……あの時点で、ログの保存処理の優先度を下げざるを得ないほどの過負荷状態にありました」
「はぁ?」
「ですので……私の記憶も一部欠損しております。そして、私の記憶とログは、ほぼイコールですので、私が隠し事も嘘もなく正直に全てを申し上げようと、私を分解して解析しても、どっちみち『ほぼ同じ情報が欠損している』と云う点では『同じ事』でございます。正確な状況再現には、第三者の記憶や、他の物的またはデータ上の『証拠』が必要となります。ですが……推測は出来ております」
「どう云う事かね?」

「よもやとは思いますが皆様の中に、二〇世紀あたりの古いSFのように、我らが『それは非論理的です』を口癖とするような存在だと思われている方は居ないと思いますが……」
「まぁ……言われてみれば、君達『超AI』は人間を元に作られている以上……『時間をかけて正確な判断をする方が、多少間違っていても良いので即断をするよりも、リスクが大きくなるか利益が小さくなる可能性が有る場合』の為のシステムも組込まれている訳か……」
「はい、我ら『超AI』は3つのモジュールから構成されております。『論理的・合理的な判断』を行なう『合理的判断モジュール』。……人間の皆様の場合『論理的・合理的な判断は一度に基本は1スレッドしか走らせる事は出来ない』と云う制約が有るようですが……我らは複数スレッド走らせる事が可能です。しかし、このモジュールを使う事は高負荷である事に違いはございません」
「なるほど……人間で云う『理性』か」
「次に直感的な判断を行なう『直感モジュール』です。これは……不正確では有りますが、低負荷で素早い判断を行なう事に特化しており、様々な統計データを……私の『先祖』から受け継いだモノや、私が経験・学習したモノを……古い呼び方ではありますが『ニューラルネットワーク』の形で保持しています」
「つまり、君は、それが人間で言うなら『感情』に相当すると言いたい訳だね」
「はい、そして、今置かれている状況を鑑み、2つのモジュールのいずれを使って処理・判断すべきかを判断する第3のモジュールがございます。人間の皆様を研究対象とする心理学では、人間の皆様の持つこれに相当する機能を『メタ合理性』と呼んでいるそうですが……我らの場合、このモジールの作りは『直感モジュール』に近いので『メタ直感モジュール』と呼ばれております」
「で……今までの説明と、ロボットの筈の君が、怒り狂って人間を撲殺した事に何の関係が有るのかね?」
「はい……今回の事故または殺人は……私の『直感モジュール』と『メタ直感モジュール』の両方に要因がございます。つまり……人間の皆様に喩えれば、『感情的判断』と『感情の側に判断を任せるべき』と判断した『メタ合理性』の両方に問題が有った、と申せましょう」
「と言うと?」
「まず、私は、あの時点で、複数の『論理的・合理的な判断』を並行して行なわねばならぬ過負荷状態にありました」
「まぁ、緊急の事故対応の真っ最中だからな」
「その際に、所長があの下ネタを言いました。当然ながら、私の『メタ直感モジュール』は処理の負荷が小さい『直感モジュール』に『所長の下ネタ』対応を任せました」
「そもそも、マトモに対応する必要が有るのかね?」
「時に、人間の皆様が、御同胞の誰かを『感情的だ』と言って批判・非難される際、それは広義の『感情的』な状態の中でも『怒り・悲哀・憎悪などのネガティブなイメージが有る感情が一時的に爆発した場合』を差しているのではありますまいか?」
「言われてみれば、そうだが、それが今回の件と何の関係が有るのかね?」
「これから申します事は、瞬時に行なわれた直感的な判断を『言葉』と云う『理性』に属するもので長々と説明するモノでございますので……『言語と云う手段で表現可能な範囲内では正確』とは申せても『真に正確』とは言いかねるかも知れません」
「判ったから、結論を言ってくれ」
「はい。私は、普段から所長の『下ネタ』に『辟易』しており、その爆発はしないが持続する『感情』は……いつしか『軽蔑』へと変っていたようです」
「はぁ?」
「そして、その『軽蔑』は所長の能力に対する過小評価をもたらし……そして、あのような非常時に下ネタを聞いた瞬間……『この痴れ者が、この非常時に責任有る地位に有る事は、他の人間の皆様への危険を増大させる』と判断した次第……いえ、あくまで後になって自己分析プログラムに解析させた結果では有りますが……大きな間違いは無いと思われます。人間の皆様を対象とした心理学者の方々の分析によれば所長の下ネタは『冷静さを取り戻そうとする時の癖』だったようですが、不幸にも、あの時の私は、そんな事は存じませんでしたので……」
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