第1話 平凡な学芸員の危険な一日
文字数 2,024文字
縄文式土器とか弥生式土器に刷毛を掛けたりする?
土偶を発掘した事ある?
仕事が博物館学芸員だと言うと凡その部外者はそんな事を訊く。
日本史が好きでこの仕事を選んだのだが、僕のは近代史。
勤務先は東都近代史博物館。
つまり発掘はしない。
学芸員=考古学、と、言う固定観念は誰もが持つ。
それにこれ以上なく稼ぎの悪い平凡な仕事だと言う事も。
まぁ、当たっているかもだけど。
但し今日だけはそんな平凡な学芸員の僕が、何時もとは違う危険な一日を過ごした。
まるで映画みたいにスパイに攫われるなんて、嘘みたいなこと。
それにその後味方のスパイ達に助けられるなんて、それこそ映画の世界での話だ。
さっき味方の彼等が僕を家に戻してくれた。
今僕は自分の部屋の机の前に座って居る。
そんな僕が近代史に嵌まったのは曾祖父の残した極秘文書が有ったからだ。
帝國陸軍第二十三軍司令官にして日本統治時代最後の香港占領地総督・田中久一(たなかひさかず)中将。
彼はBC級戦犯として1947年3月広州で銃殺刑になった。
その田中中将の秘書官であった僕の曽祖父。
そんな僕の曽祖父が、その極秘文書を日本に持ち帰った。
恐らく田中中将が所持していた物だろう。
僕は中学の時それを蔵の中で見付けた。
それ以来僕は日本近代史の研究に没頭した。
大学院を出て博士号迄取ったけどその極秘文書のお蔭で、薄給でも研究に没頭出来る学芸員の道を選ぶ事になった。
そしてそんな僕にも愛しい人が出来た。
とは言え半年掛けたその恋も今日で潰えたが、それでも後悔は無い。
彼女の名は美玲。
結局僕の知る苗字は偽物だったけど、美玲と言う名は本物だった。
そう、あの有名な美人女優と同じ名だ。
但しそれをメイリンと読むのだと言う事は今日初めて知った。
それに美玲が中華民国(台湾)軍の諜報員と言う事もだ。
彼女の日本語は台湾人の話すカタコトのそれでは無かったし、何よりもあんなにあどけなく笑う彼女がスパイだなんて誰が信じる。
それに今日は彼女の仲間だと言う自衛隊別班の諜報員や、CIAの諜報員迄現れて救ってくれたのだから自分でさえ信じられない。
敵スパイの狙いは曽祖父の極秘文書だった。
その文書の起源は1937年9月22日に発布された第二次国共合作宣言の際に遡る。
盧溝橋事件勃発以降中国本土への日本軍侵攻の本格化が始まる。
それに対抗する為国民党と共産党で為された共闘の合意が第二次国共合作である。
その際蒋介石と毛沢東の間で交された極秘文書のことは、僕以外世界の誰も知らないことだと思っていたが、違った。
現在の中国は疎か台・米・日の政府もそのことを知っていた。
永年の 終わりの歩み さわやかに
恵みの途を 辿りゆく吾
これは田中中将の辞世の句でそある。
極秘文書は曽祖父の筆に依るその辞世と共に綴られていた。
極秘と捺印されたその文書には当時の日本の植民地について、彼等が日本に勝利した場合の処遇が記されていた。
そこにはその場合元来清国の領地だったそれ等地域は、東三省(満州)を除く総ての地が国民党に帰属すると蒋介石と毛沢東の二人の署名付きで記されていたのだ。
畢竟そこには台湾も香港も含まれている。
内密に鑑定して貰った結果筆跡も彼等の物と分かった。
つまりその文書は香港が現在の台湾に帰属すると、共産党が認めた証拠になり得るのだ。
香港が中国に返還される際清の正統な後継者は中華民国だとして、台湾が香港の返還を英国に迫った事があった。
清朝の臣下だった李鴻章が全権代理として、英国と香港租借の契約を交わしたことから台湾はそう主張したのだが、当然却下された。
ところが曾祖父の極秘文書はそれと違う次元で、香港が台湾に帰属する事を証明出来る。
但しそうであってもこの文書の真偽の程は疎か、存在さえ今の中国政府は認めないだろう。
とは言えそれでなくとも国家安全維持法の成立で世界から批判を集める香港のこと。
中国政府に対しての脅威にはなる筈。
その文書が今後どう扱われるか僕には見当も付かないが、唯、台・米・日三ヶ国の政府がそれに価値を見出している事だけは確かだ。
でもそれよりも僕に取っては、美玲の事の方がずっと気になる。
さっき中国のスパイから救ってくれた時、文書を手渡す僕に口付けしながら美玲が言った。
「本当に好きだった」、と。
その言葉は一生忘れないだろう。
そして美玲はその言葉の後に、「これは文書のお礼と口止め料」、と、続け、僕に一枚の銀貨を寄越した。
今じっとその銀貨を見詰めている。
金属成分分析器にも掛けてみたが結果はやはり本物だった。
ちなみに直近のオークションでのこの銀貨の落札価格は1千万。
恐らく1千万円だと言っても僕の母は信じないだろうが、このフローイング・ヘア・ダラーの実際の落札価格の通貨単位はUS$だ。
(了)
土偶を発掘した事ある?
仕事が博物館学芸員だと言うと凡その部外者はそんな事を訊く。
日本史が好きでこの仕事を選んだのだが、僕のは近代史。
勤務先は東都近代史博物館。
つまり発掘はしない。
学芸員=考古学、と、言う固定観念は誰もが持つ。
それにこれ以上なく稼ぎの悪い平凡な仕事だと言う事も。
まぁ、当たっているかもだけど。
但し今日だけはそんな平凡な学芸員の僕が、何時もとは違う危険な一日を過ごした。
まるで映画みたいにスパイに攫われるなんて、嘘みたいなこと。
それにその後味方のスパイ達に助けられるなんて、それこそ映画の世界での話だ。
さっき味方の彼等が僕を家に戻してくれた。
今僕は自分の部屋の机の前に座って居る。
そんな僕が近代史に嵌まったのは曾祖父の残した極秘文書が有ったからだ。
帝國陸軍第二十三軍司令官にして日本統治時代最後の香港占領地総督・田中久一(たなかひさかず)中将。
彼はBC級戦犯として1947年3月広州で銃殺刑になった。
その田中中将の秘書官であった僕の曽祖父。
そんな僕の曽祖父が、その極秘文書を日本に持ち帰った。
恐らく田中中将が所持していた物だろう。
僕は中学の時それを蔵の中で見付けた。
それ以来僕は日本近代史の研究に没頭した。
大学院を出て博士号迄取ったけどその極秘文書のお蔭で、薄給でも研究に没頭出来る学芸員の道を選ぶ事になった。
そしてそんな僕にも愛しい人が出来た。
とは言え半年掛けたその恋も今日で潰えたが、それでも後悔は無い。
彼女の名は美玲。
結局僕の知る苗字は偽物だったけど、美玲と言う名は本物だった。
そう、あの有名な美人女優と同じ名だ。
但しそれをメイリンと読むのだと言う事は今日初めて知った。
それに美玲が中華民国(台湾)軍の諜報員と言う事もだ。
彼女の日本語は台湾人の話すカタコトのそれでは無かったし、何よりもあんなにあどけなく笑う彼女がスパイだなんて誰が信じる。
それに今日は彼女の仲間だと言う自衛隊別班の諜報員や、CIAの諜報員迄現れて救ってくれたのだから自分でさえ信じられない。
敵スパイの狙いは曽祖父の極秘文書だった。
その文書の起源は1937年9月22日に発布された第二次国共合作宣言の際に遡る。
盧溝橋事件勃発以降中国本土への日本軍侵攻の本格化が始まる。
それに対抗する為国民党と共産党で為された共闘の合意が第二次国共合作である。
その際蒋介石と毛沢東の間で交された極秘文書のことは、僕以外世界の誰も知らないことだと思っていたが、違った。
現在の中国は疎か台・米・日の政府もそのことを知っていた。
永年の 終わりの歩み さわやかに
恵みの途を 辿りゆく吾
これは田中中将の辞世の句でそある。
極秘文書は曽祖父の筆に依るその辞世と共に綴られていた。
極秘と捺印されたその文書には当時の日本の植民地について、彼等が日本に勝利した場合の処遇が記されていた。
そこにはその場合元来清国の領地だったそれ等地域は、東三省(満州)を除く総ての地が国民党に帰属すると蒋介石と毛沢東の二人の署名付きで記されていたのだ。
畢竟そこには台湾も香港も含まれている。
内密に鑑定して貰った結果筆跡も彼等の物と分かった。
つまりその文書は香港が現在の台湾に帰属すると、共産党が認めた証拠になり得るのだ。
香港が中国に返還される際清の正統な後継者は中華民国だとして、台湾が香港の返還を英国に迫った事があった。
清朝の臣下だった李鴻章が全権代理として、英国と香港租借の契約を交わしたことから台湾はそう主張したのだが、当然却下された。
ところが曾祖父の極秘文書はそれと違う次元で、香港が台湾に帰属する事を証明出来る。
但しそうであってもこの文書の真偽の程は疎か、存在さえ今の中国政府は認めないだろう。
とは言えそれでなくとも国家安全維持法の成立で世界から批判を集める香港のこと。
中国政府に対しての脅威にはなる筈。
その文書が今後どう扱われるか僕には見当も付かないが、唯、台・米・日三ヶ国の政府がそれに価値を見出している事だけは確かだ。
でもそれよりも僕に取っては、美玲の事の方がずっと気になる。
さっき中国のスパイから救ってくれた時、文書を手渡す僕に口付けしながら美玲が言った。
「本当に好きだった」、と。
その言葉は一生忘れないだろう。
そして美玲はその言葉の後に、「これは文書のお礼と口止め料」、と、続け、僕に一枚の銀貨を寄越した。
今じっとその銀貨を見詰めている。
金属成分分析器にも掛けてみたが結果はやはり本物だった。
ちなみに直近のオークションでのこの銀貨の落札価格は1千万。
恐らく1千万円だと言っても僕の母は信じないだろうが、このフローイング・ヘア・ダラーの実際の落札価格の通貨単位はUS$だ。
(了)