第1話
文字数 1,997文字
泣き声が、聞こえる。
噛み殺してなお、喉の奥から漏れる掠れた音。時折、喘ぐような、呼吸が混ざる。身体が拒絶する毒々しいものを、それでも吐き下すまいと悶えているような。
聞いていられない…ある意味、醜い。そんな様は捨て置いて、立ち去りたい。できるものなら。
さんざんっぱら、そうしておいて、気が済んだのか、腹でも減らしたか。そいつは深い息を一つして、よろめきながら立ち上がり、出て行った。
帰ったのか。そんな場所を持っているのか。なら、結構なことじゃあないか。もうくんな。
いまいましい。嫉妬かもしれない。
そうだとしても、かまいやしない。大いに呪ってやろう。
俺は、この無間地獄から、動くことすら叶わないのだから。
河を跨いで、駅前へと伸びる車道の高架、見通しのあまり良くないところに、それはある。
動線から外れてしまった、小さな通路(トンネル)。
多分、建設時に、ごくごく近隣の、たとえば、足の悪い年寄りなどが、申し立ててできたものだろうが、その後の開発で、より駅に近い便利な歩道もでき、交差する大きな道もあり、そこを知る者、敢えて利用する者など、今や滅多にいない。
そう、警察も犯罪者も、やんちゃなガキも、目をくれない、利用価値などない場所なのだが…
なぜだか、ここんとこ、独特な翳の匂いを放つ者たちが、引き寄せられるように、ここにくる。
そして、穏やかに過ごしていたい俺の神経を、逆撫でするのだ。
嗚咽するもの。喚くもの。合わない視点を空に泳がせて、何事かを思案する(或いは、何事をも案じない)もの。
あり得ない。
ここは俺の場所、いや、おおやけには、公共の場所だろうが、他人のルールなど、どうでもいい。事実上、ここが、ここだけが、俺が俺として有り得る場所だ。
え?無間地獄じゃなかったかだと?
それは、まあ、勢い、というか…話のノリで、言葉が過ぎた。どちらにせよ、生者からは弾かれた身だ。地獄に片足突っ込んでるとしても、あながちハズレじゃないだろう。あながち…ふふ、トンネルだけに。
さて、話はその先だ。今日も闇に紛れて、気配がする。靴音はしないが…まさか、足がないワケじゃないだろうな。目が?光る?…ろくな光源もないのに、何を反射させているんだ。生臭い匂い…いったい、何を持ち込んだ?
ーーーーー長い沈黙ーーーーー
はっきり言って、怖いんだよ!
いったい何の目的でここに来やがる!俺と同じものなら、何となく、それとわかる。だけど、お前はそれじゃない。それじゃないのに、およそまともじゃない。
不覚ながら、俺は動揺した。動揺? いや、混乱? パニック?
不意に。首筋に何かを感じた。鼻呼吸の、ふっ…とした感触。背後から、至近距離で、そして…わかる。奴は…肩越しに俺を見下ろしている。値踏みでもするように…俺は…硬直して動けない。手が、背中が、じっとりと汗ばんでくる。汗?なんという錯覚だ。そんなもの、出るはずなかろう。俺は…俺は…
(ニャー。)
俺の後ろの、さらにそのまた後ろのほうで、何かが啼いた。
に、にゃあ!?
背後の何かが、大きく反応した。身を翻して、俺から離れる。その速さ、コンマ、秒。それでも、俺は、つったったまま、すくんで動けない。ようやく、軋むような動きで、あたまだけ僅かに(30度ほど)振り返り、眼の端で様子を探ると。
暗闇に、大きく蠢く、影。定かでない輪郭が、かたまり、ほぐれ、揺らぎ、膨らみ…
訝しむ俺の視線に気づいたか、それは…後から入ってきた、小ぶりでしなやかなやつのほうだろうか。一瞬、ぎらりと光る大きな丸い眼の虹彩を俺に向け、再び硬直する俺を、せせら笑うかのように細めてみせた。
口元には何やら…先に来たやつが持っていた、生臭い…ネズミか!それを加えたまま、口角をあげ、喉を鳴らす。
ぐるるる、るるる…うにゃあ、ぐるにゃーーーーあーーーーあぉぉん
耳を覆うばかりの、あの、あれだ。大きく、低く、たかく、この小さな空間を蹂躙する。
やめてくれ!
俺は、静かに、穏やかに、許された僅かばかりのこの場所で、過ごしていたいだけなんだ。他に望むものなどありはしない。お前らは、自由だ。どこにでも、行けるだろう?
しかし、そいつらは、容赦無く、居座り続け、たまらなくなる俺を、時折、視線でねじ伏せる。威嚇するように、嘲笑うように、挑発するように。
そうとも、俺のささやかな願いなど、誰も聞いちゃあくれない。ああ、わかっていたさ、そんなの。ここにくる、ずっと前から。
だけど、だからといって、全てを諦められるわけじゃないんだ。このトンネルは、このトンネルだけは、譲らない!!
俺は渾身の力を振りしぼって叫んだ…無駄だって、わかってるけど、そうせずにはいられなかった。泣いてたかもしれない。みっともない。でもいい。この願いを…この…
ウニャウニャ…♡ うにゃぁぉおーん♡
よ、他所でやれぇーーーーーっ
俺の声は、小さなトンネルの壁に反響して、虚しく消えた。
噛み殺してなお、喉の奥から漏れる掠れた音。時折、喘ぐような、呼吸が混ざる。身体が拒絶する毒々しいものを、それでも吐き下すまいと悶えているような。
聞いていられない…ある意味、醜い。そんな様は捨て置いて、立ち去りたい。できるものなら。
さんざんっぱら、そうしておいて、気が済んだのか、腹でも減らしたか。そいつは深い息を一つして、よろめきながら立ち上がり、出て行った。
帰ったのか。そんな場所を持っているのか。なら、結構なことじゃあないか。もうくんな。
いまいましい。嫉妬かもしれない。
そうだとしても、かまいやしない。大いに呪ってやろう。
俺は、この無間地獄から、動くことすら叶わないのだから。
河を跨いで、駅前へと伸びる車道の高架、見通しのあまり良くないところに、それはある。
動線から外れてしまった、小さな通路(トンネル)。
多分、建設時に、ごくごく近隣の、たとえば、足の悪い年寄りなどが、申し立ててできたものだろうが、その後の開発で、より駅に近い便利な歩道もでき、交差する大きな道もあり、そこを知る者、敢えて利用する者など、今や滅多にいない。
そう、警察も犯罪者も、やんちゃなガキも、目をくれない、利用価値などない場所なのだが…
なぜだか、ここんとこ、独特な翳の匂いを放つ者たちが、引き寄せられるように、ここにくる。
そして、穏やかに過ごしていたい俺の神経を、逆撫でするのだ。
嗚咽するもの。喚くもの。合わない視点を空に泳がせて、何事かを思案する(或いは、何事をも案じない)もの。
あり得ない。
ここは俺の場所、いや、おおやけには、公共の場所だろうが、他人のルールなど、どうでもいい。事実上、ここが、ここだけが、俺が俺として有り得る場所だ。
え?無間地獄じゃなかったかだと?
それは、まあ、勢い、というか…話のノリで、言葉が過ぎた。どちらにせよ、生者からは弾かれた身だ。地獄に片足突っ込んでるとしても、あながちハズレじゃないだろう。あながち…ふふ、トンネルだけに。
さて、話はその先だ。今日も闇に紛れて、気配がする。靴音はしないが…まさか、足がないワケじゃないだろうな。目が?光る?…ろくな光源もないのに、何を反射させているんだ。生臭い匂い…いったい、何を持ち込んだ?
ーーーーー長い沈黙ーーーーー
はっきり言って、怖いんだよ!
いったい何の目的でここに来やがる!俺と同じものなら、何となく、それとわかる。だけど、お前はそれじゃない。それじゃないのに、およそまともじゃない。
不覚ながら、俺は動揺した。動揺? いや、混乱? パニック?
不意に。首筋に何かを感じた。鼻呼吸の、ふっ…とした感触。背後から、至近距離で、そして…わかる。奴は…肩越しに俺を見下ろしている。値踏みでもするように…俺は…硬直して動けない。手が、背中が、じっとりと汗ばんでくる。汗?なんという錯覚だ。そんなもの、出るはずなかろう。俺は…俺は…
(ニャー。)
俺の後ろの、さらにそのまた後ろのほうで、何かが啼いた。
に、にゃあ!?
背後の何かが、大きく反応した。身を翻して、俺から離れる。その速さ、コンマ、秒。それでも、俺は、つったったまま、すくんで動けない。ようやく、軋むような動きで、あたまだけ僅かに(30度ほど)振り返り、眼の端で様子を探ると。
暗闇に、大きく蠢く、影。定かでない輪郭が、かたまり、ほぐれ、揺らぎ、膨らみ…
訝しむ俺の視線に気づいたか、それは…後から入ってきた、小ぶりでしなやかなやつのほうだろうか。一瞬、ぎらりと光る大きな丸い眼の虹彩を俺に向け、再び硬直する俺を、せせら笑うかのように細めてみせた。
口元には何やら…先に来たやつが持っていた、生臭い…ネズミか!それを加えたまま、口角をあげ、喉を鳴らす。
ぐるるる、るるる…うにゃあ、ぐるにゃーーーーあーーーーあぉぉん
耳を覆うばかりの、あの、あれだ。大きく、低く、たかく、この小さな空間を蹂躙する。
やめてくれ!
俺は、静かに、穏やかに、許された僅かばかりのこの場所で、過ごしていたいだけなんだ。他に望むものなどありはしない。お前らは、自由だ。どこにでも、行けるだろう?
しかし、そいつらは、容赦無く、居座り続け、たまらなくなる俺を、時折、視線でねじ伏せる。威嚇するように、嘲笑うように、挑発するように。
そうとも、俺のささやかな願いなど、誰も聞いちゃあくれない。ああ、わかっていたさ、そんなの。ここにくる、ずっと前から。
だけど、だからといって、全てを諦められるわけじゃないんだ。このトンネルは、このトンネルだけは、譲らない!!
俺は渾身の力を振りしぼって叫んだ…無駄だって、わかってるけど、そうせずにはいられなかった。泣いてたかもしれない。みっともない。でもいい。この願いを…この…
ウニャウニャ…♡ うにゃぁぉおーん♡
よ、他所でやれぇーーーーーっ
俺の声は、小さなトンネルの壁に反響して、虚しく消えた。
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