第1話
文字数 1,998文字
拳銃を構えたバスジャック犯が乗客に向かって言った。
「手を挙げろ」
従うのが吉。そう判断した俺は、言われるがままに手を挙げようとしたところで、いや待てよと踏みとどまる。
果たして、これは本当にバスジャックなのか?
じっと彼を観察してみる。全身を黒ずくめの服で覆い、フードを被り、目出し帽まで被っている。更にはその上にサングラスまで掛ける始末。
声でかろうじて男と分かる程度だ。夜闇に紛れようにも、今は始発のバス。何かがおかしい……
「また馬鹿なこと考えてるでしょ」
隣に視線を向けると、胡乱な目をしている友人の静香が見えた。馬鹿なこととは心外だ。反論しようとした瞬間、被せるように静香が口を開く。
「これって本当にバスジャックなのかな?」
流石は俺の幼馴染。長い時間を共に過ごしているだけあって話がわかる。「俺も同じことを思っていた」と返すと、彼女は自信を付けたように頷いてから話し始める。
「私はあの男、吸血鬼じゃないかと踏んでるんだよね」
……また静香が馬鹿なことを言い始めた。
言葉少なに、「その心は」と返すと、彼女はまくし立てるように持論を展開した。
「見てよ、あの肌ひとつ出てない格好。いくらなんでも不自然じゃない?」
「もういい、みなまで言うな。どうせ吸血鬼は日の光が弱点だから、とか言うつもりだろ」
「そうだけど、なに?」
「もしそうなら、夜間のバスを狙えばいいだけの事だろうに、何故そうしない」
「……まぁ、その理由はこれから考えるよ」
いくら考えたって無駄だろう。そもそも吸血鬼という前提からおかしいのだから、話にもならない。
「きみはどう思うの。私の考えを否定したんだから、きみも自分の考えを言うべきでしょ」
「勿論だ。俺が思うに、これは集団幻覚だな。あの男は俺たちが見ている幻というわけだ」
返事の代わりに返ってきたのはため息だった。相手にする価値もないと言わんばかりの態度である。
「待てよ。お前の荒唐無稽な話にも付き合ったんだ、俺の話も聞くのが筋だろ」
「どの口が。だいたい、集団幻覚よりも、君ひとりが見ている白昼夢って線の方がまだ濃いでしょ」
俺はそれを否定するためにも、「お互いにお互いの太ももをつねろう」と提案した。男に気取られないよう実行してみる。
「痛いな」
「痛いね」
これで白昼夢という説は消えた。そして、これが集団幻覚だという根拠はまだある。俺が静香を説き伏せようとしたその瞬間、パンと乾いた音が鳴った。
男が窓に向けて発砲したようだ。乗客からは悲鳴が上がり、「抵抗すると殺すぞ」という怒鳴り声がバスを揺らす。
「……これも集団幻覚? 発砲音に乗客全員が同時に反応したけど、それにはどう理由付けするの?」
「……それはこれから考える」
「有り得ない話をいくら考えたって無駄だよ。賭けたっていい」
「乗った。考えが間違っていた方は合っていた方に明日のランチを奢ること」
静香は愉快そうに笑ってから、座席の下でスマホを触り始める。警察に通報しようという魂胆だろうか。さすがは現代っ子と言うべきか、片手で楽々と操作を終えたようだ。
「ねぇ、ちょっと私のスマホに電話かけてくれない?」
てっきりどこかに助けを求めた旨を報告されると思っていたものだから、少し面食らった。
「なんでそんなことを」
「いいから。どの道きみの集団幻覚って考えが正しいなら、どうなろうと構わないでしょ」
そう言われると弱い。俺は言われた通りにスマホを操作して電話をかける。
すると、まあ当然のように場違いな着信メロディが車内に響いた。流れる音楽は「ヒーロー」という古いアニメの主題歌だったか。ふと懐かしさを覚えていると、バスジャック犯の男が声を荒らげた。
「おい、誰のスマホだ!?」
発信源を探し求めて、すぐに俺たちの元へ到着する。「私です」と言って静香が自分のスマホを差し出すと、男は血眼でそれを手に取った。
こうなると集団幻覚という線は薄くなってくる。俺が残念に感じていると、突如として男の様子がおかしくなった。
スマホを床に落とし、喉に手を当て、この世の終わりのような呻き声を漏らす。とうとう彼の体は塵になり、それすらも風に乗ってどこかに消えた。
「賭けは私の勝ちだね」
説明を求めるように視線を向けると、スマホの画面を見せながら勝ち誇る静香の姿が見えた。そこには十字架の画像が映っている。なるほど、吸血鬼の弱点たる十字架をホーム画面に設定してから着信メロディで注意を引き、まんまと罠に掛けたわけか。
……しかし、本当に吸血鬼だったとは。
◆◆◆
それからの顛末はこうだ。まず警察が駆け付ける。聴取では乗客を含め、みな口を揃えて「バスジャック犯が」と言う。しかし肝心の犯人の姿は何処にもない。結局、翌日には謎の集団幻覚事件として大々的に報道されるのだった。
さて、この場合賭けはどうなるんだろうか。どうやら交渉の余地はありそうだ。
「手を挙げろ」
従うのが吉。そう判断した俺は、言われるがままに手を挙げようとしたところで、いや待てよと踏みとどまる。
果たして、これは本当にバスジャックなのか?
じっと彼を観察してみる。全身を黒ずくめの服で覆い、フードを被り、目出し帽まで被っている。更にはその上にサングラスまで掛ける始末。
声でかろうじて男と分かる程度だ。夜闇に紛れようにも、今は始発のバス。何かがおかしい……
「また馬鹿なこと考えてるでしょ」
隣に視線を向けると、胡乱な目をしている友人の静香が見えた。馬鹿なこととは心外だ。反論しようとした瞬間、被せるように静香が口を開く。
「これって本当にバスジャックなのかな?」
流石は俺の幼馴染。長い時間を共に過ごしているだけあって話がわかる。「俺も同じことを思っていた」と返すと、彼女は自信を付けたように頷いてから話し始める。
「私はあの男、吸血鬼じゃないかと踏んでるんだよね」
……また静香が馬鹿なことを言い始めた。
言葉少なに、「その心は」と返すと、彼女はまくし立てるように持論を展開した。
「見てよ、あの肌ひとつ出てない格好。いくらなんでも不自然じゃない?」
「もういい、みなまで言うな。どうせ吸血鬼は日の光が弱点だから、とか言うつもりだろ」
「そうだけど、なに?」
「もしそうなら、夜間のバスを狙えばいいだけの事だろうに、何故そうしない」
「……まぁ、その理由はこれから考えるよ」
いくら考えたって無駄だろう。そもそも吸血鬼という前提からおかしいのだから、話にもならない。
「きみはどう思うの。私の考えを否定したんだから、きみも自分の考えを言うべきでしょ」
「勿論だ。俺が思うに、これは集団幻覚だな。あの男は俺たちが見ている幻というわけだ」
返事の代わりに返ってきたのはため息だった。相手にする価値もないと言わんばかりの態度である。
「待てよ。お前の荒唐無稽な話にも付き合ったんだ、俺の話も聞くのが筋だろ」
「どの口が。だいたい、集団幻覚よりも、君ひとりが見ている白昼夢って線の方がまだ濃いでしょ」
俺はそれを否定するためにも、「お互いにお互いの太ももをつねろう」と提案した。男に気取られないよう実行してみる。
「痛いな」
「痛いね」
これで白昼夢という説は消えた。そして、これが集団幻覚だという根拠はまだある。俺が静香を説き伏せようとしたその瞬間、パンと乾いた音が鳴った。
男が窓に向けて発砲したようだ。乗客からは悲鳴が上がり、「抵抗すると殺すぞ」という怒鳴り声がバスを揺らす。
「……これも集団幻覚? 発砲音に乗客全員が同時に反応したけど、それにはどう理由付けするの?」
「……それはこれから考える」
「有り得ない話をいくら考えたって無駄だよ。賭けたっていい」
「乗った。考えが間違っていた方は合っていた方に明日のランチを奢ること」
静香は愉快そうに笑ってから、座席の下でスマホを触り始める。警察に通報しようという魂胆だろうか。さすがは現代っ子と言うべきか、片手で楽々と操作を終えたようだ。
「ねぇ、ちょっと私のスマホに電話かけてくれない?」
てっきりどこかに助けを求めた旨を報告されると思っていたものだから、少し面食らった。
「なんでそんなことを」
「いいから。どの道きみの集団幻覚って考えが正しいなら、どうなろうと構わないでしょ」
そう言われると弱い。俺は言われた通りにスマホを操作して電話をかける。
すると、まあ当然のように場違いな着信メロディが車内に響いた。流れる音楽は「ヒーロー」という古いアニメの主題歌だったか。ふと懐かしさを覚えていると、バスジャック犯の男が声を荒らげた。
「おい、誰のスマホだ!?」
発信源を探し求めて、すぐに俺たちの元へ到着する。「私です」と言って静香が自分のスマホを差し出すと、男は血眼でそれを手に取った。
こうなると集団幻覚という線は薄くなってくる。俺が残念に感じていると、突如として男の様子がおかしくなった。
スマホを床に落とし、喉に手を当て、この世の終わりのような呻き声を漏らす。とうとう彼の体は塵になり、それすらも風に乗ってどこかに消えた。
「賭けは私の勝ちだね」
説明を求めるように視線を向けると、スマホの画面を見せながら勝ち誇る静香の姿が見えた。そこには十字架の画像が映っている。なるほど、吸血鬼の弱点たる十字架をホーム画面に設定してから着信メロディで注意を引き、まんまと罠に掛けたわけか。
……しかし、本当に吸血鬼だったとは。
◆◆◆
それからの顛末はこうだ。まず警察が駆け付ける。聴取では乗客を含め、みな口を揃えて「バスジャック犯が」と言う。しかし肝心の犯人の姿は何処にもない。結局、翌日には謎の集団幻覚事件として大々的に報道されるのだった。
さて、この場合賭けはどうなるんだろうか。どうやら交渉の余地はありそうだ。