走らなくても殺せます

文字数 6,130文字

「路上ライブしないの?」
 しない。というのが常識的な選択だったろう。少なくとも事が落ち着くまでは。
 別に仕事でしてるわけじゃないし。せめて、待っててくれるファンがいるから、と言えたら恰好いいんだろうけど、生憎ライブ中に目にする人といえば、ちょっと立ち止まってこっちを見はしたものの、すぐにあくびをしながら行ってしまったおばあちゃんや、「お母さんお母さん! なんかつまらないことやってる!」と大きな声でこちらを指さす子供や、目をそらすようにしながらその子の手を引いて、だんだん離れていく斜めの進路で俺らの前を横切るその母親らしき女性と言ったところ。「待っててくれるファン」などは、どこにも見当たらない。
 でも、やる。
 なんでだろう? 単に、朱鷺沢さんに「路上ライブしないの?」と言われたとき、「あんたその程度の男だったの?」と言われたような、僕の心の柔らかい場所をギュッとしめつけられたような錯覚を抱いてしまったのが原因なのだ。
 まさに「錯覚」としか言いようがない。
 朱鷺沢さんが俺の近くにいるのは、単に仕事で任されたからだし、そのことはわかっている。基本、俺個人に興味はないだろうし、そもそも全然人気もないのに命をかけてライブをするような馬鹿を潔しとする価値観が彼女にあるのかどうかさえ、俺にはわかっていない。なのに、なんでこんなに意地になってしまったのか、自分でもよくわからない。
 わからないながら、そう決めてしまった以上は、やる。でもできるだけ安全を考える、というのが我ながらせこいところで。

「おい、ポチ! お手!」
「あ、そんなの王様で取れば……あれ、角とか効いてる。下がったら…… あれ、これでも取られる、待った、待った、ちょっと待った」
「待ったはなしだと言ってるやろが……って、ちゃうわ! 『王手』やない! 何で犬と将棋せなあかんねん! 『お手』や、『お手』!」
「銭湯に持って行く奴?」
「それは『桶』! 『お手』や『お手』!」
「あ~、夏がくれば思い出すとこ」
「それは『尾瀬』! ほんましょうもない犬やな。ほならあれしてみい。おすわり!」
「お客さん、コーラとかウーロン茶で、って方はいらっしゃいますけど、その液体はおやめになったほうが。酸で喉や食道がやられます。ほらちゃんとラベルに注意書きで『健康のためにお飲みになる場合は、原液のままでなく水で五倍以上に薄めてお飲みください』と但し書きがありますよね。これに従うと、さらに水割りしなければなりませんが」
「お前はバーテン犬か? 誰がウイスキーの『お酢割り』作ってくれ言うた? 普通の『おすわり』やで」
「ああ……あれね」
「わかってくれた?」
「普通の『おすわり』ですよね。わかりました。見せてあげたいのはやまやまなんですが、ちょっと季節はずれなので今ここでお見せするわけには」
「あんなもんに、季節とか旬とかあるんかい?」
「当然です。お正月まであと半年とかあるんですよ。スーパー行ったってなかなか売ってやしません」
「『鏡餅』のことちゃう! もうええわ。他に犬の芸っていうたら……そうや、チ……いややめとこ、ここで変なもの出されたらお巡りさんに捕まるわ」
 トレヴィアン・コメディアンのライブの時間です!
 漫才のときは何故か疑似関西弁になる、目が妙に顔の中心に寄っている鳥美一。そして相方の俺、いかにも人外―じゃなかったジンガイ(死語?)にしか見えないネイティブ・ジャパニーズの佐村伊庵は、今日は……首輪を着けてライブしてます。ついでに犬耳も。
 設定はですね。
 その昔、ある老人に大判小判のありかを教えてあげたという金属探知能力実装のレジェンドな犬を祖先に持つポチ二百五十三世は、その素質が遺伝したのを期待し、金儲けに使おうとする男のもとで働くことになる。だが金属探知の才能どころか、普通の犬にできる芸もできないので、冷遇をうける(今ここ)。
 実はこの血統の特殊技能は、肉を食べないと発現しないのだが、能力を使ったがために、その先祖が最終的にはタコ殴りにされて殺され、木の肥やしになってしまったことから、一族は肉食をタブーとしてこの能力を封印してきたのだった。ポチ二百五十三世も生まれたときからのビーガンなので、肉を食べたいという欲求さえない。
(余談。俺は河原で愛犬家の親睦会らしいバーベキュー大会―なにしろみんな犬を連れていて、そこらの木につないだりしていた―の横を通り過ぎたことがあるが、肉を食いまくる飼い主たちを眺め、肉汁の臭いをかいで、犬たちはつながれたままワンワンキャンキャン大騒ぎで、なるほど肉が食いたいんだ、狼の末裔だけのことはある、と納得したことがある。それにしても空腹の犬を放っておいて、自分たちだけお楽しみのあの「愛犬家」たちって……)
 彼の特性を見込んだ超低価格牛肉焼肉店「モーモー太楼」の社長が、肉の臭いをどれだけ嗅いでも平静を保っていられるこの犬は素晴らしい、と黍団子でポチ二百五十三世を本店専属の番犬長としてヘッドハンティングする。キャリアアップでめでたしめでたし、というネタだ。
 俺がポチ二百五十三世の役をやる、つまり開けた場所、人に紛れて相手が襲ってきそうな場所では、防具である首輪をする。それでも不自然ではないネタを作ってライブをする作戦だ。もっとも、朱鷺沢さん支給の首輪は、本来の使用用途が用途だけに、どことなく淫靡な雰囲気を醸し出すゴージャスなデザインで、犬の首輪として見ると多少の不自然感はあるが、そこは犬耳との組み合わせで乗り切る!
「お前がメインでネタを書いてくれるなんて……いよいよやる気になってくれたんだな。俺はうれしい」
 お笑いに関しては暑苦しい鳥は、俺の真新しいネタ帳を見て少し瞳をうるうるさせたものだった。一応相方として参加はしていたものの、今一つノリの悪い俺に内心忸怩たるものがあったらしい。だがいざ一席終わってみると
「う~ん、いつものことだけどウケないよな~。ネタを見たときは、『これはいける!』と一瞬思ったんだがなあ」
 御免。一瞬でもそう思った時点で、お前のお笑いのセンスはあまり褒められたもんではないのかもしれん。正直、なんとか犬で話を持たすことしか考えてなかったし。
 本日のライブで二回目のこのネタを終了し、帰ろうとしたときに後ろからガッと腕を掴まれた。驚いて振り向くと、丸刈りでいかつい体をした男が睨んでいた。
「佐村、おまええ」
「藤枝先輩?」
「商店街でお笑いの真似事をしてる外国人がいる、っていう噂は聞いてはいたが……遠目で見ただけじゃお前とは気が付かなかったぞ」
 中学の野球部の先輩だ。割と目をかけてもらったと思っている。遠目でなかなかわからなかったのは無理もないかもしれない。中学のときはこの金髪、丸刈りにしてたからな。見た目はずいぶん変わるはずだ。
「俺はあ、情けないぞ!」
 あ、来た。
「お前がうちの学校へ来ると聞いたときから、また一緒に野球ができると楽しみにしてたんだ。俺はお前のフィールディングの良さを買っていたんだぞ。どんな強烈なライナーでも飛びついていく、グローブに当たった球は絶対離さないガッツもな。野球は続けないと聞いたときにはガッカリした。だが、別にやりたいことがあるのなら、そこで輝いてくれればいいと思ってあきらめたんだ。それなのに……情けない、こんな……」
「こんなとは何だ!」
 この言葉を聞いて激高したのは鳥だった。
「お笑いを侮辱するのは我慢ならん! だいたい何だ、あんた。批判するのはいいが、俺たちのライブをちゃんと見てくれてたのか? あんたみたいな人観客の中に見かけなかったぞ」
「なんだとお? 最初から最後までちゃんと見てたぞ。お前の真横でな」
 あ、ということは俺からは鳥の陰で見えづらい角度ではあるけど。
「お前、視野が狭いんじゃないか?」
 藤枝先輩の一言に、また顔の真ん中に寄った目のことを言われたと思った鳥はヒートアップする。
「あんたみたいな脳筋野郎には、お笑いは高尚すぎて理解できないようだな」
「話をすり替えるな。別にお笑い全部が駄目だとは言ってない。お前のネタが馬鹿馬鹿しくて詰まらないと言ってるだけだ」
「なんだと……」
 なんだかわからないが、二人で闘争モードに入って、話の発端である俺への関心が薄れてるのを幸い、横道からこっそり逃げ出す。
 すみません、藤枝先輩。俺はあなたと一緒に野球する資格なんかありません。心の中で少しだけあやまる。ほめてもらったのはうれしいし、中学のときのレベルだったら、練習も耐えられないほどきつくはなかったけど、ちょっと高校で続ける気にはならなかった。だってそうやって練習や試合をこなしながら、俺は全然楽しくなかったのだ。初めてしまったから惰性で続けていただけで、それほど野球に興味がなかったのだろう。
 お笑いも少しは好きだけど……とひるがえって今を考える。鳥ほど愛情を持っているだろうか? なんだろう、俺って? もともと物事に興味を持ちにくい体質?
 朱鷺沢さんも言ってたっけ。佐村君はいろいろ訊かないからいい、って。彼女も無口だから真意がわかりずらいのだが、言葉の端々をいろいろ補って考えると、普通いきなり殺し屋に狙われるような立場に置かれるようになったら、もっと色々疑問を持つのが普通なのに、俺はそうでもない、ということのようだ。「何で親父のせいでこんな目に遭わなきゃなんないんだ? そもそも親父は何をやってる人間なんだ?」みたいに詰め寄られると、そこらへんは部外者秘なので、朱鷺沢さん的にはすごくウザいらしい。それがないからいい、と。
 確かにこの状況は迷惑だとは思うけど、逆に彼女に言われるまでその原因である親父の正体への疑問とか、さらさら湧いてこなかった。初っ端そこをほじくり返していたら、今みたいに朱鷺沢さんが俺の部屋にいつくことがなかったかも、と思うと、ラッキーと感じてしまうくらいだ。

 一駅乗る電車の中で、妙に周囲の視線を感じると思ったら、首輪を外し忘れていた。あわてて取ってデイバッグにしまう。
 降りて以前、鎌と槌の二人組に襲われた路地に入る。最初の曲がり角で右側を見ると、奥のほうでペンライトが一瞬ピカッと光る。朱鷺沢さんがついてきてくれる印だ。
 朱鷺沢さんに言われるまで全く気がつかなかった俺が周囲に無関心すぎるのかもしれないが、既に今、うちのアパートには俺と朱鷺沢さんしか住んでいないのだという。
「前はあと二人くらいいたけど、夜中にうるさくしすぎたかも」とのこと。
 駅から遠くなるほど他の家屋もなくなるから、前に薄切りジェイソンに襲われたあたり、昼が長くなってまだ薄明るいこの時間でも、人気はなく襲撃にはぴったりだろう。心の準備は毎日しているのだけれど、今日はどうだろうか……
 来た! 来てしまった。後方から聞こえてくる口笛、メロディは『口笛天国』だ。俺は背負ったデイバッグをなにげないふりで前に回し、チャックを開けて手を中に突っ込む。五歩・六歩・七歩……
 口笛が強くなってきている。二十歩を過ぎたあたりで、急に気がついたようなふりで立ち止まる。わざと周りをきょろきょろ見回した後。
 今だ! 振り返る。
 後ろには動画で見慣れた野球帽のおっさんの姿。来る、来るぞ!
 予測していたからなんとかできた。飛んできた巻尺の筐体を、俺は受け止めた。相手は達人だから、逆に狙いたがわず喉元にくるのはわかっているし、そこを守っておけばいい。とは言えこんな勢いで飛んでくるものを素手で受け取るのは困難極まりないから、それに適した道具を使って。
中学時代までは毎日この左手にはめてグランドを駆け回っていた俺の相棒、グローブ。デイバッグの中にこのグローブともう一つの道具をいつでも取り出せるように入れておいたのだ。
 さすがの威力で左手がジンジンしている状態のまま、すぐにグローブの中に右手を突っ込んで次の作業にうつる。二秒・三秒・四秒…… 相手のほうはいつ次の動作に移るだろうか? なるべく油断している時間が長いほうが確実だが。
 おっさんはしばらくの間、意表を突かれたようで立ちすくんでいた。が、やがて、ほほ~んという感じでにやりと笑うと、グイッグイッと金尺を引っ張った。すごい力だったが、こちらも金尺を挟んだグローブに力を入れて耐える。金属の端に当たって切れ目が入った。グローブ、ごめん!
 もともと崩れた感じのする嫌なご面相だったのだが、おっさんはもう一段口角を上げてさらに不気味な顔になった。左手が尻ポケットに伸びる。右手に持った巻尺は放棄して、スペアの巻尺を取りだすつもりだろう。今だ!
 俺は右手に持ち替えた巻尺の筐体をおっさんの足元めがけてゆるい放物線で投げつけた。おいおい、武器を相手に返してどうする? と思われるむきもあるだろう。そのまま投げ返したら、巻尺はバネの力で巻き戻っていくし、その状態の巻尺はおっさんが長年使い慣れた愛用の武器、俺の投擲力くらいの予想外の要因が加わったとしても、自由自在に扱って第二弾の攻撃に繋げてくるだろう。
 だが。殺し屋が、素人の若造どうする気だ? みたいなノリでニヤニヤ笑いながらこちらを観察していた十数秒ほどの間、俺の右手が何をしていたか? グローブの下に隠して、金属の尺の部分を筐体の側面にギュッと押し付けていたのだ。間に瞬間接着剤を塗って。
 左手でスペアを取りだしかけたおっさんは、右手で持っていた最初の巻尺が戻ってきそうなのを見て、ラッキーとばかりにこちらを制御するよう意識を切り替えた。だが、いつもの調子で操ろうとしても勝手が違っていた。当たり前だ。筐体と金尺は固定されてしまっていて、もうバネの力で巻き戻ることはない。引っ張ろうが横に振ろうが、自分に近づくにつれて増えていく尺のたるみが全てその動きを吸収してしまう。事態が理解できず、こちらを諦めてもう一度スペア巻尺を取りだす判断をするまで、しばらく時間がかかった。
 その間に殺し屋の後ろには横の路地が出てきた朱鷺沢さんが立っている。彼女は相手めがけてロープを投げつけた。十メートルほどのロープだが、ちょうど真ん中のところに小さな重石を結わえ付けて、五メートル分の二つのとぐろ巻き状態で持ち運んでいた、その重石を投げたのだ。ロープはUの字を描いて飛んでいき、おっさんの首にスポンとはまった。
 そこからが朱鷺沢さんの真骨頂。当初心配していたように奴の首を絞めるのにロープをぐいぐい引き寄せる必要はないし、その間の反撃を気に病むことなど全くなかったのだ。朱鷺沢さんならば。
 二本のロープを捩じりあわせればいいのだ。Uの字の両端を右手で握った朱鷺沢さんは、義手をフルスピードで回転させる。二本のロープの捩れ目が、あっという間に彼女の手元から殺し屋の首元まで走っていった。
 奴が体をピクピクさせて動かなくなるまでいくらもなかった。
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