第１０話　捜査依頼①

　階段を上がっていく秀一(しゅういち)を見送っていたら、突然リビングの扉が開いた。

「正語(しょうご)くん、お帰り！　待ってたよ！」

　ささ、こっちこっちと父親の正思(しょうじ)が腕を組んできた。

「なんだよ！」

　気持ち悪い。正語は腕を払う。

「正語さん、来て。話があるの」

　リビングの奥から母親の光子(みつこ)の呼ぶ声がする。
　仕方がない。正語は部屋に入った。

　光子はピンクのバラ模様のソファに腰掛けていた。
　正語は対になっている一人掛けの椅子に腰を下ろす。
　白いテーブルには、豆大福が入ったプラスチック容器、瓶ビールとグラスが二つ乗っている。

（……大福つまみにして、酒飲んでたのか……）

「正語くんも飲む？　グラス持ってこようか？」と正思。

「夜中に、糖分摂(と)るなよ。医者から体重落とせって、言われてんだろ」

　元ラガーマンの正思は、かつては筋骨たくましいプロップ体型を誇っていたが、六十歳目前の今、肥満体型へと変わりつつある。

「おいしいよ」と、正思はニコニコと大福を勧めてくる。「お茶の方がいいかな？」

「話があるなら、早く言ってくれ」と、正語は腕を組んだ。

　正思はさっと光子の隣に腰を下ろす。両手を膝に置いてかしこまった。

「ちょっと、長い話になるんだけどね」
「手短に」
「犯人捕まえて」
「なんの犯人だ」
「賽銭箱にスマホ置いた犯人」
「なんだそれ」
「一輝くんのスマホが神社で見つかったんだよ」
「だからなんだ」
「誰が賽銭箱に一輝くんのスマホを置いたのか、捜査してよ」
「捜査？　俺がか？」

　何を言い出すんだと、正語は思いっきり嫌な顏をしたが、正思は目を細めてニヤニヤしている。

「だって正語くん、警察官じゃん」

　正語はイラついてきた。

（こいつ、からかってんのか！）

「最新のアイフォンだよ。あんな高価なものが失(な)くなってたのに、いつ失くなったのか誰にもわからないんだって！
　僕だったら、君が死んじゃったら、君のスマホは形見としてずっと持っていたいなあ。どんな写真撮ってたのかなあとか、どんな男の子と付き合ってたのかなあとか知りたいし」

　父親の言葉に正語は鼻で笑った。腕を組んだまま椅子にふんぞり返る。

　正思には、他人の恋愛感情を瞬時に見抜くという、どうでもいい能力がある。
　正語が高校生の時だった。
『正語くん、付き合っている人、出来たでしょ！』と、正思はしつこくきいてきた。
　息子がはぐらかしているのが気に入らないのか、正思はこっそり息子の後をつけて、恋のお相手を突き止めた。
　当時、正語が付き合っていたのは大学生の男だった。
　ただの部活のＯＢだと誤魔化したが、正思には通じない。
　正思の追及にうんざりした正語は、しぶしぶ両親の前でカミングアウトした。
　全くもって厄介な父親だ……。

「でも智和さんは、息子が亡くなってもスマホには無関心だったみたいだね。地元の中学生が智和さんにスマホを届けにきて、初めて失くなっていたことに気づいたんだって」

「一輝(かずき)さんは、本家の養子になっているから」と、光子が口を開いた。「本家で保管されていると思っていたみたいよ」

　正語がカミングアウトした後、光子の行動は素早かった。
　バイト代が貯まったら家を出ると公言していた正語の兄の正見(まさみ)に金を貸して、家から追い出した。部屋が空くと正語と同じ部屋を使っていた秀一に個室を与えた。
　俺は子供に手を出すような変態じゃないぞと、当時は頭に血が上ったが、今となっては母親には先見の明があったというしかない。

「今度の日曜日、智和さんがスマホを持って来るから、正語くんも一緒に話を聞いてよ」
「俺、日曜日は同期会だ。母校に行ってくる」
「おやおや、元彼に会うんだね。彼氏くん、今は秀ちゃんの部活の顧問だよね」

　もう話すことはない。
　正語は無言で立ち上がった。

「正語さん」

　部屋を出ようとしたら光子に止められた。

「話はまだ終わってないわよ」

　アーモンドの形をした黒目がちの瞳。
　厳しいまでに整った顔立ちのこの母親に、正語は昔から逆らえなかった。