第1話

文字数 1,970文字

 またこの男は私を見てくる。
 度々こいつは飽きずに私の瞳をじっと見てくる。何が面白いのか。
 戦場では皆から鬼と言われているらしいが、私の前ではそんなようには見えない。いつも私の瞳を見ては何かを確認したかのように安心し、行動に移すのだ。
 たまに頭を撫でてくることもある。なんて馴れ馴れしいやつだとは思うが、悪い気はしないから黙っている。昼間に心地よく日向ぼっこをしていると、急に抱きかかえてくることもある。その武骨な手に似つかわしくない、優しい手つきで抱えてくるから、私は黙ってされるがままにこの男に抱かれるのだ。
 面白いのはこの男は名前がよく変わる。ある時は又四郎、またある時は惟新斎、しまいには鬼島津とか、とかく名前の多い男だ。私は気にしないが、そんなにたくさんの名前で呼ばれて返事に困らないのは感心だ。
 なぜかはわからないが、よく私はこの男に戦場へ連れて行かれる。
 あの喧騒や血なまぐさいにおいは正直苦手だ。しかし有無を言わさずに連れて行かれるから、私に抵抗する余地はない。そもそも側にいるだけで私は何もしないから、別に嫌がりもしない。
 一番つらかったのは海を渡った時だ。
 何やら大きな船に乗って海を渡り、遠い異国の地の戦場へ向かった。そこでこの男は戦ったのだが、そこでも異国の者に鬼と言われていたらしい。いつもは敵の首を取っていたが、皆で耳やら鼻を大量に陣に持って来ていた。私としては見ていて気持ち悪いが、それがこやつらの習いなのだろう。一方でこの男は相変わらず私の前では鬼なんて感じは出さず、優しく撫でていた。もちろん私は何もしていない。その戦場でもこいつは私の瞳を見て何かを決めていたようだ。
 ほとんどつらい思い出しかないが、海を渡って面白いこともあった。
 普段住んでいるところでは見ない風景や人、さらにいつもは食べない魚も出してもらった。味はやはりいつも食べるものが良いが、異国のものも悪くなかった。この男は側でうまいかと語り掛けてきたが、私はそんなの気にせず黙々と食べていた。
 いつもは鬼と呼ばれるこの男もさすがに異国の地は慣れず、なかなかつらかったらしい。故郷の家族へ文をまめにおくっていた。私も珍しく哀れに思い、度々側に寄り添って慰めてやった。よほど嬉しかったのか男は満面の笑みで喜んでいた。そしてついに帰国の途へついたときは、誰もいないところでひっそり泣いていた。鬼の目にも涙とはよく言ったものだ。
 さて、そして今また私はこの男と戦場にいる。
 相も変わらず私の瞳を見ているが、一向に動こうとしない。珍しいものだ。治部とかいう者から何度も催促が来ているが、じっと黙って座っていた。此度の戦は何やら複雑なようだ。
 国許から戦に向かう時も、兄と何度も揉めていたらしい。その度に私はこの男の側で慰めてやった。戦になってもいろいろと大変なようで、味方に意見が聞き入られなかったりと、困り果てているようだ。挙句の果てに今は味方の催促を聞かず、怒鳴って送り返すくらいに拗ねているようだ。
 しかし、どうやら状況は変わってきたようだ。
 味方が寝返ったらしい。ずっと動かなかったこの男も、何やら甥とひそひそ話している。
 遠くから敵と思える怒声が聞こえる。この陣にも敵が迫ってきたようだ。周りの兵が慌ただしく鉄砲やら弓やらの準備を始めている。一方でやつはまだ長々と談義をしているようだ。
 そうしているとついに目前に敵が来たようだ。兵たちは鉄砲や矢を一斉に浴びせている。それに敵は手をこまねいてるのか、なかなか陣にたどり着けない。ここの陣の前には、敵の屍が次から次へと重なっていた。次第に血の匂いが漂ってくる。
 ついに敵はあきらめたのか、この陣を避けて通って行った。一方でさっきから話し込んでいたこの男は、何かを決めたようだ。また、私の瞳をじっと見つめてくる。
 しかし、この瞳を見る目はいつもと違う。なんであろうか、死ぬ覚悟をした目とでも言おうか。そして男は私をいつものように優しく抱きかかえた。ゆっくりと、そして力強く、私の毛並みを感じ取るように頭から背中を撫でる。最後にじっと抱きしめ、そして私を足元に置いた。
 すると、男は私を置いて待っている味方の側へと歩く。そこで何かを語りかけた。何を言っているのかはよくわからないが、中には涙して鼻をすする者もいる。そして男はすべて語り終えると、振り向き私の瞳をじっと見る。その後、振り返りすぐに味方と共に馬を駆り去ってしまった。
 私とその男の最後の瞬間であった。

 薩摩の武将島津義弘は、いつも時間を確かめるために猫を連れていたらしい。慶長五年、関ヶ原の戦いに参陣した義弘は、西軍敗北確実と見るや徳川家康の本陣目前に迫り、そこから撤退したという。果たしてその時、彼の猫がどうなったのかは誰も知らない。
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