第1話 厳冬の予感

文字数 1,662文字

 人類が月に進出して数十年。第13コロニーの独立宣言を皮切りに、地球との激しい抗争が勃発した。やがて戦乱は静まり、統一国家「ルナ」の独立が承認された。
 それから15年。その日は独立記念の祝日であった。
 母親が地下室にやってくると、青年が熱心にPCをいじっているのを見た。
「リュウや、ここで何をしているんだい」
「ああ、空を見ようと思ってね」
振り返ることもなく答える。青年は遠い彼方を見ているようだ。
「変なことを言うものだね」
と、呆れた様子である。コロニーは円柱状で、軸を中心に回転する。内側面に居住区域が広がり、それゆえ住民は空を知らない。
「それはそうと、今日は祝祭だ。暇なら街に行ってきな」
そう言って母親は去っていった。
「あと、餌やりを忘れずにね」
 そうしてしばらく没頭していると、犬の鳴き声が青年を呼ぶ。
「しまった、ガルムに餌をやるのを忘れてた」
急いでPCを閉じようとするが、動作が遅く保存ができない。そんな中でも無頓着で騒々しい鳴き声。しかたなく餌を持って部屋を出た、そのとき
「おい、リュウ、何ぼうっとしてる。早く逃げるぞ」
大きな怒鳴り声がした。燃えるような赤い目と髪の、赤髭の大男である。
「チョウ…あれを見ろ」
「なっ…」
それは、チョウほどの大男ですら跪かせる恐怖であった。
ー午後3時28分・第23コロニー停止ー
「止まった…」
コロニーが停止し、激しい轟音とともに降り注ぐ石の雨。家屋の倒壊が始まり、中心部の照明が消える。光は失われ、原初の「暗闇」が戻った。光は闇の中に輝いていたが、闇はついに打ち勝った。その日、第23コロニーから昼が消えた…
 地下避難所は突然の人の波に襲われた。逃げ延びたのは僅か数千人。寒さと恐怖に震える人々、生に飢える人々で溢れかえる。安堵と恐怖と苛立ちとが混ざった、いびつな雰囲気であった。
「救助はまだか」
「こっちに怪我人がいるぞ」
「重症患者を優先しろ」
…第23コロニーの停止から、数時間が経過…未だに原因は掴めていません。大規模な火災……ガ…生、倒壊したビルで雪崩の危…ガー…県は救助を続けていますが、依然として状況は悪化の一途を辿……避難所の住民は……ガ…
「どうした!」
「ラジオの故障か?」
あたりが騒然とする。
「いや、壊れた様子はない。通信障害だ」
そう答えるやいなや、リュウは突然震え、頭を抱えうずくまった。ガルムがまた共鳴する。
「おいリュウ、どうした」
「チョウ、嫌な予感がする」
「何が…」
そのとき、一つの轟音が一瞬にして避難所の喧噪を無に帰した…
 同時刻、午後8時00分。第23コロニー県庁、県知事室にて。
「どうして援助が来ない!」
怒号が飛ぶ。
「本部との通信が途絶しています」
電話が鳴り響く。
「救助は」
「ただいま消防や警察を総動員しています。しかし何分被害が甚大で」
「被害はどのくらいだ」
「ほとんどの家屋が崩壊、死者数は50%を超える見通しです」
「避難所は」
「非常用物資の提供が間に合いません。キャパオーバーです。コロニー間鉄道が全面的に運行を停止しています」
照明が蛍のように点滅する。
「とにかく老人や子供、病人を優先して避難させろ。地下トンネルからの移動を呼びかけろ」
県庁は戦時中のような雰囲気に包まれていた。
「ところでテュール君」
「はっ」
「私の息子の安否を確認できるか」
「了解です」
「フレイの血を絶やしてはいけない。それに息子は、私よりも賢い。この先必ず…」
「失礼」
ある一本の電話が届いた。
「…な、なんということだ…知事、早くここからお逃げください」
「何を言う、一体何があった」
「それが…」
暗闇から光が生まれた。ただしそれは、人々を焼き尽くす業火であったが。
「そんな馬鹿な…」
ー午後8時5分・第23コロニー核融合炉爆発ー
それは一瞬の出来事だった。コロニー内部に残された500万人のほとんどが、一瞬で塵と化した。なんとか自重を支えていた外壁は、ぴんとはった紐が切れた勢いで崩れ落ちた。遠く離れたコロニーでさえ響き渡るであろう、無音の雷であった。長い夜の訪れを告げる、最後の夕暮れであった。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み