アンジーの旅立ち

文字数 4,120文字

メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
「…………」

――これは、文学(ぶんがく)(あい)する(もの)なら(だれ)もが()っているであろう名作(めいさく)(はし)れメロス』の()()しの一部(いちぶ)である。ここにいる一人(ひとり)異形(いけい)(むすめ)、アンジーは子供(こども)(ころ)先輩(せんぱい)戦士(せんし)()りの(さい)()(かえ)ってきたこの異界(いかい)書物(しょもつ)をやけに()()った。


 ハルピュイアの(なか)でも(えら)ばれたエリート戦士(せんし)だけに(あた)えられる『フレスヴェルグ』の称号(しょうごう)……それを一族(いちぞく)(はじ)めて未成年(みせいねん)(うち)(さず)かった彼女(かのじょ)だが、(こころ)はまだ(ゆめ)(わす)れていない少女(しょうじょ)のままであった。


 彼女(かのじょ)(そら)(あい)していた。その愛情(あいじょう)は、(つばさ)()たないが(ゆえ)(そら)(あこが)れる(もの)(たち)のそれにも(せま)るほどに。むしろ同胞(どうほう)(たち)(つばさ)()っているからこそ、それが()たり(まえ)のこととして愛情(あいじょう)への意識(いしき)()たざる(もの)(たち)より希薄(きはく)とも()える。

「……とうとう行くのか、アンジー」
 彼女(かのじょ)旅立(たびだ)ちの()――これまで何度(なんど)()()めた族長(ぞくちょう)は、(なか)ばあきらめながらも最後(さいご)警告(けいこく)をしようと、老体(ろうたい)酷使(こくし)してまでたった一人(ひとり)旅立(たびだ)とうとする彼女(かのじょ)()ってきた。
「族長様……」

 はっきり()おう。彼女(かのじょ)同胞(どうほう)(たち)から……それも先輩(せんぱい)戦士(せんし)からはひどく(きら)われていた。成人(せいじん)(ちか)づいても時折(ときおり)幼稚(ようち)()える言葉(ことば)()くことと、その幼稚(ようち)さに何一(なにひと)見合(みあ)わない最強(さいきょう)戦士(せんし)としての才覚(さいかく)()(そな)えていること。


 彼女(かのじょ)はベテラン戦士(せんし)だったら絶対(ぜったい)真似(まね)しようと(おも)わない、無謀(むぼう)(きわ)まりない戦技(せんぎ)数々(かずかず)独学(どくがく)()()してきた。それに(あこが)れて真似(まね)をした結果(けっか)訓練(くんれん)(ちゅう)怪我(けが)をする戦士(せんし)候補(こうほ)(せい)(たち)(あと)()えないことも始末(しまつ)()えない原因(げんいん)(ひと)つであった。


 大人(おとな)になってもなお(のこ)幼稚(ようち)さへの軽蔑(けいべつ)(すぐ)れた才覚(さいかく)により後輩(こうはい)戦士(せんし)からの羨望(せんぼう)目線(めせん)(うば)われた嫉妬(しっと)、そして模擬(もぎ)(せん)先輩(せんぱい)戦士(せんし)としての面子(めんこ)をことごとく(つぶ)された憤怒(ふんぬ)……

「最後のお願いじゃ。考え直すことはできんのか?」

 族長(ぞくちょう)は、それを()ってもなお()()めた。このままアンジーを(むら)()いておいても先輩(せんぱい)戦士(せんし)(たち)嫉妬(しっと)(けっ)して()えないのは、承知(しょうち)であった。


 その理由(りゆう)は、アンジー一人(ひとり)(かぎ)らず(いま)子供(こども)(たち)全員(ぜんいん)(ひと)しく(まご)のようにかわいがってきたから。そして彼女(かのじょ)(にく)(いま)大人(おとな)世代(せだい)も、全員(ぜんいん)()()のように(せっ)してきたのだ。


 今更(いまさら)和解(わかい)(かな)わないのは承知(しょうち)している。だが彼女(かのじょ)旅立(たびだ)理由(りゆう)(みな)()ってしまえば、大人(おとな)(たち)はますます彼女(かのじょ)(にく)むであることが想像(そうぞう)できてしまう。

「……族長様、先輩達が納得してくれないことは私も承知しています」
――旅立(たびだ)理由(りゆう)、それは(おのれ)戦士(せんし)としての才覚(さいかく)を、この世界(せかい)(そら)(まも)るために使(つか)うと(ちか)ったから。子供(こども)(ころ)(ほん)()きで()りに興味(きょうみ)()っていなかった彼女(かのじょ)は、(ほん)(きら)いな先輩(せんぱい)(なか)強引(ごういん)()()けられたあの(ほん)()んで、この(ちか)いを()てた。
「ですが、私は遥か遠い空を見たいと子供の頃から誓ったのです」
――そう。一人(ひとり)旅立(たびだ)つという決意(けつい)は、子供(こども)(ころ)から()めていたのだ。つい最近(さいきん)になってようやく族長(ぞくちょう)のみに()()けたのも、フレスヴェルグと(みと)められる()()るまでは(かな)わない(ゆめ)だからという理由(りゆう)(かく)(とお)していただけにすぎない。
「…………」

 (おそ)らく、この(ゆめ)幼少(ようしょう)から()かされていたら、族長(ぞくちょう)はアンジーをフレスヴェルグとして(みと)めなかっただろう。それどころか、戦士(せんし)としての修行(しゅぎょう)自体(じたい)(ゆる)さなかったはずだ。そうすれば今日(きょう)(まご)のようにかわいがった(いと)しい(むすめ)旅立(たびだ)たなかったはずだ。そして大人(おとな)(たち)から無用(むよう)(にく)しみを()けられることも、()こらなかった。


 だが年長(ねんちょう)になってから戦士(せんし)としての修行(しゅぎょう)(はじ)めたアンジーは、背負(せお)ったハンデの数々(かずかず)(すべ)()()えてここまで(つよ)くなった。

「……わかった。私も次の夢が叶う日を願っている」
「……ありがとうございます」

 その旅立(たびだ)(つばさ)()()められるほどの戦士(せんし)は、この(むら)誰一人(だれひとり)いない――瞬間(しゅんかん)(くろ)(はね)(ひと)つが()()った。




 失意(しつい)のうちに(むら)(もど)る、族長(ぞくちょう)(いえ)(かえ)った(とき)玄関(げんかん)(さき)手紙(てがみ)()かれていた。

「……これは?」
 それは、アンジーの手紙だった。
「……アンジー」
 ()(すす)めるごとに()かぶ、感動(かんどう)(なみだ)。そこには(たし)かに、感謝(かんしゃ)言葉(ことば)数々(かずかず)()かれていた。
「族長、族長!!」
 そこへ(つど)ってくる、大人(おとな)世代(せだい)戦士(せんし)(たち)彼女(かのじょ)(おな)じように、(おそ)らくアンジーから(おく)られたであろう手紙(てがみ)(にぎ)()めていた。
「アンジーの奴、こんな手紙を……」

 そこに(つど)った(もの)(たち)彼女(かのじょ)(きら)っていた(もの)(たち)ほど、(つよ)(なみだ)()かべていた――そう、彼女(かのじょ)自分(じぶん)(きら)先輩(せんぱい)(たち)にも一人一人(ひとりひとり)感謝(かんしゃ)手紙(てがみ)(おく)り、(うら)(ごと)何一(なにひと)()わずに(わか)れたのだ。


 あんなにも(きら)いだったアンジーから(おく)られた感謝(かんしゃ)言葉(ことば)――それはアンジーが大人(おとな)(たち)一人一人(ひとりひとり)戦士(せんし)として敬意(けいい)(はら)っていたという事実(じじつ)であった。嫌味(いやみ)()こえないように、お(わか)れの()()(とき)まで彼女(かのじょ)はそれを(だま)っていた。


――次第(しだい)(ひび)(わた)る、後悔(こうかい)合唱(がっしょう)数々(かずかず)。だがそれこそが、(あと)彼女(かのじょ)(たち)(あと)再会(さいかい)(とき)和解(わかい)への決意(けつい)(つな)がるのである……

フレスヴェルグと呼ばれた少女、完
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