雨天

文字数 1,053文字

 今日は朝から雨が降り続いていて、外は網目の細かい布をかけたようにぼんやりしている。こんな日には憂鬱になる。気分が沈滞し、元から前向きな方でない思考は深く沈んでいる。窓の向こうには川があり、音も、風景も、心も、何もかもが雨に降り込められている。まるで、こういう世界になってしまったみたいだ。
 あたしは川を見た。どこにも同じ雨が降り注いでいて、地上にあるものを全て濡らしていく。道に落ちる水と、川に落ちる水。見上げれば暗いせいで低く感じる空から、それでも数百メートルの高さをゆっくりと落ち、地表においてわずか数センチの違い。でもその運命は全て。

「己の最果ては海がいい」

 雨の匂いはいつも懐かしい。その懐かしさはどこから来るのだろう。とりとめもない事を考えていると、彼女の呟きにふと現実に還る。ポツリと漏らされた言葉は、独り言なのか違うのか。とりあえず相槌は打つ事にした。今ここにいるのは自分と彼女だけなんだし、とりあえず怒られはしないだろうという浅ましい予測を立てて。しかしそれくらいで疑問が融解することはない。

「なんで、いきなり、そんなことを?」

 聞くだけなら、たぶん大丈夫だろう。

「生まれる前は水の中に居たんだ、帰る場所も同じがいいだろう」
「なんで、あたしに?」

 今日の自分は、どうしたのだろう。舌が、喉が。詮索としか思えない言葉を勝手に外へ押しやった。

「…………」

 アニメの一カットぶんくらいの、沈黙が流れた。あたしが後悔で頭をいっぱいにする前に、新品の窓枠に腕を掛けていた友人はゆっくりこっちを振り向いた。ゆっくり細められる、夜の海色の瞳。ゾッとする笑みと共に紡がれる、呪いにも似た宣告。浅くしか、息が出来なくなる。視線が、貼り付けられる。
 ドクン。

「君だから、言うんじゃないか」

 それで納得できる自分は、もう色んな意味で終わっているのだろう。思考が再び、深く沈降していく。
 彼女は目を閉じている。潮騒でも聞いているのか。あの冷たい目を閉じたままでいると、まるで眠っているように穏やかな顔になる。
 晴れた日の青く輝く海には、彼女は見向きもしないだろう。彼女の望む海には星も月も波もない。……だって、冬の、しかも真夜中の海は冷たいものだ。闇そのものの海なんだから。ひたすらに暗く静かな海が、窓の向こうにある気がした。真っ暗で深い深い海の中で、彼女はゆっくり沈んでいく。大口を開けて獲物を待つ化け物の胃の中へ。

 帰りたい 還りたい そして 孵りたいの
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