最後の幕が上がる前に

文字数 1,989文字

「喫煙所は裏ですよ」
 シガレットケースを手にした男に髪の長い女は声をかける。
「今はやめてるよ」
「じゃあ……」
「ユキが作ってくれたんだ。お揃いだったんだけど、二つだけになっちまった」
 シガレットケースに視線を落としていたショウは女の方を見た。
「ヘアセット、しなくていいのか?」
「緊張しすぎて、今からウィッグ被ったら、頭痛くなりますって」
「ここはお前さんには見知ったハコだろ? 俺はこんな洒落た会場は初めてだし、お客の入らない配信ライブだと、なんか調子狂うよ」
 二人が過ごしているのは、観葉植物の緑がやたら鮮やかに見える白を基調とした空間。無駄の削ぎ落された椅子と机に、良好な通信環境が用意された配信者向け貸しスペースの控室。
「確かに、配信者とか歌い手っていう体では出ました。でも、ショウさんやキョウさんみたいな有名人と一緒に、コネと成り行きで出るなんて、緊張しないわけが無いです」
「とはいえ、俺とは初めてじゃないだろ?」
「そうですけど、あれも社長の気まぐれで……って、社長はショウさんのバンド仲間ですし、止めて下さいよ、こんな素人出すなんて事!」
 悲鳴にも似た女の言葉にショウは大笑いする。
「メイがユキを連れて来た時の事、思い出すなぁ」
 思いがけない言葉に、女は息を呑む。
「タスクがバンドを飛び出して、すぐに一万人の前で弾ける人間が必要になって……初めて会った時、ユキは正直に言ったよ、素人だけどいいのかって。つってもそれは謙遜で、ユキは上手かったし、肝も据わってた。お前さんだって、そう謙遜しなくても、おっさんの中で堂々と歌えるだろ?」
 女は目を伏せた。
「でも、ユキさんが望んだのはナオさんとキョウさんの共演でした。私なんかが出ても、納得してもらえないです」
 ショウはシガレットケースをポケットに戻し、俯いた女に歩み寄る。
「ナオは自分の意思でキョウと縁を切ったんだ。確かにキョウは頑固で繊細な奴だが、一人になってから苦労して、いっぱしのプロデューサーになって、裏切ったナオも許せる器になった。だけど、ナオは相変わらず評論でもギャラでも評価されなきゃ気が済まない性分で、未知数の挑戦に怖気づいちまったのをキョウの所為にして、また裏切る格好になって……その事実が永遠になった」
 ショウは白い空間で所在なさげに浮かぶアイビーの鉢植えを見遣る。
「それに……キョウが許しても、たぶん、俺が無理だった」
 女は目を瞠り、ショウを見つめる。
「ナオがあんな辞め方した所為で、メイは自分のソロで無茶なスケジュール組む事になって……それが祟ったと思ってた。だけどよ、あの時のナオは辞めるしかなかったと分って、やっと許せた。ところがよ、またナオはやらかして、ユキの為のライブも渋ったまま逝って……もう、このバンドで演りたいと思えなかった。けどよ、サクが勢いお前さんを連れて来て、俺の決心がついた。だから、キョウも解散宣言すると決められたんだよ」
 ショウは女の肩に手をやった。
「キョウはユキの為にこのバンドでライブをしないと一生後悔してたし、全部お前さんのおかげなんだ。一番厄介な役を引き受けてくれたお前さんには感謝してるよ。だから、胸張って、自信持って、めいっぱい歌ってくれよ。辛気臭いのは、ユキの遺志じゃないんだ」
 刹那、吊るされていたアイビーの鉢が音を立てて揺れ、ショウは少しだけ笑い、女に背を向けた。
 向かう先は、喫煙所。
「あれ? 煙草、やめてないの?」
 先んじて入っていたのはキョウだった。
「アンタこそ。それに、俺のじゃねーよ」
 ショウはシガレットケースから一本を取り出して火を点けると、そのまま灰皿に下ろす。
「メイの好きだった銘柄だね」
 ショウはキョウの持つシガレットケースを見遣る。
「今は空なんだけど、お守り、だね」
 火の点いた煙草が半分ほど灰になったところで、ショウは火を消した。
「これで終わるんだよな」
「うん。終わらせるよ。メイにも、ユキにも……キミにも、申し訳ない事をしてしまうけど」
「誰の責任でもねーよ。ただ、ちと運が悪かっただけだ」
 シガレットケースの中に出来た一本の隙間はもう埋まらない。ショウはその隙間を隠す様にシガレットケースを閉じ、ポケットに押し込んだ。
「……オレ、甘えてたのかな、皆に」
「そんなこたあないさ。黙って見てた俺も同罪だ」
「でも、オレがナオに甘えてなかったら、こんな事には……」
「アイツもアイツで甘えてたんだよ。言わな伝わらん事まで分ってくれるだろうって」
「だけど、分かってあげられなかったのは、やっぱり甘えてた」
「世の中には、殴り合わなきゃ分かり合えねぇ事だってある。それから逃げたのはナオの意思だ。それ以上自分を責めるなよ」
 灰皿の煙草が、小さな音を立てて落ちる。
「辛気臭いのはやめようぜ。メイもユキも喜ばねえし、ナオも納得しないだろ?」
 キョウは頷いた。
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