第1話

文字数 1,992文字

「シゲ、体調はどうですか。こちらは今日も太陽が朝から顔をのぞかせて、元気になる薬のように光を降り注いでいるよ。花も鳥も空も海も、すべてが太陽の薬のおかげで元気な色をしているんだ。
僕のいるところは窓から海が見えて、その青さはおいでよおいでよと呼んでいるようだよ。ここはまさに、ユートピアだ」

絵ハガキの裏は、その青い海の写真だった。
見舞いに来たガールフレンドのサチが、その写真を見て心を奪われた。
「エメラルドグリーンの海ね。サンゴ礁があるのかしら。沖縄、それとも南太平洋の島?」
「どこだかわからない。でも彼は、そこをユートピアだと言ってる」
「よっぽどいい所なんでしょうね」

佐伯邦繫(くにしげ)は18歳。白血病で入院して10か月ほどになる。入院したころから、ユートピアの絵ハガキが届くようになった。差出人は「テツオ」。
月に2回の割合で届くそのテツオからの絵ハガキは、いつしか邦繁にとって数少ない癒しとなった。
テツオからの絵ハガキが他にもあると言うと、サチは目を輝かせて「ここにあるの? 見たい!」と所望した。
絵ハガキはいつでも見られるように、枕元にまとめて置いてあった。
サチは絵ハガキの文章の方には目もくれず、「ユートピア」の写真を熱心に眺めた。
写真の色彩の反映を受けて、サチの頬は紅潮していた。
「白い砂浜、きれいね。なんで白いのかわかる?」
「サンゴの石灰質の骨格とかが堆積しているんだって。テツオのハガキに書いてあった」
「あ、そうなの。サンゴが作った島ね。サンゴって、植物じゃなくて動物なんでしょ」
「うん。イソギンジャクの仲間で、触手を持ってるんだって。サンゴ礁には、クマノミとか珍しい魚や貝がいるらしいよ。これもテツオの受け売りだけど」

「花もきれいね。南の島らしい鮮やかな色で」
サチが絵ハガキを見つめながら言った。
絵ハガキには海だけでなく、島の花や建物、公園といった風景の写真もあった。
花々は、ハイビスカスやプルメニアを思わせる華やかな色彩で、島の自然に守られてのびのびと個性を開花させていた。
建物は南の陽光を存分に反射させる白い壁の石造りで、屋根は海からの延長のような青色だった。
楕円形にくりぬかれた窓には、花が飾られていた。
テツオもこうした建物に滞在しているのだろう。

「テツオさんって、シゲの友人、それとも家族?」
「うん、家族かな」
邦繁の言いにくそうな返事に、幸はそれ以上追及しないことにしたが、やはり気になった。
「このユートピア島にずっといるの?」
「そうだね。もうずいぶん前から。でも絵ハガキをくれるようになったのは、最近だよ」
その「最近」も、絵ハガキの数からすると1年近く前だろうと、サチは推測した。
すると旅行で短期滞在しているのではなく、移住でもしたのだろうか。
海が好きで、ダイビングもするだろう。そして、カメラも趣味なのだろう。

絵ハガキを一通り見て、サチは気になったことがあった。写真は大半が戸外で撮影されているが、半分くらいの写真に光の環が映り込んでいる。
これはゴーストというもので、逆光で撮影した際に発生しやすいのだとサチは聞いたことがあった。
「このゴーストっていう光の帯だけどわざとなのかな」
「テツオは逆光で撮るのが好きみたいだよ。それに、ゴーストが出やすいフィルムカメラのオールドレンズを使ってるらしい」
「じゃあ、わざとね」
「そう。ゴーストはレンズに反射した太陽光で、海の青も太陽の光の反射だ。太陽に向かって立って、その光を反射させるのが生きている証だって」
「テツオさんが?」
「うん」
眩しい太陽にカメラを向けること、それがテツオの生きることの信条なのだろう。

「シゲ、ここの時間の流れはそっちとは違う。でもそれは、川のように飛び切り青い海に流れていくんだ。生命の源の海に。ここは本当にいいところだ。早く来すぎたことも、後悔していない。君が来るのが待ち遠しいぐらいだよ」

その文を読んで、サチは不思議に思った。
邦繁がその島に行く?
抗がん剤で脱毛した頭に医療帽をかぶり、毎日点滴している彼が?
サチの疑問を感じ取って、邦繫が静かに話し始めた。

「君はそんなに鈍感じゃないから察しがついていると思うけど、テツオがいるユートピアは、文字通りこの世のどこにもない島なんだ。
テツオは、僕の祖父なんだ。
50年前、南の島のサンゴ礁でダイビングをしていて、行方不明になった。当時23歳で、新婚で奥さんのお腹の中には僕の父がいた。
みんな、テツオは愛する南の島のサンゴ礁の一部になったのだと考えて慰め合った。
僕はテツオのお墓によくお参りに行った。それで、テツオも僕に親しみを感じていたんだろうね。でも、テツオから絵ハガキが来た時は正直驚いたよ。しかもこの病院宛てに。
これが来るようになったのは、1年近く前、僕が余命1年と宣告されてからだ。もうすぐ僕は、テツオのいるユートピアに旅立つだろう」

(了)

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み