第6話

文字数 2,642文字

 驚いたのは鬼たちです。
 いつもと同じように畑を耕し、田んぼの手入れをしていたら突然南の方角から矢が飛んできたのだから当然です。
 鬼たちは、武器を持っていませんでした。
 刀も、弓矢も、鬼ヶ島では必要のないものだったからです。
 犬に噛まれた女の鬼が泣き叫びます。
 猿と雉の弓矢に当たった年老いた鬼が倒れました。
「みんな逃げろおおおおおっ!主様の館へ急げっ!」
大家族の長男、吉兵衛が叫びました。
 鬼たちはその声を聞くと、一斉に駆け出しました。
 若い鬼は年老いた鬼を助け、年長者は幼い鬼を助けながら。
 我先にと逃げる鬼はおりません。
 力の弱い鬼を先に逃がすように、強い力を持った鬼が盾になりました。

 とある家族の次男が、末の妹を庇って死にました。
 まだ若い鬼が、年老いた両親を庇って死にました。
 母親の鬼が我が子を護って死にました。

 それはまさしく、地獄絵図のようで。

 鬼たちには理解が出来なかったのです。
 何故、急にこんなことをされなくてはならないのか。
 自分たちは、どこかで人間の怒りを買ってしまったのだろうか。
 ただ。
 ただ、仲良くなりたかっただけなのに。


 「さぁ早く!早く中にお入りなさい!」
主様が大声で呼びかけます。
 鬼たちは大急ぎで主様の館の中に入りました。
 なんとか無事に館まで辿り着いたのは、元居た鬼の半分でした。
「一体、何があったというのですか。誰がこんなことを……。」
主様が言葉を震わせました。
 若い鬼が、息も絶え絶えに答えます。
「人間ですっ!三匹の動物を連れた人間が、急に襲ってきたのです!」
主様はその言葉を聞くと、さっと青ざめました。
 愕然とした表情のまま言葉を零します。
「……人間が……、しかし一体なぜ……」
若い鬼は項垂れて首を横に振りました。
 主様はその鬼の背を撫でると、逃げ切った鬼一人一人を労いました。
「皆さん、よくぞ逃げ切ってくれました。急な襲撃により、仲間の半数を失ってしまったこと、その悲しみを言葉で言い表すことは出来ません。全ては、私の対応の遅さに原因があります。人間とは私が話をつけますから、皆さんはどうか館から出ないで下さい。」
主様のこの言葉に、その場にいた鬼全員が目を見開きました。
「そんな!主様、おやめください!貴方には何の責任もございません!仲間を失ってしまった今、貴方まで失ってしまったら、我々はどうすればいいのですか!」
「そうです!おやめください、主様!」
主様はその言葉には答えず、ただ一度振り返って微笑んだだけでした。
 いつもと同じ、優しい笑顔でした。
 

 犬、猿、雉が鬼たちを倒している間、桃太郎は特に何もしませんでした。
 後ろから、その様子を静観しているだけです。
 武器を持たない鬼たちが、無惨に殺されていく様を、ただ見ているだけでした。

 桃太郎はただ、楽しんでいたのです。
 
 桃太郎は最初から、刀を抜くのは鬼の主と闘う時だと決めておりました。
 鬼の主というほどだ。
 きっととんでもなく強いに決まっている。
 自分の力が、その主相手にどれほど通用するか試してみたい。
 どれほど大きな鬼が来るだろうか。肌は青いだろうか、赤いだろうか。
 黄かもしれないし、緑かもしれない。
 大きく太い金棒を持っているかもしれない。鬼の主だ。それくらいは片手で扱うだろう。

 ああ、楽しみだ。早く闘いたい。

 「おおい!お前たち!」
桃太郎は三匹に声を掛けました。
「僕は鬼の主を倒してくる!お前たちはそのまま鬼を倒せ!」
「承知っ!桃太郎様、お気をつけて!」

 桃太郎は館を目指し、丘をずんずんと登っていきました。
 丘には沢山の木が生えていて、葉をざわざわと揺らします。
 葉の騒めきを煩わしく思った桃太郎は、その怪力で木を折りました。

 暫く丘を登ると、土に沢山の足跡が残っているのを見つけました。
 それが館に逃げ込んだ鬼たちのものであることはすぐに分かりました。

 桃太郎がその足跡を踏み消し顔を上げると、目線の先に人影が映りました。
 桃太郎が目を凝らすと、ようやくその人影を鮮明に見ることが出来ました。

 線の細い身体に、白い肌。
 焦げ茶色の、腰以上に伸びる髪とそれを束ねる和紙のような飾りが、風も無いのにゆらりと靡きました。
 長い前髪で左目がよく見えませんが、それでも、此の世のものとは思えない程美しい人であることは分かりました。
 桃太郎は、しばらくぽかんと口を開けていました。

 「貴方が、三匹の動物を連れて襲撃を仕掛けたという人間ですか。」
高い、中性的な声でした。低音というわけではないのに、そこには確かな威圧感がありました。
 桃太郎は、はっと我に返りました。
「いかにも!僕は、人間の住まう島国よりお前たち鬼を成敗しに来た桃太郎だ!お前たちの主に用がある。主の元に案内しろ!」
桃太郎は、まさか今目の前にいる者が鬼の主であるとは夢にも思わなかったのでしょう。
「私が鬼ヶ島の主です。」
という主様の言葉を聞いて、とても驚いた様子でした。
「な、なんだとっ?お前が?」
桃太郎の想像していた鬼の主と、実際の主様とが違い過ぎてなかなか受け入れられないようでした。
「……相手の力量を、見た目だけで判断しない方がいい。覚えておきなさい、まだ幼い人の子よ。」
桃太郎は、主様に子ども扱いされたことに対し気を悪くしたようでした。
「僕は子どもじゃない!もう立派な大人だ!」
「いいえ、違う。貴方は一つの側面でしか物事を見ることが出来ないでしょう?一つの物事を数多の側面から見ることが出来て初めて、人は大人になってゆくのです。」
桃太郎は顔を真っ赤にして反論しようとしましたが、主様がそれを先に遮りました。
「しっ…!」
人差し指を口に当て静かに一言発しただけで、桃太郎は声を出せなくなりました。
「言葉を、怒りに任せてぶちまけるのはおやめなさい。言葉は生きているのです。言葉を発する人の感情を吸って成長する。だからこそ、慎重に扱わなければならない。」
木々の葉が風に揺れて、ざわざわと泣きました。
「貴方たち人間に、何度聞いたか分からなくなるほど聞いた事をもう一度聞きます。」
主様は、酷く暗く寂しげな顔で言葉を紡ぎました。
「どうしてですか。何故、こんなことをするの。こんなことをしなければ生きていけないの?貴方たちが本来持っている優しい心は何処へ行ってしまったんです。」
それは、静かながらに悲痛な叫びでした。
「彼らが、貴方たちに何をしたというんですか。ただ、人間と仲良くなりたかっただけだというのに。」
 
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