『貧困のテーゼ』 御今覚筆

文字数 1,813文字

 おそらく私は貧困というものを知らない。買えないものがある以上、お金には困っているがしかし、お金といったものは売り手が私の所持金よりも高く価格を設定すればそれで足りなくなる。そういう意味で、お金というものは当てにならない。時代が変わればお金持ちも食べてはいけない。だから私の金欠は貧困とはまた違う。
 なんとかちょっとは社会のど真ん中で働くことができている。そういう意味で私には貧困というものは他人事だ。そしてそれでいいと思っている。
 おそらく私は貧困というものを知らない。愛に飢えているわけでもない。誰とも恋愛関係に発展したことのない私だがしかし、恋愛というものは動物的な本能に基づく生理的な現象と、そうではなく、人格を認め合う関係の、少なくとも2種類の恋愛がある。
 生理的な恋愛に私は用がない。生理的な現象である以上、抗い難いものがあるのはおそらくそうなのであろうが、だからどうと言うのか。私には用がない。生理的な欲望が生まれたときに、それを屈服させるだけの人格を今から作り上げておこうと思うだけの話。
 一方の人格的な恋愛も私は果たしたことがない。だがしかし愛にも仲間にも飢えているわけではない。だから私は貧困というものを知らない。
 私は貧困というものを知らない。持病のいくつかはあるけれど、それだって私が私を貧困だと思うほどの大病ではない。
 どうあがいても私は貧困というものを知らないし、知ろうと思う気もない。「いつか貧困な境遇に巻き込まれるぞ」と何かをわかったような間合いで私やそれ以外の人を脅す人を何人も見てきたが、それは君たちに言われなくてもわかっていることだ。備忘録としては十分ありがたいが、無駄口だとも思う。
 どうすれば貧困になれるのか。というより、この「貧困」の正体はなんなのか。知る必要はない。知ろうともしてない。だが忘れてしまうこともできない。
 お金にはいつだって困っている。愛情に包まれているわけでもない。病名に魂を受け渡したわけでもない。なるほど美醜や才能といった問題が「貧困」には関係しているのかもしれないが、私はたぶん醜くないし、少なくとも自己評価は「普通」。こだわるだけ無駄だと思っている。自分のアイディアでオシャレを考える瞬間が好きですらある。
 才能にも困っていない。困る必要がない。憧れがあって、そこに倍率がかかるような仕組みだったとして、それは誰かのでっちあげたゲームでしかない。遊びとしては十分だが、人生をかけるほど記録に意味を見出しているわけでもない。また人生はゲームじゃない。
 結局、私には「貧困」が必要ないのだ。この本音が私の心から欠乏を追い出していく。わざわざ実況してくる人もいるが、そんな人たちの井戸端で私がどう言われても、どっちでもいい。その人たちの自由な慈善活動に貢献できて気持ちいいくらいだ。さっきまで私の心の内外にあったそれが真実。そのことを私をどうにか処理している宇宙は知っている。それが絶対だ。情報操作などはいつの時代も醜悪さで食い繋ぐしかない「貧困」な魂の悲鳴だ。
 さて、こうやって書き連ねてくると、私が漠然と考えてきた「貧困」について私はひとつの仮説を得る。
 それは、私にとっての「貧困」とは人間を人間と思えないこと、そして人外を人間と思うこと。そういった仮説。
 今だって涼しい部屋で平日の17時にパソコンを使ってこんな文章を書いている。貧困どころか順風満帆だとすら言える。いや貧困なのだ。お金で勝負しきれない。恋人がいるわけでもなく、病院に行かなくていいわけでもない。アイドルになれるほど美しいわけでも、世界がこぞって買いに来るほど明らかな才能があるわけでもない。
 でも「貧困」じゃない。心が不足していない。どうすればこの喜びを否定できるか。
「それは簡単なことさ」
 そう犯罪の脚本を書く黒き天才はニヤつくかもしれない。認めよう。私はゲーテではない。シェイクスピアでもない。だから、そういった黒き天才に勝てるわけがない。
 その間違いない敗北の余地は、しかし次のことを証明する。
 今、私は「貧困」でなない。
 そして私は来るべき「貧困」との殺し合いで戦い抜きその「貧困」を屈服させるために今できることをすればいい。
 だから私は「貧困」というものが名前を変えて現れた先でも「それ」ではないだろう。
 君にとっての貧困はなんだろう。君は日本語が読めるのに貧困なんだろうか。
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