第1話
文字数 2,037文字
薄暗い小道まで、宝石の欠片みたいな眩いネオンの光が届いていた。楽しみだね、と白い息を漏らして彼女は笑う。
いたずらげな微笑も、風に靡 くしなやかな髪も記憶のままだった。あの頃と同じ距離間で、十数センチの身長差で。ただ一つ違うのは――
愛も恋も、くだらない。彼女作りに盛んな友人たちを蔑んでいた頃、
「君ってさ『コレ』なの?」
「はあ?」
手の甲を頬に当てにんまりと笑った女は、まるで俺自身だった。
高一の夏、これが俺と佐久間の初会話だ。
「違えよ。なんでだし」
「『高田はソッチ系だ』って噂だよ」
すらりとした長身と、小作りな顔にアーモンド形の瞳。飄々とした言動が、密かに男どもの心を掴んでいたことに無自覚だったらしい。
「興味ねえだけだって、恋愛とか」
「へえ。面白いね」
些細なやりとりから、俺たちは急速に親しくなった。
疑惑が消えた俺は彼女との仲を詮索されるようになったが、俺と佐久間は男女という垣根を越えた、いわば同盟に近い絆で結ばれていたように思う。それが誇らしいと感じる年頃だったのだ。
「高田くん、アイス食べていこう」
彼女はよく俺の後ろで呟いた。
駅への小道。必死にペダルを漕ぐ俺と、無賃乗車の佐久間。限りなく続くと信じていた日常の中で。
「私はイチゴ。高田くんはダイナマイトいっちゃう?」
「いかねえよ」
駅前のアイス屋には、『SSSダイナマイト』という遊び心しかない目玉商品があった。金魚鉢に盛られたアイスは子供たちの憧れで、けれど金額はゼロがひとつ多いアダルト級。
佐久間はそれに興味があったらしい。あるとき俺は、冗談交じりに提案した。
「勝負をしないか?」
実にシンプルな、俺たちらしいゲームだ。
もしも恋をしたら、アイスを奢る。
「えー。一生食べれないかもよ?」
「いや、わからないぜ」
ゲームは今年、十年目に突入する。卒業して地元を離れた俺たちは、自然と疎遠になっていった。Uターン就職をする頃には連絡も途絶えたが、再会したら変わらず互いを茶化し合えるのだと信じていた。
だから俺は。
「さくちん結婚したの?」
元同級生たちの喧騒の中で、ただ呆然と立ち尽くした。
今更過ぎる同窓会。へらりとした佐久間を一瞥して、嘘だろと呟いた声は力なく消えていく。
十年もの歳月が、何も変わらずに流れることなどあり得るのだろうか。
二次会へ向かう輪から離れた俺の肩を、
「や、高田くん」
まるで昨日もそうしたように佐久間が叩いた。
「おう佐久間。久しぶり」
「今は川野、かな」
祭りの後となった店先に、その一言は響く。
「佐久間は佐久間だよ」
「へえ」
彼女の口癖。豆知識なんて言ってないぜ、俺。
薄い化粧のせいだけではないだろう。街明りが照らす顔には俺が知らない月日が刻まれ、艶やかさが滲んでいた。
「高田くんは?」
「相変わらず」
「じゃあ負けは私か」
心臓が暴れだして体が熱くなる。
「1月にアイスなんて食いたくねえよ」
努めてシニカルを装ったくせに、物理法則を無視したソレの消失を知ると、身体はアイスを食べずとも芯から冷えだした。ネオンが輝くテナントは、アジアンな雑貨屋に変わっていたのだ。
「……駅、行こうか」
彼女の声に、わかりやすい寂しさが滲む。変わっちゃうんだね、色々。呟きは独り言だろうと無視をした。
「にしても、結婚しちまったんだな」
終電を目指しながら、俺は佐久間の左手を見る。痛いほどに澄んだ空気に気圧され、なぜか囁くような小声だ。
「言えよな」
「うーん。高田くんは同盟者だったから」
「なんだそれ」
「暗黙の了解、じゃなかった?」
つんと痛む鼻の奥を慰めようと、マフラーに顔を埋め黙った。無口な女もそれきり口を噤む。十年の空白は埋められないまま、冬の夜に漂い続けた。
「たーかだくん」
線路を挟んだホームで声を張る佐久間に、酔ってんのかな、と呆れながら手を振って応えた。
「また会えるー?」
「十年後な」
無関心を装う、まばらな駅の利用者。
俺たちの声を遮り、踏切の音と機械的なアナウンスが響く。それが俺たちにとっての別れのワルツで、巻き戻せない時間が握りしめた拳の隙間から零れていくのが、不思議と実感できた。
ばいばい。佐久間の口は、そう動いたのだろうか。
鷹広くん。
滑り込んできた電車とすれ違い、無意識に駆けだしていた。ひび割れた跨線橋を一段飛ばしで上る俺は、足だけが動き脳は数秒先の未来さえ予測できない。小刻みな階段は永久に続くのではないか。涙が目頭に滲んだとき、唐突にホームに放り出された。誰もいない、数秒前まで佐久間の影が刻まれていたその場所に。
消失点へ消える電車の中の佐久間は、見送る俺が吐いた科白を永遠に知らないままだろう。
「俺の負けだったんだよ」
鷹広くん。耳なじみのない呼び方が、まだ頭を巡っている。
いたずらげな微笑も、風に
愛も恋も、くだらない。彼女作りに盛んな友人たちを蔑んでいた頃、
「君ってさ『コレ』なの?」
「はあ?」
手の甲を頬に当てにんまりと笑った女は、まるで俺自身だった。
高一の夏、これが俺と佐久間の初会話だ。
「違えよ。なんでだし」
「『高田はソッチ系だ』って噂だよ」
すらりとした長身と、小作りな顔にアーモンド形の瞳。飄々とした言動が、密かに男どもの心を掴んでいたことに無自覚だったらしい。
「興味ねえだけだって、恋愛とか」
「へえ。面白いね」
些細なやりとりから、俺たちは急速に親しくなった。
疑惑が消えた俺は彼女との仲を詮索されるようになったが、俺と佐久間は男女という垣根を越えた、いわば同盟に近い絆で結ばれていたように思う。それが誇らしいと感じる年頃だったのだ。
「高田くん、アイス食べていこう」
彼女はよく俺の後ろで呟いた。
駅への小道。必死にペダルを漕ぐ俺と、無賃乗車の佐久間。限りなく続くと信じていた日常の中で。
「私はイチゴ。高田くんはダイナマイトいっちゃう?」
「いかねえよ」
駅前のアイス屋には、『SSSダイナマイト』という遊び心しかない目玉商品があった。金魚鉢に盛られたアイスは子供たちの憧れで、けれど金額はゼロがひとつ多いアダルト級。
佐久間はそれに興味があったらしい。あるとき俺は、冗談交じりに提案した。
「勝負をしないか?」
実にシンプルな、俺たちらしいゲームだ。
もしも恋をしたら、アイスを奢る。
「えー。一生食べれないかもよ?」
「いや、わからないぜ」
ゲームは今年、十年目に突入する。卒業して地元を離れた俺たちは、自然と疎遠になっていった。Uターン就職をする頃には連絡も途絶えたが、再会したら変わらず互いを茶化し合えるのだと信じていた。
だから俺は。
「さくちん結婚したの?」
元同級生たちの喧騒の中で、ただ呆然と立ち尽くした。
今更過ぎる同窓会。へらりとした佐久間を一瞥して、嘘だろと呟いた声は力なく消えていく。
十年もの歳月が、何も変わらずに流れることなどあり得るのだろうか。
二次会へ向かう輪から離れた俺の肩を、
「や、高田くん」
まるで昨日もそうしたように佐久間が叩いた。
「おう佐久間。久しぶり」
「今は川野、かな」
祭りの後となった店先に、その一言は響く。
「佐久間は佐久間だよ」
「へえ」
彼女の口癖。豆知識なんて言ってないぜ、俺。
薄い化粧のせいだけではないだろう。街明りが照らす顔には俺が知らない月日が刻まれ、艶やかさが滲んでいた。
「高田くんは?」
「相変わらず」
「じゃあ負けは私か」
心臓が暴れだして体が熱くなる。
「1月にアイスなんて食いたくねえよ」
努めてシニカルを装ったくせに、物理法則を無視したソレの消失を知ると、身体はアイスを食べずとも芯から冷えだした。ネオンが輝くテナントは、アジアンな雑貨屋に変わっていたのだ。
「……駅、行こうか」
彼女の声に、わかりやすい寂しさが滲む。変わっちゃうんだね、色々。呟きは独り言だろうと無視をした。
「にしても、結婚しちまったんだな」
終電を目指しながら、俺は佐久間の左手を見る。痛いほどに澄んだ空気に気圧され、なぜか囁くような小声だ。
「言えよな」
「うーん。高田くんは同盟者だったから」
「なんだそれ」
「暗黙の了解、じゃなかった?」
つんと痛む鼻の奥を慰めようと、マフラーに顔を埋め黙った。無口な女もそれきり口を噤む。十年の空白は埋められないまま、冬の夜に漂い続けた。
「たーかだくん」
線路を挟んだホームで声を張る佐久間に、酔ってんのかな、と呆れながら手を振って応えた。
「また会えるー?」
「十年後な」
無関心を装う、まばらな駅の利用者。
俺たちの声を遮り、踏切の音と機械的なアナウンスが響く。それが俺たちにとっての別れのワルツで、巻き戻せない時間が握りしめた拳の隙間から零れていくのが、不思議と実感できた。
ばいばい。佐久間の口は、そう動いたのだろうか。
鷹広くん。
滑り込んできた電車とすれ違い、無意識に駆けだしていた。ひび割れた跨線橋を一段飛ばしで上る俺は、足だけが動き脳は数秒先の未来さえ予測できない。小刻みな階段は永久に続くのではないか。涙が目頭に滲んだとき、唐突にホームに放り出された。誰もいない、数秒前まで佐久間の影が刻まれていたその場所に。
消失点へ消える電車の中の佐久間は、見送る俺が吐いた科白を永遠に知らないままだろう。
「俺の負けだったんだよ」
鷹広くん。耳なじみのない呼び方が、まだ頭を巡っている。