第1話

文字数 5,447文字

 序章
 江戸時代には蝦夷地唯一の藩であり、北前船の交易地として栄えた松前から、海食崖の多い海沿いの街道を北へ北へと上りゆくと上ノ国町という町に入る。アイヌ語に由来の地名が多い中で、小砂子(ちいさご)と呼ばれるいかにも日本的な地名のつけられた小漁村を過ぎ、ほどなく日本海に突き出た高台の上、道の駅もんじゅに着いた。眼下には切り立つ岩に大波が打ち崩れ、コバルト色の海を白くかき乱している。時は十月、雪を頂き遠くへと連なる遊楽部(ユーラップ)の山々、洋上はるかには南北に布団を伏せたような奥尻島を望むことができる。道の駅を出て国道から山道に入ると、ほどなく北海道のプロジェクトにより発掘され整備された旧跡勝山館がある。松前藩の藩祖武田(松前)信廣が小高い丘陵を利用して十五世紀後半に築いた屋敷跡である。屋敷跡のすぐ近く、小山のような医王山に登ると、山頂には小社があり、北側の参道の鳥居の向こうに屋敷跡の遺構が続いている。丘陵の向こうには上ノ国町の沃野に二級河川の天の川が緩やかなカーブを描いて日本海へ注いでいる。医王山頂からは敵の襲来に備えて起伏のある地形をうまく利用して空堀を廻らした勝山館の屋敷跡の様子が手にとるように俯瞰できる。屋敷跡と医王山の間の草深い傾斜地にあるおびただしい数の白い標識は当時の墓跡であり、和人の墓とアイヌの墓が混在しているとガイドにはあった。
 今を遡る三百数十年、徳川第四代将軍家綱の時代、医王山下の海沿いの街道を北へと進む一行の姿があった。

 1
 海辺の道を急ぐ一行の取り合わせは、見るからに尋常ならざるものであった。
 厚手の紺の股引を履き半纏の上に腰まで蓑をまとった、人相はよくないが人のよさそうな二人の人夫が担ぐ唐丸籠のあとを、こちらはしっかりした羽織袴に菅笠を被った二人の武士が腕組みをしてうつむき加減について行っていた。唐丸籠の中には墨染めの衣の上に蓑笠をまとったひとりの僧がじっと前方に半眼のまなざしを落として結跏趺坐(けっかふざ)を組んでいた。
 神無月の空は晴れたかと思えば雪をつけてかき曇り、曇ったかと思えばまたからりと晴れて、先を急ぐ一行をひやひやさせていた。
 「ちょっと止めてくれ」
 松前を出てから唐丸籠の中で押し黙っていた松前藩菩提寺法幢寺(ほうどうじ)六世柏巌(はくがん)和尚が、上ノ国天の川にさしかかったところで突然口を開いた。
 「へっ」
 松前で雇い入れた人夫は、まるでその僧と主従でもあるかのように、即座に道のはしに寄せて唐丸籠をおろした。
 すぐさま随行していた二人の武士のうちのひとりが異をとなえた。
 「まかりならん。われらは江戸におられる殿の命をうけてのおつとめじゃ。勝手な行動は慎まねばなるまい。いったい何の用じゃ。いばりならその中でするがよい。われらに遠慮は無用じゃ」
 武士は、深編み笠の先をひょいと持ち上げたその下にいかにも実直そうな家臣の顔をのぞかせた。
 「おつとめのところまことに相すまぬ。ちょいとこのあたりの霊に供養を申したいのでな」
 柏巌は籠の中で座をしっかりと整え、背筋をすっくと伸ばした姿勢で両手に印を結びながらまっすぐ前を向いて、おっとりと口を開いた。その姿勢は、松前を出てからいっときたりとも崩していなかった。
 武士はまっすぐに柏巌を見つめながら、少し口を突き出して、はき捨てるように云った。
 「何をいうか。そちは、いや御坊は不可思議なわざを使うそうではないか。今ここでそれを被見せられるおつもりか。ならばわれらとて容赦はせん。この場に切って捨てるまでじゃ」
 武士は刀の柄に手を添えて鯉口をきる様子を見せた。
 「申し上げます」
 膝をついて籠の脇に控えていた人夫が口を開いた。
 「何じゃ、申してみい」
 武士はいらいらした様子を隠そうともせずに言った。
 「藩祖信広公の御世にアイヌの反乱がごぜえました」
 「そのことはわしらも知っておる。コシャマインの乱であろう。それがどうしたというのじゃ」
 ますますいらいらをつのらせた武士は、籠かきまでも切り捨てようと言う剣幕である。
 「藩祖様は祟りを恐れておられたそうでがす。逃げるアイヌをこのあたりに追いつめ、残らず命を奪ったそうでがす。それからというもの城内に良くないことが続き、藩祖様はこの地に鎮魂碑を建てられたのでごぜえます。歴代の藩主さまもたたりを恐れて必ずご祈祷なせえます。わしらもこのまま過ぎたのでは、この先どんなやっけえがふりかかるか、わかったもんじゃごぜえません。後生ですだ。和尚様に好きにさせてあげてくだせえ」
 人夫は恐怖の表情を隠さず武士に懇願した。
 「何を言うか。この者はすでに僧籍を剥奪されておるのじゃ。勝手気ままは許されん。なあ、お主はどうお考えか?」
 先ほどまで何があってもゆるさじと意気巻いていた武士も、さすがに気味が悪くなって同僚に同意を求めざるを得なくなった。
 「わしもその話はご家老から聞いたことがある。祟りの話は確からしいぞ。それにこの地上ノ国は、藩祖信広公が始めて国を開いた場所であり、夷王山に藩祖が眠っておられる。ここはやはりこの僧の気が済むようにさせてはいかがか?」
 「うぬ。おぬしまでそう申すならいたしかたない。御坊、そこの中でなら許す。気の済むようにいたせい」
 そうは言ったものの、内心ほっと胸を撫でおろしたのはその武士ばかりではなかった。
 柏巌は籠の中で向きを変えると、初めて結跏趺坐を崩して正座し、川の上流に向かって両手をついて深く礼拝した。手を合わせて低声になにごとか唱えはじめると、その声の意味はその場の誰にも理解できなかったが、地の底から湧き上がるかのような音声(おんじょう)に、無関心を装っていた二人の武士は震え上がった。
 二人は編み笠の雪を払ってみたり、草鞋の紐を締めなおしたりしてその声から逃れようとしていたが、いかなるすべもむなしかった。
 人夫二人は地にひれ伏して、この地で命を落とした何十人何百人のアイヌの祟りがわが身に及ばないようにと一心に念じていた。
 その声がやがて小さくなり、沈黙が訪れた。一同はいつしか、さらさらと流れる天の川の水音に耳を澄ましていた。
 「お手間を取らせた。わしとて元は仕官の身じゃ。おぬしらの気持ちが分からん訳ではない。あとは存分にするがよい。雲石(くもいし)まではあと数里の道のりじゃ。日の暮れぬうちに着くじゃろうて」
 「先を急ぐぞ」
 上役の武士が声をかけると、人夫は柏巌に跪いたまま深々と一礼し、棒の下に肩を入れた。
 その後は雲石までの道々、だれひとり声を発するものはいなかった。ときおり頭の中で禅師の読経がこだまし、天の川での恐怖の場面が忘れられなかったのである。
 上ノ国天の川は、その昔和人地と蝦夷を分ける境界の川でもあった。藩祖信広公が蠣崎と名乗っていたころこの地に館を築き、松前大館と下ノ国茂別館(もべつだて)の三守護体制の一角をなしていた松前藩ゆかりの地でもある。度重なるアイヌの反乱に、最後まで花沢館を守りぬいた二代光広公が蝦夷地を統一し、大館と呼ばれていた松前に進出して松前藩の基礎を築いたのである。
 目的の雲石は和人居住地の北の端、江戸幕府が蝦夷との境界として最近定めた関の町であった。しかし関とは名ばかり。藩の者が守る館のほかは、アイヌの住む苫屋が海辺に散在するばかりで、実にわびしいものであった。
 一行が雲石に着いたのは、その日の夜もとっぷりと更けたころであった。
 関所は丸木を組んだ大がかりな砦というに近く、囲いの上から館の萱葺き屋根がかろうじて見えていた。両側にかがり火を焚いた門をたたくと、中から守護の兵が顔を出した。
 「お勤めご苦労でございました。仔細は早馬で聞いておりまする。今夜はゆるりとお休みなされ。明日には流人の庵もととのいましょう」
 「かたじけのうござる。思いのほか時間がかかり、このような時間になってしまった。明日にはまた福山へ立ち戻り、主君に報告いたさねばならぬ。御坊の蟄居の場所を確認したらさっそくに出立(しゅったつ)いたそう。」
 二人は天の川での出来事には少しも触れることなく、咎人(とがにん)を番の者に渡し、晩の膳をいただき床に就いた。
 翌朝早く、二人の武士は柏巌の庵を確かめると、そのまま松前へと向かった。

 2
 柏巌和尚は雲石の館の裏山に小さな庵を営み、自ら門昌庵と名づけ、悲運に思い煩うことない禅定(ぜんじょう)の日々を送っていた。
 そのころ松前では、参勤から戻った矩廣(のりひろ)公が家老らから騒動の仔細を聞き、師と仰いだ柏巌の裏切りともいえる松枝との情交に耳を真っ赤にして激昂し、即座に斬首の決断を下した。
 二月ほど過ぎた年の暮れも押し詰まった師走の二十八日、降り続いた雪の道を松前から数人の藩役人が雲石に到着した。
 役人は関所に着くなり門昌庵に柏巌を呼びにやり、座敷にあげもせず、雪に覆われた白州に正座させて藩命を読み上げた。
 「元法幢寺住職柏巌、汝藩侯のご恩にそむき不届きなる行状、万死に値す。よって斬首を命ずるものなり」
 その瞬間、和尚の目がギラリと光った。
 「その条々、藩侯もたしかにご了知でござるな」
 「知らでか。藩侯自らそのほうの処置をお決めなさったのだ。神妙に沙汰を受けい」
 「あい分かった。何でいまさら命乞いなどしょうか。この世はもと無常なるもの。この命、無から来て無へ帰るのじゃ。そちらも知っておろうが、わしも元は武士じゃ。僧籍を剥奪されたとなれば、かなうことならば古式にのっとりわが命を差し出しとうござる。どうかこの願い聞き届けてはくれまいか」
 「ならん、藩侯は到着しだいすぐに斬首せよとわしらに仰せになられた。覚悟するがよい」
 「それほどまでに殿にきらわれ申したか。それならば是非もない。じゃがこれだけは聞いてくだされ。この柏巌、恩義ある殿に寸毫の後ろめたさもない。このたびのこと、時が過ぎれば真実は必ず明かになる。殿のお怒りもいずれ解けることであろう。しかし時は我に味方せず、露命をお目仕上げになるという。これもわが不徳の致すところじゃ。辞世を読みたい。筆と紙を所望いたす」
 斬首を命ぜられた者が辞世を読むなど許されるものではなかったが、役人は断る理由を見つけることができずに、しぶしぶと手下のものに筆硯と紙とを用意させた。
 柏巌は正座したまま巻紙を手にすると、筆ですらすらとしたためた。
 「有路(うろ)に生き 無路(むろ)に帰らん 雲関(うんせき)の 思いは遠き天の川」
 「冬の天の川もよかろう。のうおのおの方。そなたたちも故あってこの北辺の地に生活の糧を得ることになったのであろう。わしの生まれた越後も雪深い土地であった。この雪の中で寂するも何かの縁にちがいない。これでもう思い残すことはござらん」
 その歌を聞いて背筋が寒くなった者が役人の中に二人いた。
 あの柏巌を松前からこの地に連れてきた武士たちだった。
 柏巌が深く首をたれ合掌して読経を始めると、そのとき居合わせた者たちにどよめきが走った。魂魄に染みこむような柏巌畢生の華厳経であった。
 (くだん)の二人は落魄したかのごとく真っ青になり、膝ががくがくしてその場に立っていられない様子であった。柏巌を松前から連れてきたときの天の川での読経がよみがえってきた。
 一瞬剣先が真っ青な天空にきらりと光った。
 「ふん」
 裾をからげて襷がけをした執行役の侍が、一刀のもとに柏巌の首を切り落とした。
 柏巌の首は胴体からふわっと一尺ほど跳びあがり、そのまま前方に落ちてごろごろと転がり、件の二人の前まで来ると、地に生えたかのように静止した。
 まったく血は流れていなかった。
 かっと見開いた両眼には炯々とした輝きがたたえられ、この世の真実を見通そうとする和尚の岩のような意思が感ぜられた。
 朱をたたえた唇の様子は、いまだに読経を続けているかのようであった。
 ハッと気づいて一同が空を見上げると、いつの間にかかき曇った空には雷鳴が低く轟き、突然の暴風とともに豪雨が地上に叩きつけ、一同は祟りという言葉を呑みこんでいた。
 「祟りだ、祟りだ、小川の水が真っ赤になって逆に流れているぞ」
 藩屋敷の外から村人の騒ぎ出す声が聞こえていた。
 その日から暴風雨は三日三晩続いた。

 終章
 「なあ、おぬしはどう思うか。あの和尚が本当に松枝殿と何ごとかあったと思われるか。わしにはどうしても・・・」
 処刑を終えて松前に帰る一行の中にあった二人が話し合っていた。
 「何を言うか、主命ではないか。わしら武士は主命に従うのが勤めじゃ。考えても詮のないことではないか」
 「そうかのう・・・」

 松前藩のお家騒動は家臣を巻き込んで藩を二分した争いになっていた。その争いの犠牲になったのが柏巌和尚であるという噂もまことしやかに囁かれ、そこから柏巌の呪いの説話が流布していったのであった。
 (門昌庵の近くを流れる川が真っ赤に染まり、突然の雷鳴とともに川の流れが逆流したという奇譚は今も伝承され、この地に残っている。門昌庵の朱塗りの山門は何を語るのか)

 (「家伝門昌庵縁起」より取材)
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