第1話

文字数 1,893文字

「僕が薬を取って来てなんて頼んだばっかりに…、ごめん。でも、僕は信じているよ、優くんが犯人じゃないって」

 小学校で僕が"窃盗犯"と疑われた時、大河くんはそう言って、泣いている僕の手を握ってくれた。

 体育の時間で教室は施錠されていた。貸し出し用の鍵は一つだけで女の学級委員長が持っていた。それを僕が借りて、お腹の痛そうな大河くんに頼まれて胃腸薬を取りに行った。そして、体育終業後の休み時間に皆んなの給食費がないということが発覚した。僕がどれだけ否定しようとも誰も信じてくれず、僕の鞄から何も見つからないのに、誰もが僕を犯人と決めつけた。そんな中で、下校の時に大河くんだけそう言ってくれたのだ。

 しかし、それからすぐいじめに遭って、不登校となり、数年間引きこもった。高校にも行かないまま、二十代後半からバイトを始めたが、長続きせず、四十を超えた今もコロコロと場所を変えながらフリーターをしている。時々大河くんに会いたいと思うことがあったけれど、それからずっと会っていない。


 今日も深夜のコンビニで、人気も無い、やる事もない時間をバックヤードで過ごしていた。時々鳴る入店のチャイムに何かを期待しつつ、でもやはりいつもの知らない顔に何か不満足さを覚えるのを繰り返しながら--あの優しい大河くんが僕を助けに来てくれまいかと期待して--、その隙間に生じる暇な時間に、僕はある考え事をしていた。
 そして、僕はその中で"ある事実"に気づいた。いや、正確にはそう、僕は思いがけず"思い至った"のだ。

『鍵を持ち出すのは、その日である必要はない』

 例えば、教室の鍵のような簡単な作りであれば、別の日に持ち出して、"粘土"などで型を取り、家に持ち帰れば複製を作ることは出来る。特に、お腹が弱く、時折体育を抜け出すような人、尚更近所の美術教室に通っていたような"粘土"や"石膏"が身近な人なら、簡単に。

 そう、犯行の数日前に「薬を取ってくる」と鍵を借り、そのときに"粘土"で型を取っておく。その後自宅か、美術教室で粘土の型に石膏を流し込み、事前に鍵を複製する。その複製した鍵で始業後教室に忍び込み、盗みを働いてから、「トイレに行っていた」という口実で少し遅刻しながらも"しれっと"体育に参加する。鍵は当然委員長が持っているから誰もが、"トイレに行ったフリして教室に行っていた"なんて思わない。そして、愚鈍で馬鹿な僕に「お腹が痛くて動けない。代わりに薬をとって来てほしい」と嘯き、鍵を管理する学級委員長に鍵を借りさせれば…。

「犯人は大河だったんだ」

 数十年の歳月を経て風化した思い出が、新たな顔を見せて、僕の心に春一番のような強風が吹く。バックヤードに無防備に置かれた女物の鞄を見つめていて、それに気付いた。いや、"思い付いた"のだ。僕は春を迎えたような喜びに満ち溢れる。

「ありがとう、大河!」

 僕は嬉々として、夜食用に取っておいた廃棄パンを急いで押し()ねる。まとまり始めたそれは、小学校の図画工作の時間を想起させ、自然と笑みが溢れる。僕は大河に感謝する。なぜなら…


あの愛しの"愛ちゃん"の…
部屋の鍵を、やっと手に入れられるのだから!


 バックヤードで椅子に座る僕の目の前には今、僕が"愛するバイト仲間"の愛ちゃんの鞄が置かれている。その取手には紐で"自宅の鍵"が括り付けられていた。ずっと手に入れたかったが、無くなれば当然気付かれる。だから、手を出せずにいたのだ。しかし、僕は思い付いてしまった。さて、当の愛ちゃんはというと、さっきからトイレに行って姿が見えない。いつものようにサボっているのだろう。寂しいながらもそれは好都合。僕はこれまでずぅっと、四六時中考えて来たのだ、愛ちゃんと僕がどうやって"結ばれる"べきかを。

 監視カメラでトイレのドアが開かぬことを確認しながら、急いで愛ちゃんの鞄を漁る。僕は小麦粘土と化したパンで、シフト表を眺めながら、何度も何度も、何度も何度も握り直して、型をとった。僕が休みで愛ちゃんが出勤するのは、次は来週の火曜日。それまでに鍵を複製して、何度か開くか試行しておかないと。
 トイレから出てくる愛ちゃんが監視カメラに映った。僕は鍵を元の位置に戻して、小麦粘土は丁寧に自分の鞄に仕舞い込んだ。

 戻ってきた愛ちゃんはむすっとした顔で無言のまま、スマホをいじり出す。僕らの間に会話はない。それでも僕らは愛し合うべきなのだ。それが僕らの愛の形。そのキッカケをくれた友に、僕は垂れ始めた鼻血をティッシュで拭いながら、何度も何度も心の中で感謝しする。

「ありがとう。僕は君を一生忘れないだろう」
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