アルバム

文字数 6,988文字

キラキラとネオンが光る。夜だというのにあちこちの建物から光が漏れ出て私の視界を明るく保っている。目に映るきらびやかな光は、とても温かかった。
 しかしそれ以外は酷く冷たかった。吹き抜ける風は体の温もりを奪い、いつまでも続く平坦なコンクリートの道は心の余裕を殺していく。―――なにより夜とは思えないほど光り輝く景色とは対照的に、夜らしい物音1つしない静寂さが私の耳にまとわりついて離れない。視覚で捉えた世界と聴覚で捉えた世界の圧倒的な矛盾。その不可解さに、恐怖せずにはいられなかった。
 おかしいのはそれだけではない。私はこの工業地帯らしき場所に迷い込んでから、とにかく真っ直ぐな一本道を同じ方向に向かって歩いているはずなのに一向に突き当たりや出口等に辿り着かないのだ。一定のエリアをループしているわけではなさそうなのに、まるでループしているかのような、そんな変な感覚に思わず顔を歪めてしまう。
そっと目を瞑って、唯一響く自分の足音に耳を傾ける。コツ、コツ、と心地よく鳴るローファーの足音は私に冷静さを与えてくれる。緊急事態において冷静さは適切な判断へと導く重要な力。冷静さは、無くしちゃいけない。
「…大丈夫。冷静さは、まだここにある。」
目を閉じたままそっと呟く。自分に言い聞かせるように、自分の聴覚を確かめるように。
 ―――考える。私はどうして此処にいるのだろうか。気がついた時には既に工業地帯の真ん中にいて、此処に来る直前私が何をしていたのか思い出せなくなってしまっていた。意図的に記憶を消されたか、偶然記憶を失ってしまったか。いずれにせよ『何故私は此処にいるのか』の答えの鍵が“此処に来る直前の記憶”にある可能性が高いだろう。ではどうやってその記憶を取り戻そうか。
………いや、記憶を取り戻すというのは現実的に可能なのだろうか。専門家が隣にいるならまだしも、素人一人では限界しかない。しかし、何もしない訳にもいかない。では、どうすれば良いのだろうか…。
 答えの出ない問いのループに入りかけた時、何かに躓いてしまった。反射的に目を見開くが眩しい光がいっせいに目に入り調光が上手くいかない。視界が真っ白になった一瞬の間にも体は前へ倒れていく。完全に油断しきっていた私は転びかけている現状を瞬時に理解出来なかった。頭さえも真っ白になっていた。
 顔面からコンクリにダイブする――。ようやく脳内に浮かんだまともな文章は至極情けなく品の無いものだった。…そんなみっともない思考とは裏腹に防衛本能は正常に作動する。その証拠に私の手は地面をつき、顔面からダイブするのを防いでいた。
 手をつく頃には調光も既に完了しており、自分がダンボール箱に躓いて転んでいる事を確認できた。幸い怪我はなく、歩き続けるのに支障をきたすことはないだろう。
 よく考えれば目を瞑って歩くというのは非常にリスキーで今みたいに物に躓いて転ぶ可能性も大いにあっただろう。冷静に考えればこのくらい容易に分かったはずだ。大多数の人間はこのくらい出来る。…でも私は"このくらい"が出来ない。私は大多数の人間ではないのだ。
 私は幼い頃から周りの人よりも予測する力が弱かった。この行動をすることで何が起こるか、どういう危険があるか、どうしても予測出来ない。恐らく私は常にボーッとしてる人か危機察知能力が低い人という風に見られているだろう。それ故に周りの人から信頼されないことも少なくない。というか、全然信頼されてない。正直孤独感を抱いている。…まぁ、自業自得とも言えるのだが。私は、こんな私が大嫌いだ。
 はぁ、と短いため息をつく。また冷静さを欠かしてしまった。そんなことを考えながらゆっくり立ち上がる。手を払っているとふと足元にあったダンボール箱に目がいった。封はされておらず、ほんの少し中身が見える。なんとなく、ただなんとなく、私はその箱の中身を覗いた。



  穏やかで、懐かしさを感じている。先程の過ちで生じた自責の念など綺麗サッパリ無くなっている。一ページ一ページ、ゆっくりと自分の生い立ちを写真を通じて振り返る。ダンボール箱の中あったのは何冊もの分厚いアルバムだった。全ての写真に私が写っているから恐らく私のアルバムなのだろう。ここで、大多数の人間は『何故此処に自分のアルバムがあるのか』という疑問を抱くだろう。しかし私がそうなるわけもなく、周りが見えなくなるくらいにのめり込んでいた。
 写真の中の私は表情豊かで、今の私が無くしてしまったものをちゃんと持っているようだった。何よりどの写真でも、どんな表情をしていても、写真の中の私は楽しそうだった。
 自分が今非常事態に置かれている事を完全に忘れ過去を振り返る事に没頭する。ここでもまた冷静に考え予測する事が出来ず、ただ好奇心に身を任せページをめくっている。しかしそれに私は気づけない。気づけないからこそ後で自分を責める事になるのだ。
 最後のアルバムを手に取る。私の人生の記録最新版。それを取った手が表紙をめくる手つきに迷いなどなかった。

 『高校入学 ~               』

  ―――もっと写真が見たい。その一心で最後のアルバムを何の躊躇いもなく開いたことを、私はひどく後悔した。
最後のアルバムの中にあった写真はいずれも『楽しそう』とは思えない、暗くて、胸が痛くて、思い出したくないものだった。道路に飛び出して車に轢かれかけた時の写真、言葉選びを間違えて友達を泣かせた時の写真、親が私に憤慨して殴り殺されかけた時の写真、どれも思い出すだけで気が狂いそうだ。それだというのに、何故か私の目はアルバムに釘付けで、私の手は目の動きに合わせて一ページ一ページ丁寧にめくっていく。
逃げたいのに体が勝手に動いて気持ち悪い。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。今にも泣き叫んで死にたい。
 精神は混乱状態となり、全身が震えている。わけもわからず涙は溢れ、顔が完全に引きつっている。声を出せば途端に理性を無くし泣き叫ぶことしか出来なくなるだろう。文字通り、発狂寸前。そんな状態でも私の目は確実に写真を捉え、私の手は何ら問題なくページをめくる。ページをめくる。めくる。めくる。めくる。巡る。頭も巡る。頭も身体もその動きを止めず、半狂乱のまま最後のアルバムの最後のページを開いていく。

  …そして、過酷な現実にぐちゃぐちゃになった私の思考回路は一枚の写真によって急停止した。

 

 

 薄暗いコンクリートに囲まれた部屋の中にいくつかの家具が置かれているが生活感など全く無い、そんな舞台に飾られた大量の首吊り遺体。その遺体は家族や友人など、自分の身の回りの人達のものだった。そして、写真の中心にぶら下がっている一つの遺体。これは紛れもなく

  ―――私だった。

 心も体も、夜の静けさに飲み込まれたかのように落ち着いた。あまりにも現実味が無さすぎる物が出てきて逆に冷静さを取り戻した。人間というのは現実味が無さすぎる物に直面すると逆に落ち着いてしまうものなのだろうか。それとも、私特有のものなのか。いや、そんなことは今はどうでもいい。
 おかしい。そもそも私は首を吊った覚えなどない。ましてやこの写真に写っている両親や友人等の人々の首吊り遺体を見たことがあるわけでもない。というか、もし仮に私が首を吊っていたなら今ここに立っていないはず。流石にそれは予測できる。冷静に考えるまでもなく、これは捏造だ。
目を閉じて「大丈夫」を連呼しながら立ち上がる。これは捏造なんだと、現実じゃないんだと、洗脳しそうな勢いであった。
 「帰ろう。」
 そっと声に出して目を見開く。そこで私は目を疑った。先程まであったはずのネオンの光は消え失せ、唯一の温もりを無くしていた。更に、突き当たりが見えないくらい延々と続いていたはずの一本道の代わりに扉一つしか無いコンクリートの小さな建物が私の眼前に現れていた。…はて、この変化を私は喜ぶべきなのだろうか。しかし少なくとも今の私は喜びなどという感情を一切抱いていない。
 ここで冷静さを持ち合わせた人間なら、不可思議すぎて怪しいから来た道を引き返すなどしてそれと関わらないようにしようと考えるだろう。しかしそういう考えに至らないのが私という人間の残念なところ。何も深く考えず、この扉の先に何か危険が待っている可能性を予測せず、扉を開けた。

 

  部屋の中の景色に見覚えしかない。忘れられるはずもない。何故ならついさっき見た首吊り遺体だらけの写真とほぼ同じ景色だったからだ。しかし全く同じでは無い。写真の中で一際目を引くいくつもの首吊り遺体はそこには存在せず、首吊りロープの代わりに、工業地帯には相応しいウィンチがぶら下がっている。そして写真の中の私が首を吊っていた場所にあたる部屋の中心には、小型の機械が落ちていた。写真の中にはなかったはずの機械がそこにあることに疑問を抱きそれを拾い上げる。録音と再生のボタンがあるのを見る限り、ボイスレコーダーの類いの機械だろう。何か手がかりはないのかとボタンをあちこち押してみるが何も起こらない。そもそもボイスレコーダーなんて使ったことも無ければ実際に見るのもほぼ初めてのようなものだから使い方を知るわけがない。
 諦めて部屋の隅にある棚の上にボイスレコーダーを置いた。別の場所の探索をしようと身体の向きを変え移動しかけた時、ボイスレコーダーがひとりでに音声を再生し始めた。ノイズが混じっていて聴き心地は良くないが、問題なく内容を理解出来るものだった。


『―――ねぇ知ってる? 呪われた工業地帯の噂。夜中にその呪われた工業地帯に足を踏み入れると自分の人生を全て知れるアルバムが見られるんだって。そこには過去の写真はもちろん、未来の写真も見られるの! でも未来の写真は一枚しか入ってなくて、そこには自分の死に様が写っているとか。…でも、未来の写真を見てはならない。もし、未来の写真を見てしまったら…………

その人はその場で写真と同じように死ぬ。そして遺体は跡形もなく消えて行方不明になる。

…怖いでしょ? ―――あははっ、めちゃくちゃビビってるじゃん。でもね、この話はここで終わりじゃないの。実は写真と同じように死ぬのを回避する方法があるんだって。

それは、『アルバムを破壊すること』。アルバムを破壊すれば人生を一からやり直すことが出来るの。これで万事解決! 生きて帰れる! ………』


 ここで音声は途切れてしまった。音声に若干の加工が施されているが恐らく若い女性が話しているのだろう。怖い話風に語られた呪われた工業地帯の噂。きっとこれを話している人にとっては他人事だから明るく話せたのだろう。しかし私にとっては他人事では無い事が分かってしまい困惑せざるを得なかった。このままじゃ、私は、死ぬ…? 首を吊って? ありえない、ありえない、
「そんなこと、あるわけないんだから! 」
 信じたくない現実から目を背けるように扉の方を向く。

 「逃がさない。」

  不意に聞こえたその声の主はいつの間にか私の真後ろに立っていた。主の正体は………私の母。何故此処にいるのだろうか。もしかして私の事心配してこんな所まで探しに来てくれたのかな。そんな淡い期待を抱くが無意味であることをすぐに知る。母は優しい笑顔で私の肩を掴む。…その笑顔に生気はない。目が死んでいた。
 「どうして、どうして貴方はそうなの? いつもぼーっとして危なっかしいことばかり…。高校生にもなって、まだ私の手を煩わせるつもりなの…? 」
…私の前にいる人は本当に私のよく知る優しい母なのだろうか。少なくとも、私の前でこんなこと言われたことがない。
 「あの、貴方は本当に私のお母さんですか。もし本当の私のお母さんだと言うのであれば、いつもみたいに優しく笑ってください…。」
 母の形をしたものは私の肩を掴んだまま動かない。反応がない。―――つまりこれは母じゃない。ならばこの手を振り払い逃げるまでだ。
 勢いをつけて身体を動かし手を振り払う。運動は得意ではないが苦手でもない。走れば十分振り切れる。出口に向かって一目散に走り出した。…が、すぐに足が止まってしまった。
 「何処に行くつもりだ? 」
 「私たちに散々迷惑かけといてまだ迷惑かけるんだ。」
 「許さないよ、罪はちゃんと償ってもらわないと。」
 出口を塞ぐようにそこには父の形をした何かが立っていた。そして私を取り囲むように親しい友人達が私の後ろに立っていた。瞬きをする度に私の身の回りの人々の形をした何かが現れ私の元に歩いてくる。皆、写真に写っていた人達だと気づくのにそこまでの時間を要さなかった。
 母の形をした何かが沢山の人々の間から出てきて私の前まで歩み寄る。依然として目は死んでいる。
 「本当に、手のかかる子ね。貴方にはわからないのかしら。今まで私たちがどれだけ貴方に振り回され、苦労してきたことか。散々迷惑をかけてきた貴方には死をもって罪を償ってもらわないと…ね。」
 狂気じみた台詞を言い終わった瞬間、母の形をした何かは私の顔面を殴った。殴られたという事実に驚く間もなく、私は【何か】達に拘束された。必死に抵抗するが複数人に拘束されているためなかなか上手く抜け出せない。必死に抵抗している間に私は部屋の中心に連れて行かれ、高々と身体を持ち上げられる。そして、ちょうど目の前に首吊りロープの輪っかの部分がある状態になった。【何か】達は他の【何か】を土台にして私の眼前まで這い上がってくる。仮に音声のお話に沿って考えるならば…、私はここで首を吊って死ぬ。そして、この状況から察するに首を吊って死ぬのは私の意思とかではなく【何か】達による殺人。つまり【何か】達を振り払わないとこのままじゃ死ぬ。…防衛本能が手助けしてくれたからか、予測する力が弱い私でもここまで予測する事が出来た。しかし予測する事が出来ても行動に移せないと意味が無い。ならば自分の全力を尽くして抵抗するまで。
 緩急をつけて動き回って苦戦しながらもなんとか【何か】を振り払って、がむしゃらに隙間をかいくぐって光の無い外に出た。【何か】達は怒号をあげながらこちらに向かってくる。
 このまま走って逃げようとした時、散らかしたままのアルバムが目に入った。そして思い出す。

『実は写真と同じように死ぬのを回避する方法があるんだって。それは、『アルバムを破壊すること』。アルバムを破壊すれば人生を一からやり直すことが出来るの。』

 思い出した途端、迷いなくアルバムに向かって走った。思考回路はほぼ停止していて、冷静さも何も無い。ただ、アルバムを破壊することだけに集中していた。アルバムを拾い上げ地面に打ち付ける。―――アルバムは、鏡の如く割れた。そして私の行動は止められなくなった。
 最後のアルバムを手に取って、宙に掲げる。そして、地面に向かって投げつけた。―――アルバムは綺麗な音を立て割れた。その瞬間、私の意識は途絶えた。

 
 私はもっと考えるべきだった。冷静さをなくすべきだった。そう、後悔する暇もないまま。

 

 

 

 

 ―――ねぇ知ってる? 呪われた工業地帯の噂。夜中にその呪われた工業地帯に足を踏み入れると自分の人生を全て知れるアルバムが見られるんだって。そこには過去の写真はもちろん、未来の写真も見られるの! でも未来の写真は一枚しか入ってなくて、そこには自分の死に様が写っているとか。…でも、未来の写真を見てはならない。もし、未来の写真を見てしまったら…………

その人はその場で写真と同じように死ぬ。そして遺体は跡形もなく消えて行方不明になる。

  …怖いでしょ? ―――あははっ、めちゃくちゃビビってるじゃん。でもね、この話はここで終わりじゃないの。実は写真と同じように死ぬのを回避する方法があるんだって。

それは、『アルバムを破壊すること』。アルバムを破壊すれば人生を一からやり直すことが出来るの。これで万事解決! 生きて帰れる! …って思ったでしょう? でもね、注意しなきゃいけないことがあるの。

  もしアルバムを破壊して過去に戻っても、記憶は引き継げない。だから未来の写真を見る運命を変えたくても、そうなる運命にある事さえ忘れてしまう。つまり、アルバムを破壊しても全く同じ人生を、全く同じ運命を辿ることになってしまう。そして、その人は、永遠に同じ人生をループしていくの………。

 ―――安心して、これは私の作り話。呪われた工業地帯は実在しないし全部私が捏造したもの。…おどかしてごめんね。我ながら結構面白く出来てるでしょ? ――え、ちゃんと作り話だよ? 本物じゃないよ? ――嘘じゃないって。

そんなに信頼出来ない? ―――じゃあ確かめてきてあげよっか。確か近くに工業地帯があったよね。夜そこに行って何も無いってことを証明する。そんなことしなくていいとか言わないで。もう決めたの。―――大丈夫大丈夫、心配しないで!

―――こんなしょうもない作り話が“現実になる”とかありえないから! それに、“危機察知能力が低い”とか言われているけど方向音痴ではないから! だから、絶対、帰ってくるよ。約束。

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