第1話

文字数 904文字

ふんわりとココアの香りがする。
チョコレート好きの同居人がココアパウダーから作る手製のココアは絶品だ。

近頃暖かくなってきた春先の日差しと甘い香りに満ちた部屋は、なんと居心地の良いものか。しかし伸びをすればつま先が布団から出て、まだまだ朝の寒さを伝える。慌てて体を布団の中で縮こまらせた。すると、キッチンの方からカチャカチャと控えめな金属音が聞こえた。そろそろか。同居人恒例の起き抜けのココアタイムはひと段落したようで、忙しない物音が静かな廊下に響いている。
ザワザワ。ワシッ。レタスをちぎる音だ。ソースと醤油をそれぞれかけた目玉焼きに添えるのだろう。コンコン、じゅわっ。今度は目玉焼きを作る音。几帳面な同居人は、目玉焼きの焼き方さえも好みに合わせて毎朝調整している。細やかな、たまに細やかすぎることもあるが、その気遣いが彼らしくて好ましく思うのだ。

ジュージューぱちぱちと卵の焼ける音を聞いていると、慣れた重さがのしかかってきた。「にゃー」飼い猫のマルだ。早く布団から出ろと催促しているのか、はたまた一緒にくつろぎたいのか、上半身に飛び乗ってくる。お前もこの時間が好きか?と聞くまでもなく、顔に腹を乗せてきたのでただお腹が減ったから起こしにきただけなのだと確信した。

マルの頭を指を立てて撫でてやる。気持ちよさそうに手のひらに頭を押し付けてくる様子は、なんとも愛らしい。マルはうちに来てもう2年になるが、いつまでたっても我が家の末っ子で、赤ちゃんのように甘えてくる。自分や同居人が甘やかしすぎなのもあるのだろうが。
そうしてマルとぼーっと戯れていると、殴りかかるような轟音が響いてきた。ゴウンゴウン。これは洗濯機の音。同居人の朝の家事が本格的に開始されたらしい。ニャーニャー。マルは音に慣れているため、平然とした様子で撫で続けることを可愛らしく要求してくる。一気に騒がしくなった部屋は、まるでそろそろ布団から出ろよ、と暗に迫っているような気がする。

「マルー、もう少し寝ようか」
次々に音が加わっていく生活音たちは無視して、再び布団に潜り込む。
あたたかい。布団も、この家も。

目覚まし時計がなるまでの、この時間が好きだった。

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