第1話

文字数 4,455文字

「あ!余計な事言ってんじゃねぇよくそばばあ!さっさと消えろ!」

さてさて皆さんどうもこんにちは。こんばんは。
このセリフ、思春期の少年が口うるさい母親に反抗している姿が
思い浮かぶのではないでしょうか。
しかしそうではない。浜田和正 28歳。思春期はとうの昔に過ぎた
立派な大人だ。いや、はてこの男を立派と表していいものか、、、

ここは刑務所内の面会室。白い壁に四方を囲まれ、真ん中にプラスティックの壁で
自由と窮屈の世界を隔てた、まるで異世界のような空間。

さて、さきほど紹介した男が誰かと面会室にいるようだ。

「てめぇのせいだろうがよ!てめぇが子どもを堕とせっていってりゃ
そもそもこんなことにはなってなかっただろうがよ!」
「てめぇの顔毎日見せられて気分も最悪だわてめぇが死ねよ!」

なんとも口の悪い。浜田和正 28歳。
この男、あろうことか自らの嫁と息子を殺害した罪で刑務所に
収容されている。
この男誰に似たのか実に頭に血が上りやすい。
少しのことでかっとなっては街で騒ぎを起こしていた。
それが女であろうとお年寄りであろと容赦はしなかった。
それは自分の妻子も例外ではなかった。

「さっさと帰れくそばばあ!」

浜田和正に父親はいない。産まれた時から母である
多美子と二人で暮らしていた。家は貧乏を絵にかいたような
暮らし。それに加え浜田和正は未成年の時から喧嘩小僧として
警察のお世話になっては多美子の手を煩わしていた。
成人しようとまともに職に就くわけもなく、ふらふらと遊んでは問題を
起こして警察にご厄介。多美子のところへ顔を出すとすれば
小銭をねだりにくる時だけだ。

そんな生活を続けていたこの男にも変わる転機が訪れた。
その時ヒモになっていた女との間に子供を授かったのだ。
それは浜田和正が24の時だった

これに多美子は心から喜んだ。
責任感。この男に微塵もない物。それが少しは
芽生えるのではないかと淡い期待をしていた。
そんな姿を見た浜田和正も同じ気持ちだった。
「一家の大黒柱になるのなら金を稼ぎにいかねーとな。
第一、お袋一人で俺を育てることができたんだ
子供一人食わせるくらいたやすいことだ」
しかし、浜田和正は子供を育てること、金を稼ぐことを
甘く見ていた。日雇いの土木作業員になった浜田和正であったが、
なれない肉体労働、人間関係、浜田和正には
地獄のような日々が続いた。
その上家に帰れば産まれたばかりの赤ん坊が
獣のように泣き叫んでいる。
浜田和正は限界だった。
わが子を守ろうと抵抗した嫁を容赦なく殴り続け、
赤ん坊を湯船に沈めた。

後日、浜田和正は逮捕され妻子殺害及び死体遺棄の罪で
裁判にかけられた。結果は浜田和正の多すぎる傷害事件の前科。
今回のまともな人間性を感じられない、極めて残虐性の
高い殺し、満場一致だった。
浜田和正は死刑を言い渡されたのだった。

それから2年と半年。母親である多美子は
片道1時間はかかる道のりをオンボロのマーチ
を走らせ、浜田和正に会いに来ていた。
なにをしたとしてもわが子である浜田和正
の顔を見るために。
だがその度に浜田和正は苦しい現実への鬱憤や
刑務所でのストレスを晴らすかのように
多美子に罵詈雑言を浴びせかけた。
それでも多美子は浜田和正を見捨てることはなかった。

そんな二人の生活も遂には終わりを迎えようとしている。
明日が死刑執行の日なのだ。
にもかかわらずこの男は相も変わらず多美子を罵っていた。
これで身内との面会が許されるのは明日の死刑執行直前の
わずかな時間だけだろう。
とはいってもこんな男に会いに来るもの好きがいるだろうか。

「おい、浜田。飯だぞ、、、お前最後に聞くが本当にこんなもんで
いいのか?」

死刑囚の最後の晩餐には本人の希望した料理がだしてもらえる。
大概の死刑囚は脂っこいものや刑務所の中では食べられなかった
味付けの濃い物を希望するであろう。
だがこの男は違った。アツアツの白米に醤油。これだけだった。
看守もこれには戸惑った。前日に何度も確認をとったが、
浜田和正は頑なに白米と醤油と答え続けた。

「俺は飯の上に醤油かけて食うのがなにより好きなんだよ。
他にはなにもいらねぇ。」

これならば普段の食事の方が数倍豪勢だ。
実はこれには理由があった。
この男、実にプライドが高いのだ。その高さ
エッフェル塔の如しといったところか。
最期の晩餐だといって豪勢に注文するのは
なんだかとてもみっともないことにこの男には
感じられた。みすぼらしく見られるのが嫌だったのだ。
なんとも馬鹿な男である。
牢屋の中で茶碗一杯のご飯の上に醤油をかけて食べる姿の方が
よっぽどみすぼらしいではないか。
だがしかしこれだけが理由ではなかった。
幼い時から貧乏だった浜田和正の家では
多美子は毎晩帰って来るのは浜田和正が眠り
沈んでから。つまり夕食はいつも一人で食べていた。
とはいっても家にはろくなご飯のおかずがあるわけではない。
唯一あったのが米と醤油だった。
浜田和正が米の炊き方を覚えたのは、まだ6歳の
時だった。

「まあ、この貧乏飯が俺の体を作ってきたんだ。
最期の晩餐がこんな質素だなんておれらしくていいや。」
浜田和正はこうして一人背中を丸めて
一杯の茶碗の中の白飯を搔きこんだ。

「消灯~。」
「浜田、今日の晩はゆっくり眠れるといいな。」
「ええ、そりゃ幸せなこったですよ看守さん、おやすみ。」

ゆっくり眠れるはずもなかった。明日処刑されるのだ。
浜田和正の頭の中には無数の思いが広がっていた。

もともとこの男、人に対する情の意識が
あまりにも欠落している。
傷つけた人々や殺した妻子に対しても
まったく罪の意識や罪悪感を感じていなかった。
そういったことが今回の死刑に繋がった要因とも
言えるのだが。
だが1つだけ、浜田和正にはひっかかっていることがあった。
母の多美子の存在だった。

「今日帰っていく背中はいつもより小さく見えたな。」

浜田和正の父親は多美子が浜田和正を産んだ日に
交通事故で死んだ。即死だったそうだ。
しかも病院へ向かう道中で。
幸せの淵から不幸のどん底へと叩き落された多美子ではあったが、
夫の生き写しだと、子供にそっくりそのまま亡き夫の
名前をつけ、大事に育ててきた。
だから、それが例え人殺しだったとして
多美子にとっては二人といない存在だったのだ。

ふと浜田和正の頭に連れの友人の言葉がよぎった。

「おいカズ。お前もそろそろお袋さん安心
させてやれよ。もう親孝行しても文句
いわれねぇ年だぜ。」

「なあ、カズ。結局親孝行なんて俺にはできなかったな。
それどころか俺がお袋おいて先に逝っちまうなんてよ。
これじゃ親父と一緒だな。笑っちまうぜ。
あー、、、お袋、、すまねえ。」
浜田和正の目から大粒の涙が零れ落ちた。

自分の不甲斐なさと情けなさ、怒りと悲しみ、
様々な負の感情が浜田和正を襲った。
浜田和正は叫んでいた。

「おぉぉぁああああうぁぁぁぁ!」

静かな刑務所にはまるで獣の最後のような
断末魔がこだました。

看守が浜田和正の房に急いだ。

「どうした!なにしてる!」

浜田和正は瞬時に冷静さを取り戻そうと必死に
言い聞かせた。処刑を明日に控え、気が動転して
パニックに陥っていたなどなんとみっともない
ことか。看守たちに笑われるに決まってる。

「いえ、何も問題ない。蚊があんまりうるさくて。
ははっ。イライラしちゃいました。ほら、さっき殺したので
問題は解決しました。せっかく気持ちよく寝ていたのに
耳元でブーンって来られちゃたまらんでしょ。」

看守は顔を歪めた。

「そうか、、、眠れないのなら、なにかもってきてやろうか。気が
紛れそうなものを。」

「いいえ。結構です。すぐにまた眠れますから。」

こんな言い訳しか今の浜田和正には
思いつかなかった。
弱みを他人に握られたり同情されるなど
浜田和正には耐えることができないのだ。

昔から友人と呼べる存在は多くなかった。
何か気食わないことがあれば口より先に
手が出た。父親もそのような人間だったのだろうか。

浜田和正はこの夜に覚悟を決めた。死刑直前に
暴れたり、小便を漏らすようなみっともない
真似をしないと。
何回も言うようだがこの男は馬鹿なのだ。
刑務所に入っている時点でみっともないことだと
きずいていない。人間の最後のプライドとでもいう
のだろうか。如何せんプライドの高い男である。

浜田和正はこの夜一睡もできなかった。
ずっと自分の人生を自分で美化しては振り返っていた。
だが、そこにあるのはいつも多美子の
下がった頭と、不安げな顔だった。

死刑執行まで残り3時間。
面会室へ向かうのは今日死刑を控えた男
浜田和正だ。

「誰も来てなかったらいいのに。」

来ている。もちろんそこには母の多美子の
姿が一つ、まるで皿の上に残った遠慮の塊のように
ぽつんと存在していた。

毎日顔を合わせてはいたが、今日ばかりはいつもと違った。

、、、、無言のまま5分が過ぎようとしていた。

先に沈黙を破ったのは多美子だった。
突然張りつめていた感情の糸が切れたかのように
多美子は子供のように声を大にして
泣き叫んだ。

「おぉぉぉぉああああうぁぁぁぁ!」

多美子が泣いている姿を浜田和正は未だ一度も見たことが
なかった。そのため驚きを隠すことができず、ただ
泣き叫ぶ母の姿を眺めた。
考えなくても多美子の気持ちは容易に察することが
できるはずだ。いまからたった一人の家族が、
息子が処刑されるのだ。泣かない親が
どこの世界にいる。

「お袋、すまなかった。」

声にはならない。

覚悟はできていた。どのみち死んでも大切にしていた
ものもなければ、失うものもないと思っていた。
そう思っていた。なのに、浜田和正の気持ちは
大きく変わっていた。

死にたくない

なぜ、今の今ままで気づかなかったのだろう。
やり残したこと、、、全て母の多美子とのことだ。

なんでもいい。肩を揉んでやろうか。
旅行なんかもいい。
そうだ、久しぶりにお袋の作った料理が食いたい。
俺の身体を作ってくれたのは醤油掛けご飯なんかじゃなかった。

俺みたいな親不孝ものを最後まで
見捨てることなく母親であり続けてくれた
この女性を俺は。泣かしてはいけなかった。

ひょっとしたら、いつも俺の知らない所で
泣いてたのかもな。

無機質な薄暗く湿った部屋。ここは
地獄へと繋がる異世界空間。

吊るされたロープ。
そのロープで作り上げられた綺麗な円の
向こうに見えるのは暗い、真っ暗な世界。

うっすらと滲む汗。
声に出す。
お袋。ありがとう。







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