旅先のバス停

文字数 1,760文字

 私を心配してくれる、数少ない友人からの連絡も途絶えた。
 スマホの電波が届かなくなったのだ。
 母と妹からは、ひっきりなしに電話がかかってきていたが出なかった。
 自分自身の心変わりが怖かったのだ。
 
 スマホの電波すら届かない奥深い樹海に、心が解放された気分。
 もう戻る気はない。
 今まで一人きりだと思っていたが、最後に心配してくれる人がいてよかった。
 これで心置きなく旅立てる。

 人が通るには狭すぎる道を選ぶ。
 けもの道だろうか?
 自分が野性的になった気になり、少し心がはずんだ。

 木々が高いと、太陽が少し傾いただけで急激に暗くなる。
 スマホの時計では、まだ夕方のはず。
 しかし辺りは暗くなり、自分のまわり以外はすべて暗闇になった。

 自分がどこに向かっているかもわからず、目的地も考えていない。
 ただ、止まればそこが最終地点となる。
 それが少し怖ろしく、先延ばしにしたいがために足を進めた。

 足先から草の感触が消え、急にまわりが開ける。
 左右に走る道は、でこぼこ道だが地面が見え、車一台分ほどの幅がある。

 そして目の前に、バス停とかかれた看板があった。
 屋根もなく、ただ錆びついた看板がひっそりと立っている。

 兆しもなく、雨が降ってきた。
 さらさらと髪を濡らし、つたう雨粒が首筋から入ってくる。

 ぱらぱらと雨音が変わった。

 隣に何かがいる。
 そして雨傘をもって、私を雨からかばってくれている。

 もしかしてトトロ?
 絵本に出てきそうな愛くるしい生き物がいるのかしら?
 
 でも、振り返るのは少し怖い。

「トトロなの?」

 聞いた後、もし違ったらすごく恥ずかしい問いかけなのではと気づいた。
 羞恥で耳の辺りが熱くなってくるのを感じていると、小さな声でそれは答えた。

「トロロ……」

「やっぱり! あなたトト……ん? トロロ?」
 
「汁のほうの……」

 振り向くと、シルエットはトトロだが、なんだかベタついた生き物がいた。
 私が絶句していると、トロロは「似たようなものなので」とボソボソつぶやいている。

「いや、似てないと思うけど」

「ベタベタつながりですし」

「トトロはベタベタしてないよ。たぶん」

「デブは氷点下超えると、みんなベタベタしてくるので」

 その可能性も無いとはいわないけど、夢をこわさないで欲しい。
 あと、思った以上に粘り気が強くて、触れたくないから離れて欲しい。

 偽ランドの偽キャラクターを、半年ぐらい野ざらしにしたような生き物から距離をとる。
 このまま本気で走って逃げようと思った時、トロロが「もうすぐバスがきます」と言った。

 バスってもしかして……いや、期待してはダメだ。
 でも、もしかしてそうだったら乗りたい。
 死ぬ前に一度はみんな乗りたいはずだ。
 もし乗れたら気持ちよく旅立つことができる。

「それって猫のバスみたいな感じなの?」

「猫? 私立幼稚園の送迎バスみたいなってことですか?」

「ちがうちがう。著作権心配なるぐらいキャラデコしてるバスの話じゃなくて」

 ちがうっぽい。
 期待してなかったけど、かなり残念。
 あと、なんかこいつの知識幅が妙に広いのと、ムダに饒舌になってきたのが不安。

 バスへの興味を全面的に失った私は、愛想笑いをしつつトロロに背を向けた。

「じゃあ、もうそろそろ帰らなくちゃいけないから」

「それはよかったです。この傘を持っていきなさい」

 トロロが差し出した傘は、紺色の地味な傘。
 キャラクター感がまるでない、中年の男性がもってそうな傘。

 強引に押し付けられる傘を、半ば本気で押し返していると、いきなり光が飛び込んできた。
 それがバスのヘッドライトだとわかった時には、激しい衝撃に身体が浮き上がっていた。



 「おねえちゃん!」

 後ろから光を浴びるようにして、私は立っていた。
 押し付けられた傘を、ちゃんと差して。
 前からは、妹が半狂乱で抱きついてくる。
 振り向くと、コンビニのまぶしい明りに眼がくらむ。

 近所のコンビニだ。
 何時間もかけて旅をしたのに、いつの間にか家から歩いて五分のところにいる。
 妹が、両親や友人たちも心配していると泣きながら、そして怒りながら叫んでいる。
 
 紺色の傘をおろすと、雨は降っていなかった。
 べたつく傘の柄に「ありがとう」とお礼を言ったら、少し笑ったけど、涙があふれてきてしまった。
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み