君と僕との間にペンギン

文字数 1,873文字

 夜のオフィスに忘れ物を取りに行くと、僕の後輩である牧野友香(ともか)が、一人でパソコンに向かっていた。
「まだいたんだ」
「あ、田中さん」
「それ、急ぎの仕事じゃないんでしょ。残業手当もつかないんだし、明日にすれば」
「でも……」
 彼女は顔を曇らせる。
「家に帰るのが怖くて」
「もしかしてまだ続いてるの? ストーカー被害」
「……はい」
 三ヶ月ほど前から、誰かに後をつけられていると聞いていた。最近では、部屋に置いてある物の位置まで変わっているらしい。
「部屋に侵入してる可能性があるなら、やっぱり警察に相談したほうが」
「でも私の気のせいかもしれないし、家にいる時は何もないんです」
「そういう問題じゃなくてさ、もし寝てる間に入ってこられたらどうするの」
「やだ、怖いこと言わないでくださいよ」
 牧野さんは一瞬ぶるっと震えて身を縮ませた。
「いや、ほんとに」
「けどまだ……様子を見てみます」
「そっか、じゃあ僕でも役に立てそうなことがあれば、いつでも言ってよ」
「ありがとうございます」
「ところで、ご飯まだでしょ、これから食べに行かない?」
「そうですね、正直言って、ここに一人でいるのも心細かったんです」
「だよね。じゃあ行こうか」

 店から出ると彼女は「ごちそうさまでした」と頭を下げた。
「次は私に払わせてくださいね」
「いやいや後輩に奢ってもらう訳にはいかないよ。それより本当に送っていかなくて大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
 こわばった笑顔が痛々しい。しかし個人の連絡先も交換したことだし、また何かあればきっと僕を頼ってくるはず。


 あれからも牧野さんの被害は続いていた。とはいえ酷くもなっていない。通勤時の人の気配と、いつも何かしら微妙にズレている部屋の物。悪い意味での安定感が、逆に恐怖を煽るらしい。僕は、怯える彼女をたまにマンションまで送って行くようになった。


「――田中さん! ぺ、ペンギンが!」

 牧野さんが泣きながら電話をしてきた。何事かと駆けつけると、ドアを開けた彼女は玄関の床を指さした。そこには不自然に置かれたペンギンのぬいぐるみ。僕が以前、水族館のお土産で渡した物だ。
「わ……わたし、こんなところに置いてな、」
「牧野さん、大丈夫だから、落ち着いて」
 泣きじゃくる彼女を思わず抱き寄せた。華奢な腕が僕の背中にまわる。そしてか細い声で言った。
「……田中さん、今日はずっとそばにいて欲しいって言ったら……迷惑ですよね」
「えっ」
 ドキッとしたが、

ではないことくらい分かっている。
 彼女を安心させるためにその晩は泊まり、寝ずに見守ることにした。


 それ以来、牧野さんとの距離は急速に縮まった。頻繁に逢うようになり、僕は

として、時々彼女と一夜を共にするようになった。
 そのせいか、いつの間にかストーカー被害は収まっていた。おそらく僕の存在に諦めたのだろう。もうそろそろいい頃だ。
「牧野さん、ストーカーも消えたことだし、これからはもう、」
「嫌です」
「――え」
「私、田中さんのことが好きです、だから、」
「実は僕も……」
 僕らは見つめ合い、流れるように唇を重ねて、そして結ばれた。



「思ったよりも簡単だったな」
 ぐっすり眠っている友香を横目に呟いた。そして棚に飾ってあるぬいぐるみを、全く同じものと交換して古いほうを鞄にしまう。
 盗聴器を仕込んだペンギンは、デスクに飾るには大きすぎるものを選んで正解だった。おかげで電話での会話や生活音が筒抜けで、僕の計画は捗るばかり。
 彼女は間違いに全く気付いていなかった。尾行をしたのは最初の三回だけで、僕が動かしたのもペンギンだけだ。ずっと後をつけられていて、化粧品や他の置物も移動していたというのは、完全に友香の思い込みだ。

 僕には、念力で物を動かせるという秘密の能力がある。だが遠隔で念を飛ばすには、その物体を強くイメージしないと無理で、かといって僕のあげたものだけが派手に動いては、こちらが疑われる。だからゆっくりと慎重に事を運び、頃合いを見計らって総仕上げをした。一気に玄関まで移動したぬいぐるみが、それだった。
 恐怖は時として正常な判断をも狂わす。そして吊り橋効果のように、傍にいる異性に特別な感情を(いだ)きやすい。特に、僕のような誠実で頼りがいのある男に友香が惚れるのも当然の流れだ。

 そんな手口、卑怯だって?

 方法はどうであれ、今の彼女は僕を愛し、僕も彼女を愛している。友香を誰よりも幸せに出来るのは自分しかいない。

「愛してるよ友香。一生離れないでいようね」

 寝息をたてる可愛い恋人に囁いて、白い額にキスを落とした。





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