第1話

文字数 1,996文字

 日曜日の昼下がり。久しぶりに外で昼食を取ろうと店を探し歩いていると、信号待ちで有花先輩らしき人に遭遇した。
 大学の文芸サークルで一緒だった先輩だ。
 もう一年以上会っていないので本当に本人だとしたら嬉しい。違っていたら恥ずかしいけど、それは一瞬で終わることだ。思い切って声をかけると「加納ちゃんか?」と少し驚いた顔で聞き返された。
「はい。有花先輩ですよね」
「ああ久しぶり。何でこんなところに?」
 先輩は学生時代と変わらず冷静だった。違っているのは髪色ぐらいだ。茶色だったのが黒になっている。仕事先の規定が厳しいのだろうか。私はそんなことを思いながら、先輩に返した。
「店探してるんです。どこか良いカフェでもないかって。先輩は何を?」
「昼休憩中だよ」
「休憩?」
「そう。近くの古書店で働いてるんだ」会社は辞めたとあっさり言った。「せっかくだしお昼一緒に食べよう」
 戸惑ううちに半ば引っ張られるような形で先輩おすすめのカフェへ行くことになった。

 カフェの店内はレトロな色合いをしていた。ランチメニューは二種類。私はサンドイッチセットを頼み、先輩はパスタセットを頼み、グラスの水を飲みながら話を進めた。
「何で出版社を辞めたんですか?」
 遠回しな言い方をしても無意味なので率直に聞いた。
「どうにも合わなくて一年しないで辞めたよ。編集より書くほうが向いてるんじゃないかって言われもしたしね。いまは古書店三か月目。合間に趣味半分で小説書いてる」
 先輩は一口水を飲んだ後、続けた。
「加納ちゃんは真面目に仕事してそうだね」
「まあどうにか。後輩が来て倍大変になりましたけど……」
 私は先輩を少し羨ましく思いながら答えた。
 私も先輩と同じく出版社に就職していまは児童書部門で編集をしている。任され始めたばかりのひよっこに新人の世話まで任せるのはどうかと思いつつ、日々の仕事をこなしている状態だ。
だけど、仕事を辞めてまでしたいことはないし、どこに行っても大変なことには変わりないのでこのままでいるつもりだ。何が大変かときいてきた先輩には「色々」と答えた。
「言い出したらキリがないです」
 言えば余計にストレスが増える。自分のことは置いておき、向かいに座る先輩に話を振った。
「先輩はどうなんですか? ストレスとか」
 なさそうであるのではないかと思った。飄々としていながらどこか疲れているように見える。自由なようで実はそうでもないのかもしれないと思っていると、先輩が「あるよ」と気怠そうに答えた。
「店番してて肝心なときに店主がいないってことがよくあってね。気まぐれなんだ」
 その店主は店員である先輩に声をかけることなくどこかへ出かけてしまうという。
携帯番号教えて貰っていないので呼び戻したり電話で確認を取ることができない。それが苦情に発展したことはないものの、困るものは困る。先輩はそう言って窓の外を見た。
「だから私も何も言わずに店出てきた」
「えっと……いま無人じゃないですよね?」
「それはない。でも戻る頃は誰もいないかも」
「なら早く食べて戻らないと」
「いやそこは気を遣わなくて良いよ。出て行くなら鍵閉めるだろうし」
 問題ないという。
「後から怒られませんか?」
「怒るってことはないね」
「……もしかして本当は仲が良い?」
 私は思ったことをそのまま言った。
「まあ悪くはないかな。私元々はお客だったし」
「いつからですか?」
「二年の時から」
意外だった。先輩は読むも書くも現代もの一辺倒。私のほうが古いものに目を向けていた。
「店の名前、教えてください」
「やだよ。来る気でしょう」
「はい」
「なら……」
 話す途中で店員が私たちが注文したものを届けにきた。二人それぞれの前にランチセットを置き、コーヒーを出すタイミングについてきいてきた。
「食後、で良いよね?」
 先輩が答えた。後半は私への質問だ。
「はい」
「かしこまりました。では後ほど」
 店員は支払いの伝票を置いて静かに下がる。存在感が薄い。私は彼を見送った後話の続きを切り出した。
「店のこと教えないとか言わないですよね」
「言うよ。冷やかしに来られても困る」
「冷やかしじゃなくて、店自体に興味があるんです」
 私が真面目に言うと、先輩はサラダを一口食べた後答えた。
「零明堂。零銭のゼロに明るいお堂」
「分かりました」私は答えた後、改めてサンドイッチを見た。「ところでこれけっこうな量ですね。先輩のパスタも」
「そうだね。まあゆっくり食べよう。時間はあるし」
 その余裕ある口ぶりに少し不安になる。私はとにかく先輩には店番がある。それを言うと先輩はにこりと笑った。
「良いよ。ただ加納ちゃんが店に来たときはネタにする」
「勘弁してください」
「冗談。まあとにかくこの時間を楽しもう」
「はい」
 先輩が良いならもうそれで良い。
 せっかくの休日に要らない不安を持つのは勿体ない。私は先輩の真似をして笑顔を返した。
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