第1話

文字数 4,984文字

1.
恋。

それは、特定の相手を恋い慕い、思い煩う状態のことだ。

あなたは恋、というものをしたものがあるだろうか。あの燃えるような思いを、あのどこまでも自分が空虚な存在になったような切なさを、味わったことがあるだろうか。

私にはある。と言うよりも、今まさにその恋というものに陥っているところだ。

そう、私は恋をした。同じゼミのサトミという女の子に。私も女の子の身でありながら。

2.
いつからサトミのことを好きになったのだろう。それはわからない。ただ、いつの間にか、気づけばサトミのことを目で追うようになっていたことだけは覚えている。授業中も、放課後も、ランチの時間だって。いつだって彼女の横顔を見つめていた。

サトミは、魅力的な女の子だった。手足はすらりとしなやかで、目は大きく、口は小さい。鼻筋はすっと通っていて、肌は色白。それはまるで、お人形さんのよう。

髪はいつだって艶やかだったし、いいヘアスプレーを使っているのか、近づけば甘い良い香りがした。

それに魅力的なのは別に見た目だけじゃない。声も実に美しかった。その透き通ったソプラノの声はさながら小鳥が囁くよう。その大きめの目をくりくりさせながら、その素敵なソプラノボイスで話しかけてきた日には、嬉しさのあまり思わず腰を抜かすかと思ったほどだ。

さらに言えば性格も素晴らしい。誰に対しても分け隔てすることなく、誰に対しても公平にふるまう。聴くべき意見にはしっかりと耳を傾け、間違ったことには、やんわりと、しかししっかりと自分の意見を言える素敵な子。そんな素敵な子が、サトミという女の子だった。

そしてそんな素敵な子が放っておかれるはずもなく。彼女はもてににもてた。それこそ一時期は連日告白されているのではないかと思える具合に。その度に、私の愛しいサトミがどこの馬の骨とも知れる男と付き合うことになるのか、と思うと私の心は千々に乱れ、また、どこの馬の骨ともつかぬ男に取られるぐらいならいっそ私が告白してしまおうか、なんてことさえ思ったりもした。

だがそれは無理だった。サトミの前に立てば動悸はバクバクと跳ね、顔は真っ赤に。呂律もろくに回らず、大した話をすることもできない。彼女からの私への印象としてはおそらく、どれだけ好意的に見てもたまに話すことのある友人、現実的に行けば、やけに挙動不審な女の子といったところが関の山だろう。そんな状態で告白なんて夢のまた夢だ。

それに第一、見たところ彼女は異性愛者だ。私の告白を受けてくれるなんてとても思えない。良くて、ごめんねと苦笑いされ、悪けりゃ気味悪がられてしまう。場合によっては嫌われてしまうかもしれない。

そう思うと私の心は一気に冷えた。彼女に気味悪がられるどころか嫌われてしまうだなんて。そんなこと断じて認められなかった。そんなことになるぐらいなら、私はただ後ろから彼女を眺めているだけでいい。彼女を見ていられるだけで、私は幸せなのだから。そんな風に思っていた。

そう、彼女が付き合いだした、という話を聞くまでは。

2.
サトミと付き合いだしたのは、これまた同じゼミのアイダ、という男だった。アイダがサトミと付き合いだしたという話を聞いたとき、ああ、これは叶わないと思ったものだった。だってアイダも、とてもよくできた人間だったから。性格は真面目、決して誰の悪口を言うことのない誠実さを兼ね備え、それでいて成績は優秀、授業態度も良好ときた。そしてスポーツも得意で大学対抗の選手に選抜されるほどの実力者、と来た日には、ああ、これは叶わないなと天を仰ぐことしかできないだろう。

それに、お二人はとってもお似合いだった。どこに行くときも二人は一緒。いつも二人とも幸せそうに笑っていた。一年たっても二年たっても、それは変わらなかった。きっとあいつらは終身添い遂げるのだろう、そんな風にささやかれていた。

私はただただ悔しかった。何であなたは、そんな目でその男を見るの。どうしてその目を私には向けてもらえないの。そんな思いは日々強くなっていくばかり。それは学年が上がり、臨床実習などがカリキュラムに含まれる学年に上がっても続いた。いやむしろ学年が上がれば上がるほどその思いは強くなっていった。どうしてあの男ばかり。どうして私には冷たいの。どうしてどうしてどうして。

でも、決して私はあの子を憎まなかった。あの男を憎まなかった。だってあの子を憎めば、あの子の選んだあの男を憎めば、それはまるで、私が嫉妬しているみたいではないか。私はただあの子と一緒にいたいだけ。嫉妬する余地なんかどこにもない。私はただ、あの子の隣であの子のぬくもりを感じられたらそれだけでいいのだ。

だけど。だけどそんなちっぽけな私の願いはかなわなかった。あの子が見ているのはあの男ばかり。あの子の世界にわたしはいなかった。それがたまらなく辛くて、苦しくて。

私はどうすればいいのだろう。考えて考えて考えて。彼女と一緒になるには。あの男を殺す?NO。それで私を見てくれるとは限らない。あの子を監禁する?NO。同じく私を見てくれるとは限らない。じゃあどうすればいい。私は考える。考える考える考える。

ふと思った。一緒になるには、食べてしまえばいいのではないかと。食べてしまえば、私たちはずっと一緒。一心同体だ。もはや、あの目にあの男が映ることもない。それは何と魅力的な案。

だが、慌てて首を振ってその考えを否定する。何を自分は言っているのだ。それにそれは許されないことだ。そんなことをした暁には私は間違いなく地獄に落ちることになるだろう。だがその考えはとっても蠱惑的で。それに地獄に落ちるごとき何だというのだ。彼女と添い遂げる代価が地獄に落ちることぐらいならそれは安いものだ。気づけばいかにして彼女を食べるかしか私の頭にはなかった。


3.
私はその週末、さっそく彼女を食べるための準備をすることにした。まずは彼女を家に連れてくるための準備だ。今からあなたを食べるので、ちょっと家に来てくれませんかと馬鹿正直に言っても彼女が家に来てくれるとは思えない以上、多少手荒な方法で彼女を家にご招待するしかない。

といってもそれはそう難しいことではない。私は医学部生だ。そうした拉致に使えそうな薬物へのアクセスなど他学部生に比べたらはるかに容易い。拉致に使うためのエタノールや、そのあとに使う多種多様な麻酔薬を容易に手に入れることができた。

お次は彼女を食べるときの付け合わせだ。一世一代の大舞台。ここで妥協はできまいと、お金に糸目はつけなかった。トリュフにフォアグラ、フランスパンに至るまでいいものを吟味したつもりだ。

そして最後は部屋の飾りつけ。彼女をせっかくご招待するのだ。あんまりぼろでは彼女に申し訳ない。とはいえ元が学生マンションの一室だ。あまり豪華にもできなかった。それでも今や塵一つも落ちていないほど部屋中ピカピカで、家具もシックでモダンなものに新調した。彼女をお迎えするには申し分ない状態となった。

そして仕上げはいよいよ彼女をお迎えする番である。といってもこれもそこまで難しい作業ではなかった。ちょっと教材でわからないところがあるから教えてほしい。そう言えば全く私を疑うことなく二つ返事で承諾してくれた彼女。車に教材を置き忘れたからちょっと取りに行ってくる、たくさんあるから運ぶのを手伝ってくれる?そう問えば何の疑いなくいいよ、と笑顔で答えついてくる。

後は簡単だった。車の陰で誰も見ていないことを確認してから彼女の口にエタノールをたっぷり含ませたハンカチを押し当てる。最初は信じられないとばかりに抵抗していた彼女だったけれど、数秒もたたないうちに意識を失い昏倒する。あとは家に連れ帰るだけだった。最低限の「処置」をした後椅子に縛り付け、彼女の覚醒を待った。


4.
ううん、といって目を覚ました彼女。最初自分が見知らぬところへ連れてこられ、椅子に縛り付けられている状態に少なからず動揺しているようだったけれど、それでも彼女は静かに問うた。

「こんなことをして、どういうつもりなの」

と。その声音は困惑に揺れてはいたけれど。そこには一片の敵意も含まれてなくて。話し合えば私たちはわかりあえるはず、そんな思いが込められていた。その声を聴いて、私はもう限界だった。せきを切ったように私は話しだす。あなたのことを愛していること、あなたのすべてが恋しくてたまらないこと。あの男しか見てくれないことが辛いこと、あなたに告白できない自分が情けなくて仕方ないこと。

そんな私の叫びを、彼女は黙って聞いてくれた。私の叫びをすべて聞いてた後彼女はぽつりと言った。

「あなたの気持ちに気づけなくて、ごめんなさい」と。そして「あなたの気持ちには答えられないわ」とも。「だってアイダさんがいるから」と。へなへなと力が抜ける。きっとそう言われるとはわかっていたけれど、いざそう言われてみるとやっぱり心に来るものがある。「ごめんなさい」と謝る彼女に、「ううん、謝らなきゃいけないのは私の方だよ」そう告げる。

そして彼女の背後に回り込むと彼女の背後にしなだれかかり彼女の頭に顔をうずめる。柑橘系のいい香りがする。「どうしたの?」と不思議そうな彼女の頭を一撫ですると、彼女に取りつけていたヘッドバンドをそっと外すと、そっと彼女の頭部に手をかける。不思議そうな彼女に構わず、私はカポンという音とともにあらかじめ切除しておいた彼女の頭蓋の上半分を取り外し、彼女の傍らに置いた。

「え、え?」

震える声を上げる彼女。薄紫色の脳髄が露わになるも傷跡から血が噴き出すことはない。主要な血管は事前に結索し、その他の血管も事前に塞いであるから。痛みだってないはずだ。脳髄自体には痛覚はないし、傷口にはたっぷりの麻酔をかけてある。

私は彼女に告げる。あなたが私の愛を受け入れてくれないことはわかっていたと。それでも私はあなたを諦めきれなかった。だからずっと私たちが一緒にいるためにあなたを食べることにしたのだ、と。

ようやく彼女も自分を待ち受ける事態を察したのだろう。「や、やめて!」そう言って暴れ出す彼女。だが厳重に縛られている手前、その抵抗は無益だ。「こらこら、暴れないの」そう後ろから抱きしめ銀のスプーンを手に取る。この日のために買った本物の銀のスプーンを。私を振り払おうと微弱な抵抗を繰り返す彼女の頬を一撫ですると、ぞぶりと慎重にスプーンを脳髄につきいれる。びくん、と震える彼女。

掬い上げた脳髄は薄紫色にキラキラ輝いていて、とってもきれいだった。そのままパクリと口に含む。甘くてしょっぱくて、不思議な味。口どけはふんわり柔らか、とろとろプリンのよう。ああ、私は今彼女と一緒になっているのだ。そう思うと胸から熱いものがこみあげてきて、頬を涙が塗らすのを感じる。ああ、幸せだ。一口、二口。スプーンを進める。

「美味しい?美味しい?」

そう調子っぱずれの声で尋ねてくる彼女に美味しいよ、とほほ笑む。良かった、と微笑み返してくる彼女。せっかくなので彼女にも食べさせてあげる。夢にまで見た至福の時間。彼女にあーんができる日が来るなんて。でも食べれば食べるほど彼女は静かになっていく。ちょっとそれが寂しかった。それでも食べる手は止まらない。

せっかくなので買ってきたトリュフとともに炒めて食べてみた。濃厚なトリュフの味と絡まり、得も言われぬ美味だった。彼女もおいしいね、と微笑んでいた。

だがそんな至福の時間もいつかは終わるもの。ついに最後のひとかけらをも食べ干してしまった。もはや彼女が私の呼びかけに答えることはない。そのことがちょっと悲しかった。

でも寂しくなんてなかった。これからはずっと一緒だ。彼女が通って行った私の胸をなでおろす。そこはドクンドクンと脈動していて、確かに彼女を感じられた。これからはずっと一緒。何物も私たちを引き裂くことはできないのだ。あのアイダ君でさえも。

ふと頭がぽっかりとがらんどうになった彼女の体が目に入る。そうだ、今度、そこにお花を生けよう。そうすれば彼女はもっと可愛くなれるから。そう思うと胸がドクンと熱くなった。ああ、きっと彼女も喜んでいるのだ。そう思うとたまらなく愛おしくて、私はもう一度、自分の胸をなでおろした。
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