第1話

文字数 1,034文字

 しゃぼんをたっぷり泡立てて、顔も体も髪の毛も、すみずみまでピカピカに洗う。シャワーで流して湯船につかりながら、歯を磨く。時間の節約だ。
 浴槽のふちに頭を乗せて歯ブラシをくわえたとたん、とろっと眠りに落ちてしまいそうになった。今日は遅くまで残業だったから、疲れはマックス。
 気を抜くと体がずり下がって、お湯が口に入ってきてしまう。私は慌てて歯ブラシをシャカシャカ動かした。
 いつもなら、シャワーをささっと浴びて、メイクはコットンで拭き取って、ベッドに潜り込んで寝てしまっている時間だ。でも今夜はそんな訳にはいかない。
「明日は、はちゅデートひゃんにゃから!」と、歯磨き粉でいっぱいの口で、声に出して言ってみたけれど、デートというのはちょっぴりウソ。
 デートだと思っているのは私だけで、斉藤さんにとっては、ただの日帰りの出張なんだろうな。カクッと肩が落ちて、歯ブラシまで口から落っことしそうになる。
「でもでも!」
 気を取り直して、私は口をゆすぐ。明日の出張を順調に終わらせて、その後、二人で打ち上げに行くために、残業までして準備をしたのだ。
 そして今は、ベッドに直行したいのを我慢して、お風呂に入っている。この後、顔にシートを乗せるタイプのパックを貼り付けて、全身に保湿クリームを塗るつもり。
 ハンガーには、まだ二回しか会社に着て行っていない、さりげなく形が可愛いスーツをスタンバイさせてある。完全なおニューだと、気合いが入っているのがバレバレだから。
 スーツの上着を脱ぐのは、二人きりの打ち上げの席で、と決めている。なぜならブラウスは新しいから。袖がシースルーのブラウスは、いつもよりもちょっぴり女らしいと思う。
「最初に見せるのは斉藤さん」に成功したら、「斉藤さんを落とせる!」
 いや、その願いはちょっと図々しいかも。じゃあせめて・・・・・・。
「斉藤さんがかわいいって思ってくれる!」と小さな願掛け。
 お風呂から上がって、シートのパックを顔に貼りつけ、保湿クリームを全身に手早く塗る。さあ、準備はばんたん。早く寝なくちゃ。せっかくがんばってお風呂にも入って準備したのに、寝不足でクマができたりしたら意味がない。
 私はふとんにもぐり込んで、電気を消した。夢の中に引き込まれていきながら、ふと思う。
 小指の赤い糸が、斉藤さんにつながっていればいいのにな。
 私は自分の左手の小指の第二関節をカプッと噛んだ。うすくついた歯形が、いつか斉藤さんに繋がる赤い糸になりますように……。
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