こんな夜は

文字数 1,994文字

「とりあえず、乾杯」

きびきびと働く店員が見えるカウンター席で、ビールジョッキを音をたてて寄せ合う。よく冷えたそれを喉を鳴らして流し込むと、身体いっぱいに爽快感が広がっていく。半分ほど一気に飲み干してから、俺は大きく息を吐いた。

どんな時でも、この最初の一杯は格別だと思う。
とくに、こんな夜は―――。



駅で妻と待ち合わせて、適当に入った居酒屋だが当たりだった。
店の雰囲気も、店員の応対も感じがいい。
これは仕事にも使えるな、などと考えながらお通しの煮物を摘まんでいると、先に口火を切られた。

「あらためて聞くけど、どう思った?」
「……まぁ、いいんじゃない?」
「あはは!もぉ~」

問われたから答えたのに、肩を震わせながら笑われ、俺は眉を寄せた。

「……なんで笑うの?」
「だって、相変わらず素直じゃないなぁと思って」

くすくすと笑っている横顔に不貞腐れた顔を向けてみるも、悪びれた様子もなく「ごめんね」と返される。
語尾にハートマークがついていそうな、その軽い一言にますますムッとなって、俺は残りのビールを煽った。

いくつかの料理とともにビールも追加注文して、今夜の話題の中心である娘の顔を思い浮かべる。

社会人5年目。
今年27歳になった彼女から正月振りに連絡がきたのは、今から半月前に遡る。

*****

『お父さん!えぇっと……あのねっ』

やたらと口ごもる娘の声を電話口で聞いて最初こそ不思議だったが、しどろもどろに続く話を辛抱強く聞いているうちに、ついにこの時が来たのかと悟った。

彼氏ができたくらいでわざわざ俺に連絡などしてこないから、言いたいのはその先の話しか考えられない。

気持ちを落ち着かせるため、受話器から一旦顔を離して小さく息を吐く。
と、ふと視線を感じキッチンを見ると「てへ」とでも言っているかのように肩を竦めて笑う妻の姿があった。

知ってたな。

この感覚には、覚えがある。
娘に初めて彼氏ができたとき、俺はそれを妻の口から聞かされた。
今の共犯者みたいな笑みとともに。

娘の電話はやはり、結婚したい人を近いうちに家に連れていくという内容だった。

電話を妻に代わるや否や、日にちや時間はあっという間に決まり、半月後、さっそく四人で会う話がまとまった。

娘と結婚する男。
正直、どんな男が現れるのかまったく想像できない。



「はじめまして」

我が家のリビングでそう挨拶した男は、娘より3歳年上の30歳。会社の先輩らしい。
落ち着いた声に、清潔感のある見た目。
頼れる男といった感じだ。

出前の寿司をつまみながらのビールもいい飲みっぷりで、話が弾む。
仕事や二人のなれそめの話を聞いているうちに、娘が一度席を外したので、この隙に……と俺は目の前の彼を見た。

「少しいいかな」
「あ、はい!」

あらたまった空気を感じたのか、そう答えて俺を見返してくる瞳はどこまでもまっすぐだ。

「あの子は―――娘はひとりっ子で世間知らずなところがあります。見ていて危なっかしいというか……そのくせ他人には甘え下手で」
「……そうですね、わかります」

その表情に、思わず目をみはった。
慈しむように優しい笑みを浮かべて頷いた彼を見て、俺は心の底から安堵した。
妻と顔を見合わせながら、口元が自然と綻んでいく。

「そっか……。いや、余計なことを言ったね。娘をどうぞよろしくお願いします」

この言葉を建前でなく言えたことに感謝しながら、俺はビールをさらに彼に勧めた。

*****

「あ~!なんっかモヤモヤする……面白くない」
「うんうん、ほんとだねー」

何杯目かのビールで本音が顔を出し始めてきた夫の背中を、トントンとたたいて同意する。
気に入らないとかではなく、むしろ逆で、だからこそ今夜だけはごめんね、と未来の息子になる彼に心の中で謝った。

「ずるいよなぁ。変なの連れてきたら追い返す予定だったのに」
「変なのどころか、素敵すぎたもんね」

お酒に弱くないので、ただ絡んでいたいのだろう。
でも、こうなってしまう気持ちはよくわかる。
一人娘ということもあって、それはそれは大切に育ててきたのだから。

「……ねぇ、結婚式って泣く?」
「泣く?いや、泣かないよ、俺は。あ、出費には泣く」
「ふぅーん」



『パパ、ママ、まってよぉ~!』

甘えんぼで、どこへ行くときも一緒で、週末はいつも三人で遊んだ。
明るく太陽のように輝く笑顔を、まるで昨日のことのように思い出す。


泣かないなんて言ってるけど、
あなたも私も、
たぶん、結婚式では泣いてしまうのだろう。

生まれたての小さな娘の手足。
まんまるのほっぺ。

初めて笑ったとき。歩いたとき。「パパ」「ママ」と言ったとき。

そんな幼い娘の姿がいくつも重なり合って、花嫁姿の向こうに見えるから。



「はぁ、娘なんて嫌だぁ~!」
「もぉ、親ばかだなぁ」

それはお互い様だと自覚しているけれど。
ついに泣きが入ってきた彼に笑ってそう言うと、私は運ばれてきたビールに手を伸ばした。

「もう一回、乾杯しよっか」



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