風が強い日

文字数 2,364文字

 肩に自分の青いカバンをかけ、もらったばかりの冷凍食品がつまった黒いリュックを背負って翔太は立ち上がった。
 「入学式が終わったらまたすぐ来るんだよ」と翔太の祖母が声をかける。祖父は忘れ物がないか部屋をもう一度見回している。外は雨が降っていた。昨日の夜の嵐のような風は落ち着いていたが、青みがかった灰色の雲が空を覆っていて、昼過ぎだというのに薄暗い。
 翔太はこれまたもらったばかりの折り畳みがさを手に持ち、玄関先で待つタクシーへと歩く。少し濡れながらタクシーに乗り込み、◯◯駅まで、と伝えるうちにドアが閉まる。雨粒でぼやけた祖母の顔を窓越しに見送りながらタクシーは発車する。
 目の前に小型のテレビがある。薄暗く静な車内の中で一つ明るい。うっとうしさを感じ、荷物と自分の席を交換する。翔太は昼、寝たせいだなと思う。朝起きて映画を語るYouTubeチャンネルを見た後、テレビで野球番組を見ながら寝てしまったのだ。
 …映画…野球……
 スマホを見る気にもなれず曇った窓越しに外を見る。タクシーは静な郊外の住宅地から意外な早さで大きな道路にでる。雨をはねながら車が走るのが聞こえる。右目で小学生の頃祖父とよく行ったスーパーを見送る。
 ようやくスマホを手に取り、LINEの通知を見るが何も来ていない。仕方がないのでLINEのトーク画面をタップする。サークルの新歓に行く予定を二つ取ったのを見返してみる。舞台美術制作会とラジオサークル。舞台を見るのもラジオを聞くのも好きだったからだ。どっちに入るかは決めていないがラジオサークルのLINEグループに百人以上いるのを見ると二十人くらいしかいない舞台美術研究会に惹かれる気がする。翔太は、お願いします、と返事する自分の文章を見て硬いなあと思う。
 …舞台…ラジオ……
 ふと小型のテレビに目をやるとアイドルのラストライブの広告が流れる。受験の時に好きになったが今は追っていない。ラストライブか、と思うが行こうとは思わない。
 …アイドル……
 もう一度LINEに目をやる。高校の時にサッカー部で仲良くなった友達と作った六、七人のグループLINEを見る。誰がどこの大学に合格したか、が話し合われていた。このグループのメンバーも現役で合格した人と浪人生がいて、進学した地域もバラバラだった。もう三日程更新されていないが自分から言うことは何もなかった。
 …サッカー……
 ふと雨足が強くなりタクシーの天井に雨が打ち付けるのがわかる。外を見ると商業施設が増え、町に出てきたとわかる。 
 スマホをカバンにしまってまた外を見る。人通りの多い町を見ながらカバンの中に本が三冊あることに意識を向ける。本を読むのは好きだった。でも今は読む気がしない。せっかく持ってきたのに全く触っていなかった。
 …本…読書……
 ふと塾の先生との会話を思い出す。国語を教えてもらったその先生は翔太がこれから通う大学の出身だった。先生が、自分は小説を書くサークルに入っており、今は塾の講師をしているが、編集者になれば良かったと少し思う、と言っていたのを思い出す。翔太の得意科目は国語だった。本を人並みに読んでいたおかげで文章を読むのは苦にならなかった。しかも小学生の頃から作文は唯一自信があるもので。日記をこそこそ書いていたりした。しかし、小説を書くとなると才能という言葉が頭に浮かんでしまうのだった。
 …小説………小説………
 もうすぐ駅に着くはずだった。翔太はスマホをもう一度取り出し、Googleをタップして検索履歴を見た。そして、「小説 アプリ 書く」をタップする。出てきた一番最初のアプリを、データ制限を一瞬気にしながらもダウンロードした…ところで駅に着く。運転手にお金を払いタクシーから降りる。
 変わらず雨は降っていたが屋根があったのでそのまま駅へ向かう。土曜日なので人が多い。ホームへ降りるとすぐに電車が来た。乗り込むと席がかなり空いておりほっとする。端の席に座りさっきダウンロードしたアブリを開く。意外な使いやすさに驚きつつ、小説は書き出しで決まる、という言葉を思い出す。じゃあ祖父母の家を出発することから始めようと思う。書き出せば意外に筆が進むという小学生時代の作文の経験を振り返りながら書き出す。書いてみると、まるで本当の小説のように見えるので少し気分が上がる。電車を乗り継ぎつつ書き進める。
 兄と暮らす自宅近くの駅に着く。外はもう暗い。雨はやんでいるが風が強い。荷物の重さが気にならなくなるほど浮わついた気分で、風の音を耳にしながら家まで歩く。
 家に着いて、頼んでいた荷物が届いているのを見て少し気分が上がるが放っておくことにして自分の部屋に入る。続きを書く。読んだ小説の書き方を真似てみたりする。気づけば二時間近く経っている。
 外は心配になるほど風が強く吹く音が聞こえる。
 頭にかき氷を食べたときのような痛みがしてきたがなんとか形になりそうなので書きつづける。
 …終わった。
 見返してみると漢字とひらがなのバランスが小説らしく感じられ少し嬉しい。しかも二千字を越えている。雑多な物が散らかる部屋の中で、翔太は少し落ち着く。
 風は止み、車やバイクがまばらに走る音が聞こえる。スマホを持ちながら翔太は明日入学式で着るスーツを見た。
 するとふと尿意をもよおしたので、ドアを開けてトイレに行く。頭が痛かった。トイレで落ち着き、明るく、綺麗な廊下を眺める。落ち着いて見ると散らかった自分の部屋よりもその明るい廊下の方が居心地よく感じる。
 トイレから出て忙しなく部屋と廊下をいったり来たりする。
 …何をしよう……
 リビングに行くと洗っていない食器があるのを見つけた。スマホのアプリでラジオをつけ、食器を洗い出す。 
 「生活だ。」
 



 
 
 
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