第1話

文字数 1,995文字

 続いて、国道134号線の渋滞情報をお伝えします……
 タクはラジオを切った。地元、神奈川の海岸線は今日も短い夏を満喫しようとサーファー達でごった返すのだろう。ここ新潟の海は朝5時ーー遠くに船2隻。他には誰もいない。
 7月31日ーー
今日はタクにとって特別な日だった。

3年前の今日、アイが死んだ。

 同じ職場で2つ上のアイは活発な女性で、アウトドア好きなタクとは入社してすぐに意気投合した。付き合い初めてからは、週末ごとにキャンプや登山へと愛車ジムニーで出かけた。
 タクは子供の頃から、自宅が海に近かったということもあり、マリンスポーツが得意だった。特にサーフィンは大人になった今も唯一続いている趣味だった。
 一方、アイが最も苦手としていたのが水だった。タクは半ば強引に趣味の世界へアイを誘いこんだ。もともと運動神経のいいアイはタクの予想通り、すぐにコツを掴みボードに立てるようになった。2年後の夏には波を楽しめるほどに成長していた。
 そしてあの夏ーー
休暇を合わせて訪れたここ新潟の海で事故は起こった。
 あの日、タクはプロポーズをするつもりで指輪を用意していた。不安な気持ちがあったことは否めない。
「あと一回チャレンジしたら上がるから……」
「うん、じゃあ先に上がってるよ」
気持ちを落ち着かせる時間が必要でタクはそそくさと海を後にした。
 砂浜にボードを置き車へプレゼントを取りに行った。車から何気に海岸線を見ると、ふだん、ここではみたことがないような波がたっていた。この海岸は砂浜から少しいくと急に足が立たなくなる。
(アイにはあの波は無理だ)
「アイ、危ない、上がれー」
タクは走った。声は届かない。
ボードのそばにプレゼントを投げると迷わず海に飛び込んだ。アイはタクの目の前で大波にあっけなく飲み込まれた。
「アイ……」
タクも一瞬波に飲まれたが、持ち前の運動神経で
浮かび上がることができた。
「アイ、どこだ?」
海中は濁っていてよく見えない。顔を出して海面を見回すと10メートルほど先にアイのボードが浮かんでいた。
アイはいない。
タクは辺りを潜って必死に探した。

 すると水中に沈みかけていたアイを見つけ、岸まで必死に泳いで引き上げ、人工呼吸をおこなったが、アイは戻ってこなかった。
 浜辺にはタクのボードと砂まみれのプレゼントが転がっていた。
7月31日、朝5時ーー
2人の他には誰もいなかった。

あれから1年ーー

 7月31日、早朝。事故が起きた日に必ずこの海岸を訪れることにしている。この場所に来ることはとても辛いことだが乗り越えなければいけないことなんだと、やっと思えるようになってきた。
 1年後のその日、渡すはずだった指輪をアイに届けようとボードに乗りながら思いを込めて海に放り投げた。とてもあっけなく海に消えた。
(アイ、助けてあげられなくてごめんな……)
タクは朝5時、気持ちをぶつけるようにただ純粋に波と向き合った。落とされても、跳ね返されても、何度も何度もタクは波に乗った。

 3年目にしてようやく、後悔は消えないものの、31日をアイに会える日として楽しみに思えるようになった。
 そして、3年目のその日、タクは不思議な体験をした。

 いつものように30日の日付が変わる頃、新潟までジムニーを飛ばした。
 海岸で準備をしていると水平線が染まりかけたその時、遠くでゴーッという波音が聞こえてきた。タクはボードを抱えて急いで砂浜を走った。海に近づいてみると、3メートルほどの波が迫ってくるのがみえた。
 体がすぐに反応した。
ボードを抱えて海に飛び込み、迫り来る波に乗ろうと沖へ向かってこいだ。
(もう波が届いていい頃なのにおかしいな……)
 すると目の前に突然音もなく高波が現れ、タクは慌ててボードに乗った。波は一瞬、タクを飲み込んだように見えた。だが不思議と衝撃を受けずにバランスを崩しつつも波に乗ることができた。
 そして目の前には波のトンネルがはるか先まで続いていた。体に羽が生えてまるで空を飛んでいるような感覚だった。すると突然、目の前にサーフィンを楽しんでいるアイが現れた。
(アイ……)
タクはアイに追いつこうとした。
(速い……)
アイは上達していた。
トンネル内を踊るように楽しんでいる。アイは笑っていた。とても楽しそうに波に乗っていた。
アイにもう少しで手が届くーーそう思った時、突然波が静かになってタクはバランスを崩して海に落ちた。ボードを掴んで海岸線の方を振り返ると海には日が上り、いつもの穏やかな海だけがそこにあった。

 タクは砂浜に上がると程よい疲労感を感じ波打ち際に座り込んだ。
(そういえばあの時、二人で並んで朝日を眺めたっけな……)
タクは付き合い始めた頃の気持ちを思い出して自然と笑顔になっていた。
(アイ、ありがとう。また、来年も必ず来るよ)

 7月31日、朝5時。
2人だけのトンネルはこれからもきっと続いていく。
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