叶わなかった初恋は呪い
文字数 9,568文字
黒光りするプラスチックの薄板でできたそれを手に取った時、心が僅かに高揚した。
この感覚は久しぶりだ。
ここ数ヶ月何をしても何の感情も湧かず、それこそ心がモノクロの写真として固定されてしまったかのようだった。
それが一瞬とはいえ、動いた。
小さなカメラのレンズフード一つで。
一眼レフを買ってからもう五年ほど経つけれど、今の今までレンズフードというものを使ったことはなかった。
今よりずっとたくさんの収入と貯金があった頃でさえ、買わなかったものをなぜ今になって買ったのかというと、今の僕にはその頃にはなかった時間があるからだ。
朝八時くらいに起きて、ゆっくり朝ご飯を食べて、漫画を読んで、ゲームをして、目が疲れたらふらりとカメラを持って外に出て、二時間くらい近所の住吉川に沿ってぶらぶら歩きながら趣味の写真を撮り、帰ったら昼寝をして、夕食を食べて、お風呂に入って、テレビを見て、日付が変わるかどうかという時刻に寝る。
二十六歳にもなってそんな立派な社会人とは程遠い生活を送っているのが今の僕だ。
朝早くから夜遅くまで忙しく働き、ろくに遊ぶ暇がない一般的な社会人たちからすれば嫉ましい環境かもしれないが、僕からすれば彼らの方が羨ましい。
彼らにはまともなコミュニケーション能力と記憶力、そして有能な表情筋が備わっていて、世の中で求められる「普通のこと」を当たり前に自然にこなすことができる。
学校の同級生や職場の同僚で話が合う人、出身地や出身校といった共通点がある人を見つけ出して、友達になり、自分の居場所を作るくらいは朝飯前。
たとえそれが上辺だけの薄っぺらいものでも、人間関係というものを短期間で構築してその後も維持できるだけで十分称賛に値する。
嫌いな奴にだって挨拶くらいはするし、そいつがお客様だったり仕事で一緒ともなれば、嫌な気持ちを表に出さずに我慢してやり通す。
理不尽な怒りや八つ当たりに晒されても、相手をそれ以上怒らせないように、申し訳なさそうな顔をして謝罪し、宥め、誠意とやらを見せて、過ぎ去るのを待つ。
その処世術と精神力と表情コントロールはどうやったら培えるのだろうか。
そしてこれが最も羨ましいことだけど、見聞きしたことはちゃんと覚えるし、そうでなくてもメモを取ったりして忘れないように工夫できる。
書き留めたこと自体忘れたり、自分が何をしようとしていたのか分からなくなったりすることなんて、まずない。
もちろん常にそうとはいかないのかもしれないが、それでも大事な所で忘却による過ちは犯さない。
対して僕ときたら、全てにおいてその真逆だ。
いわゆる発達障害というやつで、生まれつきの脳の構造が原因だから予防も治療もしようがない。
それでもそうだと分かっていればできることはあっただろうが、それを知ったのは大学生になってから。
それ以前は誰も僕の抱えた事情を知らず、僕はただのおかしい奴だった。
当然、周りの普通の人間たちと馴染めるわけもなかった。
何が悲しくてこんな無口で無表情でしょっちゅうブツブツ独り言を呟いていて気持ち悪い、しかも冗談を解さず何の前触れもなく怒って暴れ、宿題からイベントの準備までありとあらゆる予定を忘れてすっぽかす、空気が読めなくて物覚えが悪くて不細工な男に、優しくして仲良くやらなければならないのか──そう周りの人間たちは思っていたし、僕の方も僕のことを嫌いな奴らとなんか関わるのも嫌だと思っていた。
でも、稀に──極稀に例外がいる。
気持ち悪がらず、面白がるだけでもなく、優しく接してくれて友達をやってくれるような、そんな奴が。
──それに考えが及ぶと、どうしてもやっぱり、思い出してしまう。
その存在に驚き、惹きつけられ、執着してしまう例外のこと。
【鳥海紗代】
それがその例外であり、別れてから十年以上経った今でも僕の心を縛り付けている呪いの名だ。
もう心が死んだように静かになってしまった今でも、彼女の名を心に浮かべると、微かに細波のようなざわつきが起こる。
かつて彼女は僕にとっての太陽だった。
心の目を灼かれて潰され、歩く道を見失ってしまうほどに眩しく、そして温かい光だった。
◇◆◇◆◇
僕【鷹峯昴】が周りの人間とどこか違っていることを自覚したのは小学校低学年くらいの頃だったように思う。
周りの同級生たちが地域の方言で話し、ゲームやら芸能人やら校内のゴシップネタで盛り上がっていたのに対して、僕はテレビのニュースキャスターみたいな標準語で喋り、図鑑で得た知識をひけらかすばかりだった。
家にゲームや漫画といった子供向けの娯楽の類が殆どなかったことを差し引いても、僕は普通の人が面白がるものを面白がらず、逆に無関心だったり嫌ったりするものに熱中する完全な異分子だった。
話が合わない、合わせ方も分からない、そもそも何の話をしているのかすら分からないし、興味もない。
遊びに混じっても楽しいと思えない。
放課後に皆で鬼ごっこやかくれんぼをするより、草むらや水辺で生き物を探して捕まえて観察する方がよほど楽しい。
当時僕が住んでいたのは三田市のニュータウンで、徒歩十分圏内に森や池のある大きな公園が二つも整備されていた。
そこでちょっと本気で探せば、すぐに虫やカエルやオタマジャクシで虫かごはいっぱいになった。
時には捕まえた生き物を虫かごごと学校に持ち込んだりもした。
退屈で面白くない学校に閉じ込められる七、八時間を乗り切るために自分で考えた処方箋だった。
休み時間はずっとそこに張り付いて生き物を眺めていた。
男子たちがグラウンドに出てドッジボールに精を出している時も、女子たちが教室の後ろで花一匁で盛り上がっている間も、僕は一人で水槽の前に座っていた。
だから僕には友達と呼べる奴がいなかった。
面白がって話しかけてくる奴は何人かいたが、一緒に遊び、共に悩み、互いを大切に思えるような関係にはならなかった。
どうせ話しかけてはきても楽しみを共有できないのだからと、僕の方からは距離を縮めようともしなかった。
そんな孤独な僕に変化が訪れたのは、小学四年生の時だった。
それまで他の女子と同じようなロングヘアだった鳥海紗代が、ある日突然髪をばっさり切ってショートにした。
女子が大胆にイメチェンともなれば、立派な大事件である。
彼女の周りにはたちまち女子たちが群がった。
「かわいー!」とか、「似合ってるー」とか、「どこで切ったの?」とか、黄色い歓声と質問が投げかけられていた。
その騒ぎが何となく気になって、僕はつい視線を向けたのだ。
いつもなら女子たちが盛り上がっている話題は理解不能で、溜息と共に視線を逸らして距離を取っていたのだが、その時は違った。
女子たちの集まりの中心にいた紗代の姿を目にした瞬間、雷に打たれたような衝撃が走った。
ベタな表現だが、それくらいしか言い表す言葉が思い付かない。
それまで特段興味を持ってもいなかった紗代がその時はものすごく綺麗で可愛く見えたのだ。
それからはもう熱に浮かされたようなものだった。彼女の名前の響きも、着ている服も、持っている小物も、鉛筆で書く字も全てが素晴らしいものに思えた。
いつも地味目のボーイッシュな服装で、ランドセルは水色。それでいて手提げや文房具はキャラクターの絵が描かれたやつで、字は女の子らしい可愛い丸文字──知れば知るほど心が熱を帯びていった。
住んでいるマンションは僕と一緒だと知った時は、運命なんじゃないかと乙女チックなことを考えた。
だからといっていきなり告白したりラブレターを書いたりなんてする勇気はなかった。
何なら、話しかけるのもきっかけがないと無理だった。
孤立していた僕は人の輪に入っていく方法が分からなくて、紗代が友達とお喋りしているところに入れてもらうなんてのはハードルが高過ぎた。
だから、僕にできたのはそれとなく近くにいる、下校する時近くを歩く、といったストーカーじみたことだけで、願っていたのはただクラスで隣の席になりたいとか、下校する時一緒に帰りたいとか、そんなことだった。
そしてその程度の願いは存外あっさり叶った。小学五年生の一学期、二度目の席替えで。
その時の席替えは男子たちの発案で「ご対面」というやり方で行われた。
まず廊下に全員出て、男女どちらが先に席を選ぶか代表同士のジャンケンで決め、勝った方が先に教室に入り、自分の席を選んで決めて、確保済みを示す磁石を置く。
ただし、席は男女で互い違いになるようにしなければならず、自分がどの席を選んだかは秘密、やり直しはなしというのがルールだ。
終わったら、勝った方は教室を出て負けた方が入り、残った席から選ぶ。
そして両方とも終わったら、「ご対面!」の掛け声と共に一斉に席に着いてご挨拶、という流れだ。
ジャンケンの結果、先に決める権利を得たのは女子の方だった。
女子たちが歓声を上げて教室に入っていき、僕も含めた男子は廊下に締め出される。
磨りガラス越しに女子たちが忙しなく動き回るのが薄ら見え、楽しそうに話す声や席を巡ってジャンケンをする声が聞こえてくる。
僕は意味がないと分かっていながら、その声に耳をそばだてた。
その当時の──というか今もだが──僕は女子の立場と口の上手さに任せてズケズケとものを言う気の強いタイプが苦手で、そういう子と隣同士になっては大変だと気が気ではなかったのだ。
できれば紗代か、僕のことを「キモい」とか「変」とか言わない大人しい子の隣になりたかった。
そして女子たちが席を選び終わり、教室の扉から出てくる時、僕は紗代の姿を探した。
教室の前後どちらの扉からいつ頃出てくるかで、おおよその位置を絞り込めると思ったのだ。
紗代は前の方の扉から最後に出てきた。
それで僕は最前列の窓際にあたりをつけてそこにした。
どんぴしゃりだった。
ご対面の時、僕の隣には紗代が来た。
紗代は僕を見て大袈裟に驚いた仕草をして、それから目を細めてくしゃっと笑った。
「うちら一緒の席なるん初めてやんな?仲ようしよな〜」
女子からそんな風に言われたのは初めてで、嬉しさが胸いっぱいに広がった。
たぶんこの時、僕は紗代に呪いをかけられたのだと思う。
それから紗代との楽しい日々が始まった。
六月の暑くなってきた時期で、窓際は風がよく当たってとても快適。
更に隣にいるのは好きな子だ。
最初は緊張して上手く話せなかったが、紗代は積極的に話しかけてくれる子だったので、いつしか僕も彼女とのやりとりが自然な学校生活の一部となった。
慣れてくるとそれはもうたくさん話したし、たくさん笑い合った。
自分がこんなにおしゃべりだったかと驚くくらいに話したいことはいくらでも思い浮かんだ。
紗代も僕の話を面白がって笑ってくれた。
話したくて、構って欲しくて、悪戯したりからかったりもしたが、紗代は一度も怒らなかった。
我慢しているのではなく、本当に面白がってくれていたと思う。
一緒に勉強だってした。
大抵僕が教える側で、テストの点数で勝負してもいつも僕の勝ちか引き分けだった。
分からないところを教えてあげるのも楽しかったし、それで疑問が解決した紗代が嬉しそうな顔をすれば僕も幸せな気持ちになった。
そして学校が終わればよく一緒に帰った。
お互いの家のこと、行った場所のこと、苦手な先生の愚痴──それくらいしか思い出せないが、色々な話をしながら並んで歩いた。
教室からマンションのエレベーターまでの道のりはあっという間に感じられた。
僕は十四階、紗代は四階だったので、いつも彼女の方が先にエレベーターから降りていく。
彼女がエレベーターのドアをくぐり、軽く振り返って手を振るその瞬間がいつも切なくて、明日が待ち遠しくなる。
朝学校に行けば、窓際の席で紗代に会える。
そんな僕と紗代を見て班のメンバーが言ったのを覚えている。
「お前らホンマ仲えーよな」
当時クラスは四人ごとに班があって、当然僕と紗代も後ろの席の二人と班を組んでいたのだが、その二人のことはその台詞以外全く記憶にない。
苦手だったならそれはそれで記憶に残るはずだけど、本当に名前も顔も思い出せない。
それだけ僕は紗代に夢中で、彼女以外は見てすらいなかったのだ。
そんな幸せな時期は日数にして二ヶ月足らずしか続かなかった。
夏休みが始まったのだ。
◇◆◇
僕は夏休みにはほとんど地元にいなかった。親の実家への帰省、家族旅行、海外に住む父親のもとでの滞在と予定はたくさんあって、その度にあちこち飛び回っていたのだ。
そんなそれまで当たり前だったはずの自分の日常が、好きな子といる楽しみを知ってしまった後では苦痛だった。
そして紗代に会えない時期がますます彼女への想いを燃え上がらせた。
今何してるだろうって考えて、家族でキャンプに行っているのかな、とか、友達とプールに行ってるのかな、とか、色々と想像を巡らせた。
やがて永遠にも感じられた長い夏休みが終わり、二学期がやってきた。
久しぶりに会った紗代は少し日焼けしていた。
そんな彼女も新鮮で、僕は話しかけるタイミングを窺い、うまくタイミングが合えば一緒に帰ろうと声をかけた。
二学期最初の席替えで離れ離れになったせいで、話すのも一緒に帰るのも頻度は減ったが、相変わらず紗代は僕と楽しく話してくれた。
そんな時だった。
紗代の好きな人の噂が流れてきたのは。
「松山さんと鳥海さん両想いやって」
出所はもう覚えていないが、たぶんクラスの噂好きな女子だったと思う。
それが女子グループの間で広まり、それを僕が小耳に挟んだってところだ。
ショックだった。
松山──松山祥真は僕が低学年の頃から知っている奴で、体格こそ男子の中でも小柄な方で成績も悪かったが、イケメンでスポーツが得意だった。
早い話がモテる奴だ。
よくあるゴシップに過ぎないその情報が、僕の知っている松山のイメージと合わさって真実味を帯び、僕の心に突き刺さった。
そしてそれ以来、紗代と話すと心が苦しくなった。
表向き前と変わらずに話していても、内心では紗代は僕のことを邪魔に思っていて、松山と一緒にいたがっているのではないか、僕がいない所で松山ともっと楽しく話しているのではないかという不安が常に付き纏ってきた。
だが、噂が本当なのか紗代本人に確かめることは怖くてできなかった。
「鳥海って松山のこと好きなの?」と訊いてしまったら、紗代の口から答えが告げられてしまう。
紗代が松山と両想いなのかどうかが確定してしまう。
嘘か本当か分からない不確かな噂のうちはまだ不安なだけで済む。
でも知ってしまったら──その答えが僕の不安の通りだったなら──僕はきっと立ち直れない。
だから僕は当面紗代をシュレディンガーの猫にしておくことに決めた。
そして紗代が僕のことを好きになってくれるにはどうしたら良いのか考えた。
誰にも相談できず、今みたいにネットで調べることもできず、ひたすら自分で考えて、あれやこれややってみた。
注目されたいと思って、習字で使う墨汁や図工で使う色鉛筆を紗代と同じものにしてみたり、掃除当番の時紗代と同じ器具を担当したり、授業で先生から問題が出された時に真っ先に手を挙げたりした。
それでも、大した効果があったようには思えなかった。
どうすれば紗代に好かれるか必死で考えるようになって、一つ分かったことがある。
紗代はほぼ誰に対しても優しいということだ。
他の女子たちは相手によって別人かと思うくらいに態度が変わるが、紗代は全くと言っていいほどそういうことはなかった。
班のメンバーや授業で一緒のグループになった子には分け隔てなく笑顔で接していたし、楽しげに話もしていた。
紗代が今まで僕に向けてきていた笑顔や優しさは全然特別なものじゃなかったんじゃないか。
そう思えてならなかった。
それはとても残念で、心が締め付けられることではあったが、同時に僕はますます紗代に惹かれてしまった。
誰にでも優しい紗代の特別になりたい──そう願った。
そんな風に紗代への想いを拗らせたまま時間だけが過ぎていき、二学期と冬休みを経て三学期になった頃、僕の運命を大きく変える決定が下された。
僕は中学受験をすることになったのである。
それはきっと、息子に立派な学歴を付けさせたいという親心だったのだろう。
当時の僕は親や先生の言うことに逆らわず、テストの成績はトップクラスという典型的な優等生で、そのくせ周りの子たちと馴染めない変わり者だった。
このまま皆と同じ地元の公立中学に行って、公立高校を受験して、地元の大学に──というのはもったいないし、僕にとっては難しいと、母は考えたらしい。
僕に提案されたのは言わずと知れた名門灘中学校、三田市随一の進学校三田学園、そして当時まだできてから五年しか経っていなかった愛知県の全寮制学校光海学園の三校だった。
そして何を血迷っていたのか、当時の僕はその全てを受験することにしたのだ。
そこから始まるのは勉強漬けの日々。
毎日のように電車に乗って西宮の中学受験に強い塾に通い、夜までみっちり扱かれた後、帰ったら学校と塾の宿題と通信教材をやる。
やってもやってもやることが減らず、どうにか片付けても翌日にはまたどっさりやることが追加される。
そんな毎日に僕はたちまちやる気をなくし、通信教材をサボりがちになった。
無理もないだろう。
往復二時間近くもかけて塾に通ってへとへとになっている状態で難問だらけの教材に取り組むなんて、大抵の子供には無理だと思う。
だが、僕のことを天才か、あるいはやればできる秀才だと勘違いしていた母はそれをこなすことを僕に求めた。
その期待が負担になって僕はどんどんストレスを溜めた。
机に向かうふりをして母の目を盗んで教材に落書きし、問題はちょっと考えて解けなければすぐに答えを見た。
宿題は提出当日になって朝の時間や休み時間に片付けるようになった。
そうでなければ嫌過ぎて、面倒臭過ぎて、頭がおかしくなりそうだった。
母は通信教材に真剣に取り組まない僕に度々説教したが、何一つ心に響くことはなく、母は口煩くて怖いという認識だけが刷り込まれていった。
そんな状況にあって、紗代と会える学校の時間が癒しだった。
三学期の席替えで紗代と僕は隣同士の班になり、更に紗代の友達が僕の班にいた。
おかげで紗代とはまたそれなりに距離が近くなって、話す機会も増えていた。
でも、一学期に隣同士になった時のような楽しさや幸福感は戻ってこなかった。
一学期の頃なら紗代にからかわれたり悪戯されたりしても笑えたのに、その頃には苛立つようになっていた。
それは普段家でストレスの溜まる勉強漬けの日々を送る自分に対しては、ひたすら優しくして欲しいという僕自身のエゴだった。
僕は親から掛けられていた期待を内容だけ変えて紗代に掛けていただけだ。
今思えば、この時から既に僕の世界は色褪せ始めていたのだ。
◇◆◇
小学六年生になってクラス替えが行われ、クラスメイトのおよそ四分の一が別のクラスになった。
僕と紗代は同じ三組だったが、紗代と仲の良かった友達はほとんどが別のクラスに行ってしまった。
噂の松山も反対側の一組になっていた。
そして僕はそれを邪魔者が減ったと無邪気に喜んでいた。
でも、邪魔者が減ったところで僕が紗代と過ごす時間が増えたわけではなかった。
誰にでも優しい紗代はすぐに新しい人間関係を築いていた。
一方僕は勉強漬け。学校が終わったらすぐに帰って荷物を置き、電車に乗って西宮の塾へ行く毎日。
五年生の時みたいに一緒に帰ることはなくなってしまった。
この時期のことは正直ほとんど覚えていない。
気が付けば夏休みで、気が付けば文化祭も終わり、気が付けば入試の日が迫っていた。
一月の初め頃に集中していた入試の日はどれも酷く寒かったことを覚えている。
厚着していてもきつい寒さに震えて洟をすすり上げ、全部落ちてしまえばいいのにと思っていた。
でも答案は採点後に返却されて母に見られる。母の怒りが怖くて手は抜けず、水っぽい鼻水を滴らせながら答案用紙を埋めていった。
そして僕は三田学園と光海学園の二校に受かった。
だが、終わってみるとさほど嬉しくはなかった。
心を占めていたのは、「こんなもんか」という虚しさ、「これでこの学校の面々ともお別れか」という寂しさだった。
受験なんてするんじゃなかった、皆と──紗代と同じ公立中学に行きたいという思いが日を追って大きくなっていった。
だけど、無情にも入学手続きの期限は迫っていて、当時の僕には地元を離れたくないと我儘を言う勇気もなくて、結局僕は母の勧める光海学園に入学することになった。
僕がそれなりの難関校である光海学園に受かったことはすぐに学年中に知れ渡ることになった。
皆が口々に「すごい」とか「さすが」とか「頭ええな」とか言ってくる。
違う。そういうのじゃない。
僕が欲しかったのはそんな類の褒め言葉じゃない。
違和感と虚しさと後悔ばかりが広がっていく。
そして僕はそれらから逃れるかのように紗代を求めた。
受験が終わって暇になったし、また一緒に帰れる。
休み時間まで勉強する必要もない。
また一年半前のあの頃のように楽しく話したい。
できたら、僕のことを好きになって欲しい。行かないでって引き止めて欲しい。
そしたら僕はきっと行きたくないってはっきり言える。
だから僕と──鷹峯昴と一緒がいいって言ってくれ。
だが、そんな密やかで身勝手な思いは通じなかった。
紗代は僕の中学受験合格を笑顔で祝福してくれた。
皆と同じように僕の頭の良さを褒めそやした。
他の有象無象に言われるよりはよっぽど嬉しかったが、僕が求めた言葉ではなかった。
でも、言って欲しい言葉を僕の方から求めることはできなかった。
紗代と松山が両想いだと噂が流れた時と同じく、紗代の口からはっきり答えを聞くのが怖かったのだ。
だから僕は紗代が僕を引き止める言葉を発するのを待ち続けた。
そんな言葉はいくら待っても出てこなくて、しびれを切らした僕はある日の紗代との帰り道に「もうすぐ卒業だなー」と言ってみた。
卒業という言葉から僕との別れを意識して寂しくなり、僕を引き止めてくれないかと期待したのだ。
すると紗代は「せやなー」と言って少し立ち止まり、僕の方を見て言った。
「うちらマンションも同じやし、階違うけど部屋番号も同じやんな。墨汁も同じの使とるし。でも中学は違うとこ行くんやな」
紗代がどう言う思いでその言葉を発したのか、僕には分からなかった。
寂しさを微かに滲ませてはいるが、明確に僕を引き止めるようとしているでもない。
どう返事をしていいのかわからなくて、「そうだね」としか言えなかった。
この時が僕にとってのラストチャンスだったんじゃないかって、後から思った。
そして迎えた卒業式。
紗代は仲の良い友達と一緒に記念写真を撮っていた。
そこに混じって一緒に写真を撮ってもらうだけで精一杯で、卒業式での告白なんてドラマチックなことはできなかった。
茶色いスーツ姿の紗代は普段のボーイッシュな格好とはかけ離れた大人っぽい雰囲気で、今までで一番可愛く見えた。
それがこの目で見た紗代の最後の姿だった。
卒業式以来、僕は一度も紗代に会うことはなかった。
彼女の行方はもはや知れない。
この感覚は久しぶりだ。
ここ数ヶ月何をしても何の感情も湧かず、それこそ心がモノクロの写真として固定されてしまったかのようだった。
それが一瞬とはいえ、動いた。
小さなカメラのレンズフード一つで。
一眼レフを買ってからもう五年ほど経つけれど、今の今までレンズフードというものを使ったことはなかった。
今よりずっとたくさんの収入と貯金があった頃でさえ、買わなかったものをなぜ今になって買ったのかというと、今の僕にはその頃にはなかった時間があるからだ。
朝八時くらいに起きて、ゆっくり朝ご飯を食べて、漫画を読んで、ゲームをして、目が疲れたらふらりとカメラを持って外に出て、二時間くらい近所の住吉川に沿ってぶらぶら歩きながら趣味の写真を撮り、帰ったら昼寝をして、夕食を食べて、お風呂に入って、テレビを見て、日付が変わるかどうかという時刻に寝る。
二十六歳にもなってそんな立派な社会人とは程遠い生活を送っているのが今の僕だ。
朝早くから夜遅くまで忙しく働き、ろくに遊ぶ暇がない一般的な社会人たちからすれば嫉ましい環境かもしれないが、僕からすれば彼らの方が羨ましい。
彼らにはまともなコミュニケーション能力と記憶力、そして有能な表情筋が備わっていて、世の中で求められる「普通のこと」を当たり前に自然にこなすことができる。
学校の同級生や職場の同僚で話が合う人、出身地や出身校といった共通点がある人を見つけ出して、友達になり、自分の居場所を作るくらいは朝飯前。
たとえそれが上辺だけの薄っぺらいものでも、人間関係というものを短期間で構築してその後も維持できるだけで十分称賛に値する。
嫌いな奴にだって挨拶くらいはするし、そいつがお客様だったり仕事で一緒ともなれば、嫌な気持ちを表に出さずに我慢してやり通す。
理不尽な怒りや八つ当たりに晒されても、相手をそれ以上怒らせないように、申し訳なさそうな顔をして謝罪し、宥め、誠意とやらを見せて、過ぎ去るのを待つ。
その処世術と精神力と表情コントロールはどうやったら培えるのだろうか。
そしてこれが最も羨ましいことだけど、見聞きしたことはちゃんと覚えるし、そうでなくてもメモを取ったりして忘れないように工夫できる。
書き留めたこと自体忘れたり、自分が何をしようとしていたのか分からなくなったりすることなんて、まずない。
もちろん常にそうとはいかないのかもしれないが、それでも大事な所で忘却による過ちは犯さない。
対して僕ときたら、全てにおいてその真逆だ。
いわゆる発達障害というやつで、生まれつきの脳の構造が原因だから予防も治療もしようがない。
それでもそうだと分かっていればできることはあっただろうが、それを知ったのは大学生になってから。
それ以前は誰も僕の抱えた事情を知らず、僕はただのおかしい奴だった。
当然、周りの普通の人間たちと馴染めるわけもなかった。
何が悲しくてこんな無口で無表情でしょっちゅうブツブツ独り言を呟いていて気持ち悪い、しかも冗談を解さず何の前触れもなく怒って暴れ、宿題からイベントの準備までありとあらゆる予定を忘れてすっぽかす、空気が読めなくて物覚えが悪くて不細工な男に、優しくして仲良くやらなければならないのか──そう周りの人間たちは思っていたし、僕の方も僕のことを嫌いな奴らとなんか関わるのも嫌だと思っていた。
でも、稀に──極稀に例外がいる。
気持ち悪がらず、面白がるだけでもなく、優しく接してくれて友達をやってくれるような、そんな奴が。
──それに考えが及ぶと、どうしてもやっぱり、思い出してしまう。
その存在に驚き、惹きつけられ、執着してしまう例外のこと。
【鳥海紗代】
それがその例外であり、別れてから十年以上経った今でも僕の心を縛り付けている呪いの名だ。
もう心が死んだように静かになってしまった今でも、彼女の名を心に浮かべると、微かに細波のようなざわつきが起こる。
かつて彼女は僕にとっての太陽だった。
心の目を灼かれて潰され、歩く道を見失ってしまうほどに眩しく、そして温かい光だった。
◇◆◇◆◇
僕【鷹峯昴】が周りの人間とどこか違っていることを自覚したのは小学校低学年くらいの頃だったように思う。
周りの同級生たちが地域の方言で話し、ゲームやら芸能人やら校内のゴシップネタで盛り上がっていたのに対して、僕はテレビのニュースキャスターみたいな標準語で喋り、図鑑で得た知識をひけらかすばかりだった。
家にゲームや漫画といった子供向けの娯楽の類が殆どなかったことを差し引いても、僕は普通の人が面白がるものを面白がらず、逆に無関心だったり嫌ったりするものに熱中する完全な異分子だった。
話が合わない、合わせ方も分からない、そもそも何の話をしているのかすら分からないし、興味もない。
遊びに混じっても楽しいと思えない。
放課後に皆で鬼ごっこやかくれんぼをするより、草むらや水辺で生き物を探して捕まえて観察する方がよほど楽しい。
当時僕が住んでいたのは三田市のニュータウンで、徒歩十分圏内に森や池のある大きな公園が二つも整備されていた。
そこでちょっと本気で探せば、すぐに虫やカエルやオタマジャクシで虫かごはいっぱいになった。
時には捕まえた生き物を虫かごごと学校に持ち込んだりもした。
退屈で面白くない学校に閉じ込められる七、八時間を乗り切るために自分で考えた処方箋だった。
休み時間はずっとそこに張り付いて生き物を眺めていた。
男子たちがグラウンドに出てドッジボールに精を出している時も、女子たちが教室の後ろで花一匁で盛り上がっている間も、僕は一人で水槽の前に座っていた。
だから僕には友達と呼べる奴がいなかった。
面白がって話しかけてくる奴は何人かいたが、一緒に遊び、共に悩み、互いを大切に思えるような関係にはならなかった。
どうせ話しかけてはきても楽しみを共有できないのだからと、僕の方からは距離を縮めようともしなかった。
そんな孤独な僕に変化が訪れたのは、小学四年生の時だった。
それまで他の女子と同じようなロングヘアだった鳥海紗代が、ある日突然髪をばっさり切ってショートにした。
女子が大胆にイメチェンともなれば、立派な大事件である。
彼女の周りにはたちまち女子たちが群がった。
「かわいー!」とか、「似合ってるー」とか、「どこで切ったの?」とか、黄色い歓声と質問が投げかけられていた。
その騒ぎが何となく気になって、僕はつい視線を向けたのだ。
いつもなら女子たちが盛り上がっている話題は理解不能で、溜息と共に視線を逸らして距離を取っていたのだが、その時は違った。
女子たちの集まりの中心にいた紗代の姿を目にした瞬間、雷に打たれたような衝撃が走った。
ベタな表現だが、それくらいしか言い表す言葉が思い付かない。
それまで特段興味を持ってもいなかった紗代がその時はものすごく綺麗で可愛く見えたのだ。
それからはもう熱に浮かされたようなものだった。彼女の名前の響きも、着ている服も、持っている小物も、鉛筆で書く字も全てが素晴らしいものに思えた。
いつも地味目のボーイッシュな服装で、ランドセルは水色。それでいて手提げや文房具はキャラクターの絵が描かれたやつで、字は女の子らしい可愛い丸文字──知れば知るほど心が熱を帯びていった。
住んでいるマンションは僕と一緒だと知った時は、運命なんじゃないかと乙女チックなことを考えた。
だからといっていきなり告白したりラブレターを書いたりなんてする勇気はなかった。
何なら、話しかけるのもきっかけがないと無理だった。
孤立していた僕は人の輪に入っていく方法が分からなくて、紗代が友達とお喋りしているところに入れてもらうなんてのはハードルが高過ぎた。
だから、僕にできたのはそれとなく近くにいる、下校する時近くを歩く、といったストーカーじみたことだけで、願っていたのはただクラスで隣の席になりたいとか、下校する時一緒に帰りたいとか、そんなことだった。
そしてその程度の願いは存外あっさり叶った。小学五年生の一学期、二度目の席替えで。
その時の席替えは男子たちの発案で「ご対面」というやり方で行われた。
まず廊下に全員出て、男女どちらが先に席を選ぶか代表同士のジャンケンで決め、勝った方が先に教室に入り、自分の席を選んで決めて、確保済みを示す磁石を置く。
ただし、席は男女で互い違いになるようにしなければならず、自分がどの席を選んだかは秘密、やり直しはなしというのがルールだ。
終わったら、勝った方は教室を出て負けた方が入り、残った席から選ぶ。
そして両方とも終わったら、「ご対面!」の掛け声と共に一斉に席に着いてご挨拶、という流れだ。
ジャンケンの結果、先に決める権利を得たのは女子の方だった。
女子たちが歓声を上げて教室に入っていき、僕も含めた男子は廊下に締め出される。
磨りガラス越しに女子たちが忙しなく動き回るのが薄ら見え、楽しそうに話す声や席を巡ってジャンケンをする声が聞こえてくる。
僕は意味がないと分かっていながら、その声に耳をそばだてた。
その当時の──というか今もだが──僕は女子の立場と口の上手さに任せてズケズケとものを言う気の強いタイプが苦手で、そういう子と隣同士になっては大変だと気が気ではなかったのだ。
できれば紗代か、僕のことを「キモい」とか「変」とか言わない大人しい子の隣になりたかった。
そして女子たちが席を選び終わり、教室の扉から出てくる時、僕は紗代の姿を探した。
教室の前後どちらの扉からいつ頃出てくるかで、おおよその位置を絞り込めると思ったのだ。
紗代は前の方の扉から最後に出てきた。
それで僕は最前列の窓際にあたりをつけてそこにした。
どんぴしゃりだった。
ご対面の時、僕の隣には紗代が来た。
紗代は僕を見て大袈裟に驚いた仕草をして、それから目を細めてくしゃっと笑った。
「うちら一緒の席なるん初めてやんな?仲ようしよな〜」
女子からそんな風に言われたのは初めてで、嬉しさが胸いっぱいに広がった。
たぶんこの時、僕は紗代に呪いをかけられたのだと思う。
それから紗代との楽しい日々が始まった。
六月の暑くなってきた時期で、窓際は風がよく当たってとても快適。
更に隣にいるのは好きな子だ。
最初は緊張して上手く話せなかったが、紗代は積極的に話しかけてくれる子だったので、いつしか僕も彼女とのやりとりが自然な学校生活の一部となった。
慣れてくるとそれはもうたくさん話したし、たくさん笑い合った。
自分がこんなにおしゃべりだったかと驚くくらいに話したいことはいくらでも思い浮かんだ。
紗代も僕の話を面白がって笑ってくれた。
話したくて、構って欲しくて、悪戯したりからかったりもしたが、紗代は一度も怒らなかった。
我慢しているのではなく、本当に面白がってくれていたと思う。
一緒に勉強だってした。
大抵僕が教える側で、テストの点数で勝負してもいつも僕の勝ちか引き分けだった。
分からないところを教えてあげるのも楽しかったし、それで疑問が解決した紗代が嬉しそうな顔をすれば僕も幸せな気持ちになった。
そして学校が終わればよく一緒に帰った。
お互いの家のこと、行った場所のこと、苦手な先生の愚痴──それくらいしか思い出せないが、色々な話をしながら並んで歩いた。
教室からマンションのエレベーターまでの道のりはあっという間に感じられた。
僕は十四階、紗代は四階だったので、いつも彼女の方が先にエレベーターから降りていく。
彼女がエレベーターのドアをくぐり、軽く振り返って手を振るその瞬間がいつも切なくて、明日が待ち遠しくなる。
朝学校に行けば、窓際の席で紗代に会える。
そんな僕と紗代を見て班のメンバーが言ったのを覚えている。
「お前らホンマ仲えーよな」
当時クラスは四人ごとに班があって、当然僕と紗代も後ろの席の二人と班を組んでいたのだが、その二人のことはその台詞以外全く記憶にない。
苦手だったならそれはそれで記憶に残るはずだけど、本当に名前も顔も思い出せない。
それだけ僕は紗代に夢中で、彼女以外は見てすらいなかったのだ。
そんな幸せな時期は日数にして二ヶ月足らずしか続かなかった。
夏休みが始まったのだ。
◇◆◇
僕は夏休みにはほとんど地元にいなかった。親の実家への帰省、家族旅行、海外に住む父親のもとでの滞在と予定はたくさんあって、その度にあちこち飛び回っていたのだ。
そんなそれまで当たり前だったはずの自分の日常が、好きな子といる楽しみを知ってしまった後では苦痛だった。
そして紗代に会えない時期がますます彼女への想いを燃え上がらせた。
今何してるだろうって考えて、家族でキャンプに行っているのかな、とか、友達とプールに行ってるのかな、とか、色々と想像を巡らせた。
やがて永遠にも感じられた長い夏休みが終わり、二学期がやってきた。
久しぶりに会った紗代は少し日焼けしていた。
そんな彼女も新鮮で、僕は話しかけるタイミングを窺い、うまくタイミングが合えば一緒に帰ろうと声をかけた。
二学期最初の席替えで離れ離れになったせいで、話すのも一緒に帰るのも頻度は減ったが、相変わらず紗代は僕と楽しく話してくれた。
そんな時だった。
紗代の好きな人の噂が流れてきたのは。
「松山さんと鳥海さん両想いやって」
出所はもう覚えていないが、たぶんクラスの噂好きな女子だったと思う。
それが女子グループの間で広まり、それを僕が小耳に挟んだってところだ。
ショックだった。
松山──松山祥真は僕が低学年の頃から知っている奴で、体格こそ男子の中でも小柄な方で成績も悪かったが、イケメンでスポーツが得意だった。
早い話がモテる奴だ。
よくあるゴシップに過ぎないその情報が、僕の知っている松山のイメージと合わさって真実味を帯び、僕の心に突き刺さった。
そしてそれ以来、紗代と話すと心が苦しくなった。
表向き前と変わらずに話していても、内心では紗代は僕のことを邪魔に思っていて、松山と一緒にいたがっているのではないか、僕がいない所で松山ともっと楽しく話しているのではないかという不安が常に付き纏ってきた。
だが、噂が本当なのか紗代本人に確かめることは怖くてできなかった。
「鳥海って松山のこと好きなの?」と訊いてしまったら、紗代の口から答えが告げられてしまう。
紗代が松山と両想いなのかどうかが確定してしまう。
嘘か本当か分からない不確かな噂のうちはまだ不安なだけで済む。
でも知ってしまったら──その答えが僕の不安の通りだったなら──僕はきっと立ち直れない。
だから僕は当面紗代をシュレディンガーの猫にしておくことに決めた。
そして紗代が僕のことを好きになってくれるにはどうしたら良いのか考えた。
誰にも相談できず、今みたいにネットで調べることもできず、ひたすら自分で考えて、あれやこれややってみた。
注目されたいと思って、習字で使う墨汁や図工で使う色鉛筆を紗代と同じものにしてみたり、掃除当番の時紗代と同じ器具を担当したり、授業で先生から問題が出された時に真っ先に手を挙げたりした。
それでも、大した効果があったようには思えなかった。
どうすれば紗代に好かれるか必死で考えるようになって、一つ分かったことがある。
紗代はほぼ誰に対しても優しいということだ。
他の女子たちは相手によって別人かと思うくらいに態度が変わるが、紗代は全くと言っていいほどそういうことはなかった。
班のメンバーや授業で一緒のグループになった子には分け隔てなく笑顔で接していたし、楽しげに話もしていた。
紗代が今まで僕に向けてきていた笑顔や優しさは全然特別なものじゃなかったんじゃないか。
そう思えてならなかった。
それはとても残念で、心が締め付けられることではあったが、同時に僕はますます紗代に惹かれてしまった。
誰にでも優しい紗代の特別になりたい──そう願った。
そんな風に紗代への想いを拗らせたまま時間だけが過ぎていき、二学期と冬休みを経て三学期になった頃、僕の運命を大きく変える決定が下された。
僕は中学受験をすることになったのである。
それはきっと、息子に立派な学歴を付けさせたいという親心だったのだろう。
当時の僕は親や先生の言うことに逆らわず、テストの成績はトップクラスという典型的な優等生で、そのくせ周りの子たちと馴染めない変わり者だった。
このまま皆と同じ地元の公立中学に行って、公立高校を受験して、地元の大学に──というのはもったいないし、僕にとっては難しいと、母は考えたらしい。
僕に提案されたのは言わずと知れた名門灘中学校、三田市随一の進学校三田学園、そして当時まだできてから五年しか経っていなかった愛知県の全寮制学校光海学園の三校だった。
そして何を血迷っていたのか、当時の僕はその全てを受験することにしたのだ。
そこから始まるのは勉強漬けの日々。
毎日のように電車に乗って西宮の中学受験に強い塾に通い、夜までみっちり扱かれた後、帰ったら学校と塾の宿題と通信教材をやる。
やってもやってもやることが減らず、どうにか片付けても翌日にはまたどっさりやることが追加される。
そんな毎日に僕はたちまちやる気をなくし、通信教材をサボりがちになった。
無理もないだろう。
往復二時間近くもかけて塾に通ってへとへとになっている状態で難問だらけの教材に取り組むなんて、大抵の子供には無理だと思う。
だが、僕のことを天才か、あるいはやればできる秀才だと勘違いしていた母はそれをこなすことを僕に求めた。
その期待が負担になって僕はどんどんストレスを溜めた。
机に向かうふりをして母の目を盗んで教材に落書きし、問題はちょっと考えて解けなければすぐに答えを見た。
宿題は提出当日になって朝の時間や休み時間に片付けるようになった。
そうでなければ嫌過ぎて、面倒臭過ぎて、頭がおかしくなりそうだった。
母は通信教材に真剣に取り組まない僕に度々説教したが、何一つ心に響くことはなく、母は口煩くて怖いという認識だけが刷り込まれていった。
そんな状況にあって、紗代と会える学校の時間が癒しだった。
三学期の席替えで紗代と僕は隣同士の班になり、更に紗代の友達が僕の班にいた。
おかげで紗代とはまたそれなりに距離が近くなって、話す機会も増えていた。
でも、一学期に隣同士になった時のような楽しさや幸福感は戻ってこなかった。
一学期の頃なら紗代にからかわれたり悪戯されたりしても笑えたのに、その頃には苛立つようになっていた。
それは普段家でストレスの溜まる勉強漬けの日々を送る自分に対しては、ひたすら優しくして欲しいという僕自身のエゴだった。
僕は親から掛けられていた期待を内容だけ変えて紗代に掛けていただけだ。
今思えば、この時から既に僕の世界は色褪せ始めていたのだ。
◇◆◇
小学六年生になってクラス替えが行われ、クラスメイトのおよそ四分の一が別のクラスになった。
僕と紗代は同じ三組だったが、紗代と仲の良かった友達はほとんどが別のクラスに行ってしまった。
噂の松山も反対側の一組になっていた。
そして僕はそれを邪魔者が減ったと無邪気に喜んでいた。
でも、邪魔者が減ったところで僕が紗代と過ごす時間が増えたわけではなかった。
誰にでも優しい紗代はすぐに新しい人間関係を築いていた。
一方僕は勉強漬け。学校が終わったらすぐに帰って荷物を置き、電車に乗って西宮の塾へ行く毎日。
五年生の時みたいに一緒に帰ることはなくなってしまった。
この時期のことは正直ほとんど覚えていない。
気が付けば夏休みで、気が付けば文化祭も終わり、気が付けば入試の日が迫っていた。
一月の初め頃に集中していた入試の日はどれも酷く寒かったことを覚えている。
厚着していてもきつい寒さに震えて洟をすすり上げ、全部落ちてしまえばいいのにと思っていた。
でも答案は採点後に返却されて母に見られる。母の怒りが怖くて手は抜けず、水っぽい鼻水を滴らせながら答案用紙を埋めていった。
そして僕は三田学園と光海学園の二校に受かった。
だが、終わってみるとさほど嬉しくはなかった。
心を占めていたのは、「こんなもんか」という虚しさ、「これでこの学校の面々ともお別れか」という寂しさだった。
受験なんてするんじゃなかった、皆と──紗代と同じ公立中学に行きたいという思いが日を追って大きくなっていった。
だけど、無情にも入学手続きの期限は迫っていて、当時の僕には地元を離れたくないと我儘を言う勇気もなくて、結局僕は母の勧める光海学園に入学することになった。
僕がそれなりの難関校である光海学園に受かったことはすぐに学年中に知れ渡ることになった。
皆が口々に「すごい」とか「さすが」とか「頭ええな」とか言ってくる。
違う。そういうのじゃない。
僕が欲しかったのはそんな類の褒め言葉じゃない。
違和感と虚しさと後悔ばかりが広がっていく。
そして僕はそれらから逃れるかのように紗代を求めた。
受験が終わって暇になったし、また一緒に帰れる。
休み時間まで勉強する必要もない。
また一年半前のあの頃のように楽しく話したい。
できたら、僕のことを好きになって欲しい。行かないでって引き止めて欲しい。
そしたら僕はきっと行きたくないってはっきり言える。
だから僕と──鷹峯昴と一緒がいいって言ってくれ。
だが、そんな密やかで身勝手な思いは通じなかった。
紗代は僕の中学受験合格を笑顔で祝福してくれた。
皆と同じように僕の頭の良さを褒めそやした。
他の有象無象に言われるよりはよっぽど嬉しかったが、僕が求めた言葉ではなかった。
でも、言って欲しい言葉を僕の方から求めることはできなかった。
紗代と松山が両想いだと噂が流れた時と同じく、紗代の口からはっきり答えを聞くのが怖かったのだ。
だから僕は紗代が僕を引き止める言葉を発するのを待ち続けた。
そんな言葉はいくら待っても出てこなくて、しびれを切らした僕はある日の紗代との帰り道に「もうすぐ卒業だなー」と言ってみた。
卒業という言葉から僕との別れを意識して寂しくなり、僕を引き止めてくれないかと期待したのだ。
すると紗代は「せやなー」と言って少し立ち止まり、僕の方を見て言った。
「うちらマンションも同じやし、階違うけど部屋番号も同じやんな。墨汁も同じの使とるし。でも中学は違うとこ行くんやな」
紗代がどう言う思いでその言葉を発したのか、僕には分からなかった。
寂しさを微かに滲ませてはいるが、明確に僕を引き止めるようとしているでもない。
どう返事をしていいのかわからなくて、「そうだね」としか言えなかった。
この時が僕にとってのラストチャンスだったんじゃないかって、後から思った。
そして迎えた卒業式。
紗代は仲の良い友達と一緒に記念写真を撮っていた。
そこに混じって一緒に写真を撮ってもらうだけで精一杯で、卒業式での告白なんてドラマチックなことはできなかった。
茶色いスーツ姿の紗代は普段のボーイッシュな格好とはかけ離れた大人っぽい雰囲気で、今までで一番可愛く見えた。
それがこの目で見た紗代の最後の姿だった。
卒業式以来、僕は一度も紗代に会うことはなかった。
彼女の行方はもはや知れない。