第1話

文字数 12,492文字

■ 書籍のある情景
◆プロローグ
*本を買いに行く日の情景
近所の商店街にも小さな本屋さんはあるのだけど、休みの日に電車で少し行ったところの繁華街まで出て、大型書店を見に行く。電車の中で「今日のお目当てにしているあの本はまだ置いてあるかな。もしなければ、あっちのにしようか」などと想いをめぐらせていると、もう降りる駅に到着。月に一度、行けるか行けないかの私の愉しみ。
  
書店に入ると、真っ先に目的のジャンルの棚に行く。
「あった」
「これと、あとは何にしようかな」
予算は1回、1万円ぐらいまでと決めている。これだと、たいてい専門書で2,3冊は買える。
  
「この分野もやりたいな。あっ、この著者は こんな本も出しているんだ」
「あぁ、これね。これ何年版かな。意外と古い版なんだ。これの最新版が出るといいのにな」
などと、書架に並んでいる本たちを眺めているだけでも、とても心が喜ぶ。
  
書店の店内には、かなりの数の他のお客さんが本を見に来ていて、その数の多さに安心する。
「私のように本が好きなひとたちがこんなに居るんだね」
  
書店を出てその近所の珈琲店に入り、さっき買った本を出して、まえがきや目次、著者紹介、最初のほうの章。このひとときが至福の幸せ。
  
  
*この稿の概要
いま、こういう至福の時間が(かす)んでなくなろうとしている・・・
書店に着いたとき、まず思うのは「この書店、まだ開いていた」
しばらく行かないと、大手の名の知れた書店でも、知らぬ間に閉店しまっていることが最近増えた。
もう今あるお気に入りの書店は、微力ながら私が買い支えなければとすら思ってしまう。
  
この稿では、出版、製本、書店の業界をなんとか再生する方法はないものか。
これを私なりに考えてみようと思う。
後半では書店・出版界の未来予想図を描き、2通りのシナリオを映し出してみよう。
「書籍のある情景」に今後も未来はあるのか。読者も伴に考えてみてもらいたい。
  
  
◆蔵書主義
*本を買うひとは意外に少ない
若いひとの活字離れとか、本が買われなくなったというニュースを聞くようになってから久しい。
でも「本が好き」というひとの中にも、本を買って蔵書にしておくひとは意外と少ない。
私の周りのひとたちへのアンケートなので、ちゃんとした統計ではないが、「本が好き」というひとのうち、蔵書として持っておくというひとは2割もいない。一度、読んだら古本市場に売却してしまうひとや、図書館で読めるから本はあまり買わないというひとが大半であることに驚く。
  
渡辺昇一『知的生活の方法』(講談社現代新書,1976)では、知的生活における蔵書の効用が語られており、私はその「知的生活」なるものに(あこが)れ、本を買って自分の蔵書にしておくというスタイルが身に付いてしまって、せっかく出逢って、うちに連れてきた本たちを手放す気には到底なれない。その結果、本の置き場に悩んだり、引っ越しの際はとても大変な思いをするのだが、そういうライフスタイルのひとは少数派であることを周りのひとたちとの会話の中で知った。

この稿では私のように本を買って蔵書にしておくスタイルのことを「蔵書主義」と呼ぶことにする。
そして本好きのひとのうち約2割ほどの蔵書主義のひとが書店で本を買うひとたちである。
本を買って、読んだらすぐに手放してしまうひとたちは、別に本でなくてもデジタル版で内容さえ読めればいいのだし、図書館で読むこともできるので、あまり本を買わないのかもしれない。そういうスタイルもまたあっていい。
  
  
*デジタル書籍
書店や出版業界が危機感を持っているのは、このデジタル書籍の存在だろう。
今後、書籍に限らずデジタル・コンテンツは限りなく無料で提供される方向に進む。デジタル・コンテンツとは、パソコンやスマートフォンで扱えるデータとして、我々が取得できる出版物やアプリなどの制作物のこと。これらは最初の制作にはとても労力とお金が必要だが、一度(ひとたび) できあがると、その複写や送信には、ほとんどコストも掛からず一瞬のうちにそれができてしまうという特徴を持つ。

そして、このデジタル・コンテンツを扱うIT技術は、中間手続を簡素化して、生産者と消費者を(ちょく)(つな)げていく。今まで中間業者が入り、ひとの手で準備され運んで店頭に並べていた流通の在り方をIT技術は根底から変えてしまった。

このように、デジタル・コンテンツが持つ複写と配信が容易という特徴と、流通面での簡素化によって、デジタル・コンテンツは ほぼ無料で配られる時代になっていく。もちろん、コンテンツを作るには膨大な投資が必要であるし、出版物の著者の生活だってあるので、その分は別の方法で利益をあげて、資金回収や著作料を支払っているのである。

ちょうど、検索サービスを提供する会社が無料でサービスを使わせていたり、動画閲覧サイトや、画像投稿サイト、ブログサイトなどを始める際、無料でそのサービスを利用できるのと似ている。これらのサービスを無料で提供して別の方法で利益をあげているのだが、その話は本稿のテーマではないので、話を戻そう。

書店、書籍問屋としての取次店というのは、前述の中間業者の位置にいる。
そのため、買い物サイトで注文すると翌々日には自宅にその商品が届くという流通システムが普及すると、書店や取次店などは不要になり、産業として淘汰(とうた)されてしまう。
  
  
*書籍の良さ
そうは言っても、本好きな私にとって、書店が無くなってしまう未来は想像もしたくないほどに寂しいものである。本には本の良さがある。本の良さは改めて語らなくとも本好きのひとにとっては解りきったことだろうけれども、書店の行く末を心配し、なんとか書店を活かす道はないだろうか考えてみたい。これを考えるのはドン・キホーテのような単なる懐古趣味(かいこしゅみ)(=古きを(なつ)かしむ好み)であろうか。確かに「本が好き」というのは一部のひとの好みなのだが、この節では本の良さを改めて見ていこう。
  
デジタル書籍さえあれば著作の内容も分かるし、それで十分だろうか。調べものをしたり、数冊分の内容をまとめたりするときに、デジタル版だとパソコンやタブレットの(せま)いモニタ(=表示画面)に何枚ものウィンドウを重ね、必要なページが出るまでスクロールしていく手間は結構大変で、そのうえ自分が記述するアウトプット用のウィンドウまであると、ごちゃごちゃして、もうこれを切り離して外に出してしまいたいと思うものである。モニタが何個もあってマルチ画面で見れるなら多少は改善するけれども、紙の書籍を何冊も開いてあちこちページをめくってパソコンの脇に置きながら、パソコンは入力専門にしたほうが遥かに仕事の能率は上がる。紙の書籍はたくさん並べても参照しやすい。この特徴のことをこの稿では《一覧性》と呼ぼう。ただしデジタル版は複写したいときに一瞬でできるので、引用を多用するときにはデジタル版のほうが向いている。
  
以下、「紙の書籍」の利点に名前を付けながら概観してみよう。
《総覧性》 書架に並んだタイトルを一望でき、目的の書籍を一瞬で手に取れる良さは紙の書籍ならではであろう。これは自宅の蔵書だけでなく、書店の書架にも当てはまる。サイト内で書籍を探すのは手間が掛かるし、まずその書籍の存在を知らないと検索すらできない。出版社のサイトで書籍名を知らなくても出会えることはあるが、いろいろな出版社の多様な書籍を一望に総覧できるのは書店ならではの強みである。
  
《瞬覧性》 デジタル書籍はパソコンやタブレット、スマートフォンなどの機器がないと開くことができない。サーバー上にデータを置いてある場合は、それに加えてログイン(=本人確認の電子署名)もしなければならない。ちょっとの手間だが、これが意外と面倒で、あのページだけ少し見て確認したいというようなとき、本当に必要なもの以外は わざわざ機器の電源を入れてログインまでして見たいとは思わなくなって(あきら)めてしまう。紙の書籍が書架にあれば、手を伸ばして開くだけなので、そういうアクセスの良さが紙の書籍にはある。
  
《即物性》 書店で欲しい本があれば、その場で買って持って帰れる。いやデジタル版なら一瞬でダウンロードできるのであるが、いやいや私は紙の書籍のほうが欲しいんだ。ってなると、買い物サイトなら届くまで2,3日待たなければならない。書店ならすぐにその場で買って帰れる。これは完全に私の好みの問題ではあるが。
  
《保存性》 これはあまり気付かない視点だけれども、紙の書籍には証拠能力がある。デジタル書籍だと誤植の修正はラクだけれど、簡単に元の内容を改訂してしまうことができる。それに配信停止となればサーバーからデータを消すと、もうそのデジタル書籍にはアクセスできなくなる。紙の書籍だと、ずっと活字として残るので、今は改訂したけれど、昔はこんなことを言っていたというのが全て残る《証拠性》。それに一度買って手にしてしまえば、その後、絶版というのはあるけれど、その本を手にしているひとの元にはデータが残る。そういう意味でのデータの保存性の良さが紙の書籍にはある。
  
《知的効果》 本当の知的生活をしているひとには、そのひとの雰囲気で知的な薫りを醸し出しているので、ここで述べることは必要ないけれど、むしろ普段、本を買わないひとが手に取ってみたくなる動機にはなるかもしれない。例えば喫茶店でデジタル書籍をタブレット等で読んでいるのと、紙の書籍で読んでいるのと全く同じ内容を見ているのに、紙の書籍を読んでいるひとのほうが「まじめに勉強している」「賢そう」と見える効果があるように思う。書店や出版社がCMなどでプロモーションするならこの種の知的効果のようなものをアピールするといい。普段から本が好きなひとは黙っていても自分から本を買うのだから、普段 本に興味のないひとは、こういう契機から入ってもいいのかもしれない。
  
この節で見てきたように「本には本の良さがある」。単なる懐古趣味ではなくそう言えるのである。紙の書籍の利点をまとめると、一覧性、総覧性、瞬覧性、即物性、保存性、証拠性、知的効果と挙げることができる。そしてここで指摘した利点の多くは書店だけが提供できるサービスでもある。
  
デジタル書籍の利点と、紙の書籍の欠点も挙げておくと、デジタル書籍は検索性、複写性、配信性に優れる。容量が小さく保管のために部屋を圧迫しない、軽い、紙の書籍ように劣化して黄ばんだり、カビなどを心配する必要がない。
  
  
◆出版社の未来
*図書館の存在
新刊が出ると図書館は まとめて購入してくれるのだが、その後、市民に無料で貸出をする。これが本来 売れるはずであった新刊の売れ行きを下げてしまうと、作家の百田尚樹氏も語っていた。作家さんの収入となる著作権料にも影響を与えるのである。
  
ちょうど昨日(2021年5月26日)のニュースで、著作権法が改訂され、図書館の保有する書籍の電子データ(=デジタル書籍)をメール配信することが著作権法上の制約を受けずに可能となったというニュースを目にした。これは図書館の利用者にとっては朗報かもしれないが、出版社や作家さんにとっては耐え難いニュースだろう。メール配信された電子データは、メール時の1回きりではなく、それを複写して友人間や取引先などに次々と拡散していくのである。実は図書館における「紙の書籍の貸出」というのは、これと同じことをしている。その延長でデジタル書籍にも適用したつもりなのかもしれない。しかしデジタル書籍は簡単にコピーして送信できるので、紙の書籍の貸出とは意味が変わってくる。これが実用化されると誰も本を買わなくなるだろう。
  
図書館は稀覯本(きこうぼん)(=貴重で入手しづらい本)の収集や歴史的文化的に価値のある資料の収集をしてくれている。民間には高価すぎて手が出ないような書籍・資料を公費で収集・保管をしてくれているので、その分野に関心のある市民や研究者にとって、とても助かるありがたい施設である。しかしその本業を離れて、民間の出版社や街の書店と同じように、新刊や流行本を扱う意味はあるのだろうか。出版社や書店にとって、図書館は大口顧客でもあるが、明確に競争相手でもある。しかも官業が民業を圧迫している典型的なケースである。
  
  
*アーカイブ産業としての出版社
出版社の未来を考える上で、前述のように「デジタル・コンテンツは限りなく無料化していく」という時代の波を真っ向から受け止めなければならない。本が形になるまでには、作家さんがそれを書き、出版社でそれをまとめ、印刷製本し、書店に配送する。どうしたって無料ではできない。
  
出版社のいちばんの強みは、版権(=著作物を出版する権利)を持っていることである。出版社は今後、自らの持つ版権を次々とデジタル・コンテンツ化して無料で配信していくしかない。出版社がそれをしなくても、前述のように図書館が無料配信してしまうだろう。WebアプリなどのIT業界も参入するかもしれない。
  
著作権保護のためにPDF版(=データの種類のひとつ。複写禁止機能がある)などで配信しても、複写することは意外と簡単にできる。もうコンテンツに鍵を掛けて管理したり、著作権違反を取り締まるためにネット上を監視したりするのは、時代の波に逆らう行為だと私は思う。時代の流れに反して「紙の書籍」を残そうとして、本稿を執筆している筆者と同じではないか。ネット上を完全に漏らさず監視することなど事実上 不可能で、それをするコストも膨大になるだろう。
  
出版社は巨大なサーバーに版権著作物をデータベース化して保存するアーカイブ産業になっていくのが良いと思う。上記のように配信するデジタル・コンテンツには著作権の鍵は掛けずに配信するが、出版社の管理するデータベースへのアクセス権を法人相手に有料化していく。
  
どの企業も膨大なデータを自社で保管しておきたくはないもので、デジタル書籍を配信するIT企業も全てのコンテンツのデータを自社で管理していくわけにはいかないだろう。月額いくらかでデータベースに自由にアクセスでき、膨大な著作物のデータを保管してくれる企業があれば、喜んで業務委託すると思う。いま「クラウド・ソーシング」と言って自社のデータすら自社サーバーを持たず他社に業務委託してデータ管理してもらう企業が増えているぐらいなのだから。
  
  
*高精度OCR
OCRとは Optical Character Recognition(光学式文字読取)の略で、活字や手書き文字などを画像データとして取り込み、編集可能なテキストデータ、文字コードに変換する技術のこと。現在の精度で書籍を丸ごと文字データにして、誤字や変換違いなどを起こさず正確にできるものだろろうか。

OCRは欧米で開発されたものが多く、アルファベットのようなラテン文字の読み取りは得意だが、漢字と仮名文字の混じった日本語の読み取り精度はどうなのだろう。筆者はこの分野に詳しくないのでその技術的進度についてはよくわからない。日本語の高精度読み取り技術は、日本語を母語とするひとの手で開発するのが良いと思う。現在は逐語変換で一語一語を画像として読み取りそれにいちばん近似した文字を当てはめる形で変換しているものが多いように思う。下手をすると中国の簡体字に変換されてしまったりする。結局、ちゃんと読み取れているかどうかを、最後は人の目で校正し直さないといけない。
  
書籍を丸ごとOCRでデジタル化して、ほぼ誤字のないレベルまで精度を上げられるのなら、「自動デジタル変換器」を作ってほしい。これは出版社が積極的に投資をして世に送り出してほしい機械である。現在でもスキャナーに1ページずつページをめくって、コピー機のように画面に押し当て読み取らせることはできる。これを本数冊セットしておけば、自動でページをめくって、全てのページを読み取ってくれる機械があるといい。
  
デジタル・コンテンツを簡単に取得できる一般消費者にはあまり必要ないかもしれないが、書籍を電子データ化したがっている図書館や、大学などの研究機関には一定の需要がある。出版社が持つ膨大な版権著作物をデータベース化するには、どうしても必要な機械でもある。
  
これができると、すでに絶版して入手できなくなった書籍が、出版社データベースに行くと、デジタル復刻版として再び読めるようになる。絶版本の復刻はこのデータベースを他社と差別化しデータベースの魅力をとても高めることになる。
  
また活字化していない毛筆草書体の歴史的な資料などを写真と併記する形で文字起こしをしてデジタル出版することもできる。これまでは一部の研究者にしか需要がなく、紙の書籍として出版しても採算が取れないという理由で出版が見送られてきた資料なども、出版社データベースで積極的に公開していくことも可能になる。
  
そうなってくると、本来は図書館の仕事であった稀覯本の保管や資料収集を出版社データベースが担うことになり、図書館のほうから「御社の出版社データベースを利用させてもらいたい」と言って契約を申し込んで来るかもしれない。
  
  
*出版社の未来まとめ
今後の出版社はシンプルに言うとサーバー屋、データベース屋さんになる。現在の「紙の書籍」の出版事業だけでは残念ながら非採算事業になる可能性がある。それでも、本好きのうち蔵書主義のひとは、紙の書籍を買い続けるし、大型図書館は「紙の書籍」を地下の書庫で保管し電子データ化して利用者に配布するので、紙の書籍の需要は小規模ながら存続し続ける。なのでデジタル・コンテンツの事業で利益を上げることができれば、今後も紙の書籍の出版事業を続けていけるのではないだろうか。むしろそうして欲しい。というのが本好きなひとたちの切なる願いである。

それと、出版社の本来の魅力は、まだ世に知られていない作家さんを見つけ出して、書籍という形で世に送るというクリエーター発掘事業である。この稿を投稿しているサイトは、講談社主催の「Novel Days」という作家投稿サイトである。こういう新たなクリエーターを見つけ出し、世に出していく事業はとても面白いと思うし、今後も出版社の魅力であり続けるだろう。
  
  
◆印刷製本業の未来
*小型製本機
印刷は今やコピー機でもできるし、「紙の書籍」が姿を消してしまえば製本業そのものが成り立たなくなってしまう。それでも「紙の書籍」の利点は前述したように「本には本の良さ」があって、きれいに製本してくれる機械があるなら、一定の需要があるように思う。そこで提案なのだが書店の裏にも置いておける大きさの小型製本機を製本業界が投資をして作ってもらえないだろうか。
  
著作物のデータは前述の出版社データベースから取り寄せて、書店の裏で、きれいに製本して出してくれたら、絶版本でも、書店の書架に並んでいない本でも、オンデマンド出版(=必要なときに必要なものを供給する出版)が可能になる。データだけなら今でもデジタル書籍があるし、印刷したければプリンターやコピーで出せるのだけれど、乱雑に紙ばかり増えるのは困ったもので、それをきれいに製本できる機械があるなら私も欲しいぐらいである。
  
この小型製本機とそれを制御するプログラムは、いま印刷製本に携わっている製本業界のひとにしか作れない。いま現在持っている製本技術をプログラムの形でマニュアル化して後世に(のこ)しておいてもらいたい。
  
  
◆書店の未来
*オンデマンド出版
今でもネット書店では事務所1つと注文を受けるパソコン1つあればできるので、今後、書店には書架に本を並べた今までのスタイルではなく、小規模店舗化が進んでいくと予想される。また前述の出版社データベースと、小型製本機ができてからの話だが、書店の裏に製本機を置いて顧客がパソコン端末で操作し10分程度で本として仕上がって、それを買って帰る。製本中の時間のために喫茶店のようなスタイルになるかもしれない。本好きなひとたちが集まるので、知的なサロンのようになっていく可能性もある。
  
  
*大型書店
「紙の書籍」の利点で述べたように、書架にたくさんの本が並んでいる《総覧性》こそが書店の魅力であるし、大型書店の品揃えの良さが好きで、電車に乗ってまで大型書店に買いに行くのである。しかし、デジタル・コンテンツが充実して、ほぼ無料で手に入るようになると、大きな売場面積を必要とする大型書店の存続は今後 難しいだろう。
  
そこでひとつ提案すると、今後 大型書店を非営利法人のようにして、地域コミュニティの側がお金を出資して、招致するスタイルにするのはどうだろう。クラウド・ファンディング(=不特定多数からの募金をネットを通じて募集する基金)を地域規模にしたようなものである。例えば、〇〇シティというまとまった規模の地域コミュニティがあったとして、その中心部に大型書店を誘致して、喫茶店のようなものも併設する。その建設費用や移転費用、事業の運営コストは、誘致をしたコミュニティのメンバーが出資をする。もちろんその書店はその地域コミュニティ以外のひとたちも利用可能である。利益が出なくても地域コミュニティのメンバーの会費で存続し、利益が出ればメンバーに分配される。
  
今のように街に当たり前のように大型書店がある状況では、出資して招致するという発想には なかなか成らないが、一度 大型書店が消滅してしまう社会を想像してみると、大型書店が街にあることは決して当たり前ではなく、現にいくつもの大型書店が閉店して消え始めているのである。一度、大手企業の書店にこの地域クラウド・ファンディング型の出店を実験してもらいたい。意外と利益になるものか、それとも地域コミュニティの負担が大きくなりすぎるか。そこはやってみないことには判らない。
  
少なくとも大型書店はそこに存在してくれていること自体がありがたい。非営利法人化というのは、そういう発想である。それは本好きの私だからそう思うのであろうか。本当に大型書店が世の中から消えても、本好きなひとたちは一定程度いるので、やっぱり街に大型書店が必要ということになったら、みんなで出資してでも誘致しようということにならないだろうか。
  
  
◆書籍社会の未来予想図
ここでは2通りの未来社会シナリオを描いてみようと思う。
ひとつは書籍の全く存在しなくなった社会である。
もうひとつは、前述した出版社の未来・製本業の未来・書店の未来が実現した社会をイメージしてみよう。
  
  
*書籍の全くない社会
今から何十年か後、書店や出版社が姿を消し、昔話になってしまった社会を想像してみよう。
孫の手をひいて散歩に行き、この時代でもまだ存続している図書館にでも行くとしよう。中央図書館などの大型図書館に行けば地下の書庫に、実際の紙の書籍はまだ保存しているらしい。一般公開はしていないので誰もその姿を見た者はいない。市民が利用できるスペースに行っても、昔のような書架はなく、ただ整然とパソコンの端末が並んでいるだけで、紙の書籍を見ることはできない。図書館の利用者はデータ化されたデジタル書籍をその場で閲覧するか、データをダウンロードして持ち帰る。もちろんこの場に来なくても自宅に居ながらオンラインで図書館のデータベースにアクセスすることも可能で、利用料は無料である。
  
古本市場は健在で、むかし懐かしい紙の書籍を見ることができる貴重な場所である。しかし新刊のときよりも高価で取引され、庶民には手の届かない行きづらい場所であることは確かだ。紙の書籍を出版していた出版社が軒並み居なくなり、全ての書籍が絶版状態になってしまったので、現存する書籍が高価で取引されるのはやむを得ない。
  
それどころか今や、紙の書籍を保有すること自体が贅沢で高価な趣味となり、本の内容に関係なく、本を持っていることが「富裕層の象徴」のようになって奇妙なブランドのようになってしまった。
  
孫の世代などは現物の紙の書籍を見たことがないひとたちも多く、昔は本屋さんというのがあって、本棚にたくさんの本が並んでいたと話すと目を丸くして驚く。この世代の子たちは書籍というのはデジタル書籍のことで、パソコンやタブレット、最近では空中にモニタを浮かすヴァーチャル・モニタで文字を読むのが普通である。
  
人によっては仕事中に何冊分ものモニタを空中に浮かべて仕事をしており、あんなにあっては操作するだけでも大変だろうに、設定を忘れてトイレなどに立つと、そのたくさんのモニタたちも用もないのにぞろぞろと付いてくる。同僚などに、いやそれ置いて来いよ。などと注意されて、あわてて設定をし直したりしている。その空中モニタは普通は他人には見えず、社内のひとなど共有設定をしているひとにだけ自分のモニタが見える仕掛けである。
  
何人かにインタビューもしてみよう。
ビジネスマン「仕事をする分には紙の書籍は必要ありませんね。データの共有や送受信を考えると紙ベースの書類のやり取りをしていた時代には効率がわる過ぎてもう戻れません」
確かに、仕事の効率だけを考えるとそうかもしれませんね。
  
孫の友達「へぇ、いいなぁ。紙の本で読んだことあるんだぁ。ねぇね、どんな感じ?くわしく話してよ」
妙に憧れを持っているひとたちも中にはいるようだ。
  
こんな書籍のない未来社会。
本好きな私としては、とても寂しい情景である。
  
松本零士『銀河鉄道999』(少年画報社・小学館, 1977-1999)において主人公の鉄郎が訪れたある星で「へぇ、君は合成ラーメンではなく、本物のラーメンを食べたことがあるのか。すごく、うらやましいなぁ」というシーンがある。「合成ラーメン」のほうも作り方が違うだけで味は「本物のラーメン」と さほど変わらないはずである。「デジタル書籍」と「紙の書籍」、内容は同じものでも「紙の書籍」に郷愁を抱く私のようなひとも居るのだから、やはり「合成ラーメン」では得られない何かが「本物のラーメン」にはあるのかもしれない。
  
  
*書籍のある情景
これも今から何十年か後の話。初めはコネクトシティという触れ込みで始まった。コネクトというのは(つな)がるという意味である。人や物流がロボットや自動運転車で(つな)がるという意味の実験都市として開発された。私はこの都市ができた当初に面白そうだなと思い住み始めた。買い物は自宅の端末で注文すれば、建物の地下にある物流交通網を自動運転車が行き交い、注文した品物を私の住む建物のの地下まで運んでくれて、そこから静音エレベータで、しゅーっと音もなく上に運び、コトンと各家庭の部屋の中にある集荷ポストに届けてくれる。速いときなら15分程度で注文した品が届く。
  
こんなに便利だと、ひとは全く外に出歩かないかというと、そうでもない。ほぼ2日か3日おきには近くの商店街まで散歩をしに行く。出掛けようとすると頼んでもいないのに、自動運転車が建物の1階の前の道に待機していてくれる。さすが元は自動車会社が企画設計した都市だけのことはある。私は歩いて行くのが好きで、歩いても商店街までは4,5分なので、「今日は歩いていくからいいよ、ありがとう」と言うと、そのロボット車は少し寂しそうにして、音もなく次の乗客が待っているどこかに消えていく。
  
商店街にはファッションのお店や食料品店などが軒を連ね、買い物は自宅でできるというのに買い物に出てきたひとたちで(にぎ)わっている。やはりファッションは現品を直接見て買いたいという気持ちはすごく解る。その他の品もそれが好きなひとは、やはり現品を見て買いたいものなのだろうか。そういうわけで商店街の風景はひと昔前の商店街の風景とあまり変わらない。
  
私のお目当ては商店街の中心から少し外れたところにある書店カフェ。これはこのコネクトシティの住民の皆さんで基金をつくり招致した大型書店である。基金と言っても各世帯で月額1000円。この時代のコーヒー1杯ぐらいの出資である。集客力のあるこの施設は、ひと昔前でもデパートの最上階や地下にあったが、今でも商店街の外れにあって多くのひとたちが来客する人気の施設である。
  
今日は特にこれといった欲しい本があるわけではないので、好きなジャンルの書架に行って、どんな本があるのか眺めてみる。大型書店の品揃えの良さはそれだけで心がワクワクする。いつも(ちり)ひとつないキレイな状態で保管しておいてくれる。
「あっ、この著者の最新版が出たんだった」
ちょうどその巻だけ書架から抜けている。もう誰か先に買っちゃったのかな。そんなときは書架に併設してあるモニタ端末で検索して[すぐに製本]のボタンをポチッとする。そして会計を済ますと、書店の裏でその場で新しい本を製本してくれる。なんだか魔法みたいだ。
  
製本ができあがるまで 12分とのことだったので、すぐ(となり)にある書店カフェでコーヒーを飲みながら待つ。本好きのひとたちが集まるこのカフェでは、自然と知り合いになるひともいる。今日は来ていないけれど、私の知らない分野にとても詳しいひとがいて、その分野で何かいい本はないかな。と相談すると、あぁそれなら、ちょっと待っててと言って隣の書店に行ってその本を持って来てくれたりする。このカフェには未会計の本の持ち込みは禁止なのだけど、常連さんなら大目に見てくれる。本好きなひとは著者や出版社、それに書店に普段から感謝の気持ちを抱いているので、立ち読みや座り読みなどで買いもしない本の中身だけ盗み見るようなひとは誰もいないので安心してください。
  
本ができた。新しい紙の匂いとともに店員さんが持ってきてくれる。ありがとう。
できたての本を、コーヒーを飲みながら、まえがきや目次、著者紹介、最初のほうの章を読む。
このひとときが最高に幸せな時間・・・
  
  
◆エピローグ (あとがき)
普段から、書店や出版社さんが採算を取っていく方法は何かないものかと、誰に頼まれるでもなく勝手に考えて空想していた。「なんとか本のある情景を残していきたい」と思うから自然にそれを考えるようになったのかもしれない。
  
ノンフィクションというお題でしたが、後半の未来予想図は現実世界を分析した上での提案と、近未来シミュレーションなので、お許し頂けると ありがたいです。投稿機会のコンテストと、投稿フォームの「Novel Days」というサイトを作ってくださり、本当にありがとうございます。
  
「書籍のある情景」、それは本好きのひとたちの切なる願い。
今後も書店や出版社さんが居てくれますように・・・
  
<完結>
  
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