こっくりさんをかたるな
文字数 1,992文字
日差しはすでに西に傾き、下校の時間まであと三十分もない。
六年四組の教室に、二人の女子が居残っていた。
窓際の一番後ろの席に一人が座り、一人は見守るようにその傍に立っている。
座っている少女は、習字の半紙に向かって何やら書き付けていた。
ぐるりを囲む五十音。
〈はい〉と〈いいえ〉。
真ん中に――鳥居。
「千晶ちゃん、十円玉はこれでいいかな」
「うん、そうね。このくらい磨いてあるならいいと思う。マナちゃん、十円玉に左の人差し指を乗せて。うん、もっと力を抜いて。本当に乗せるだけ」
「うん……」
「大丈夫よ、わたし霊感あるから」
言って、千晶は口元だけで微笑んだ。マナは頷いて、深呼吸をする。
千晶は頷き返すと、自分の首の後ろに手を回した。
髪の毛を結んでいたゴムを取り外したのだ。量の多い髪が、バサッと肩口に広がった。
「じゃあ、始めるよ。いい?」
千晶が立ち上がる。マナは神妙に頷いた。
眼差しで応えて、千晶は十円玉に人差し指を乗せる。
すぅっと息を吸い込むと、千晶は儀式を始めるべく決まり文句を口にした。
「こっくりさん、こっくりさん。いらっしゃいましたら、はいのところへお進みください」
ちらちらとマナは、千晶と十円玉とを交互に見比べる。
「こっくりさん、こっくりさん。いらっしゃいましたら」
千晶が繰り返したそのとき、す、すすす、と十円玉が半紙の上を這い始めた。
マナの目が大きく見開かれる。
〈はい〉の周りで円を描くと、硬貨は鳥居に戻ってきた。
「来てくださった。……マナちゃん、質問があるんでしょう?」
千晶が重々しく言った。
マナは深呼吸をして、思い切ったように口を開く。
「こっくりさん、教えてください。吉行くんの好きな人は誰ですか」
三つ数えるくらいの間が過ぎた。
じり、と十円玉が動き出した。
あっ、とマナは小さく声をあげる。千晶の頭がガクッと下がり、真っ黒い髪がその顔を隠した。
十円玉は、じりじりと動いている。
マナは指先を軽く乗せているだけだ。
じりじり、と五十音の方へ――かきくけこ、かき――マナの名字は木元だ。マナは唇を噛み締めた。
そこで、
ぐっ、と十円玉が方向を変えた。
えっ、と千晶が声を上げる。
十円玉が恐ろしい勢いで、半紙の上を滑り始めた。
う、
そ、
う、
そ、
そして〈いいえ〉のところを何度も何度も突き刺すようにして、示した。
何これ、なにこれ!
「ち、千晶ちゃん!」
ぐん!
突然、見えない誰かに引っ張られたかのように、千晶の左腕が伸び切った。
驚く暇もないのか、千晶はぽかんとした顔のまま、左腕を差し出した格好で宙を飛ぶ。
「あっ」
弾かれたマナは尻餅をついて転んだ。
そのマナの前髪を、千晶の足先が掠めていく。マナは咄嗟に首を引っ込めた。
いったい何が起こっているのか。
「ひ、い、いいいいいいい」
左腕を伸ばしたまま、物凄い勢いで千晶は窓硝子に突っ込んでいった。
ガッ!
鈍く濁った音が響く。
「千晶ちゃん!」
窓に叩きつけられて、千晶は投げ捨てられたかのように床に落ちる。
硝子に小さな一文字の穴が空いていた。
自動販売機などにある硬貨を入れる、ちょうどあんな形の穴だ。縁が溶けた飴のようになっているが、罅 は入っていない。
「十円玉が! 十円玉が勝手に飛んでいったの! わたしの指、指が離れなくて、指がくっついたまま」
千晶は一息に言うと、おかしな形に歪んだ人差し指をマナに差し出し、悲鳴を上げた。
マナは泣き喚く千晶を保健室に連れて行った。
「どうしたの! なんて酷い」
千晶の指を見た先生は青ざめた。すぐに近くの整形外科に連絡を取る。
「何があったの?」
千晶はとても話ができる状態ではない。
マナは本当のことを話すことなど出来ず、ただ「千晶ちゃんが転んで窓にぶつかったらしいが、自分はその瞬間を見ていない」というようなことをもぐもぐと言った。
千晶が病院へ行った後、担任や教頭先生から事情を問い質されたマナは、同じことだけを繰り返す。
現場を確認したいという先生達に、マナは教室へ連れて行かれた。
微かに、何かが焦げたような臭いがした。
どういうわけか、半紙は何処にも見当たらなかった。こっくりさんをしていたことが先生に知られずに済む、とマナはホッとした。
窓硝子に空いていた妙な穴が取り沙汰されたが、マナは知らない分からないで押し通した。
一ヶ月が過ぎても、千晶は学校に来なかった。
二ヶ月が過ぎる頃、タクシーに乗っている千晶とお母さんを見たと、吉行くんが話しているのをマナは聞いた。
「……小さな丸い火傷みたいなのが、顔中にあってさ」
先生は、千晶の話はしない。
六年四組の教室に、二人の女子が居残っていた。
窓際の一番後ろの席に一人が座り、一人は見守るようにその傍に立っている。
座っている少女は、習字の半紙に向かって何やら書き付けていた。
ぐるりを囲む五十音。
〈はい〉と〈いいえ〉。
真ん中に――鳥居。
「千晶ちゃん、十円玉はこれでいいかな」
「うん、そうね。このくらい磨いてあるならいいと思う。マナちゃん、十円玉に左の人差し指を乗せて。うん、もっと力を抜いて。本当に乗せるだけ」
「うん……」
「大丈夫よ、わたし霊感あるから」
言って、千晶は口元だけで微笑んだ。マナは頷いて、深呼吸をする。
千晶は頷き返すと、自分の首の後ろに手を回した。
髪の毛を結んでいたゴムを取り外したのだ。量の多い髪が、バサッと肩口に広がった。
「じゃあ、始めるよ。いい?」
千晶が立ち上がる。マナは神妙に頷いた。
眼差しで応えて、千晶は十円玉に人差し指を乗せる。
すぅっと息を吸い込むと、千晶は儀式を始めるべく決まり文句を口にした。
「こっくりさん、こっくりさん。いらっしゃいましたら、はいのところへお進みください」
ちらちらとマナは、千晶と十円玉とを交互に見比べる。
「こっくりさん、こっくりさん。いらっしゃいましたら」
千晶が繰り返したそのとき、す、すすす、と十円玉が半紙の上を這い始めた。
マナの目が大きく見開かれる。
〈はい〉の周りで円を描くと、硬貨は鳥居に戻ってきた。
「来てくださった。……マナちゃん、質問があるんでしょう?」
千晶が重々しく言った。
マナは深呼吸をして、思い切ったように口を開く。
「こっくりさん、教えてください。吉行くんの好きな人は誰ですか」
三つ数えるくらいの間が過ぎた。
じり、と十円玉が動き出した。
あっ、とマナは小さく声をあげる。千晶の頭がガクッと下がり、真っ黒い髪がその顔を隠した。
十円玉は、じりじりと動いている。
マナは指先を軽く乗せているだけだ。
じりじり、と五十音の方へ――かきくけこ、かき――マナの名字は木元だ。マナは唇を噛み締めた。
そこで、
ぐっ、と十円玉が方向を変えた。
えっ、と千晶が声を上げる。
十円玉が恐ろしい勢いで、半紙の上を滑り始めた。
う、
そ、
う、
そ、
そして〈いいえ〉のところを何度も何度も突き刺すようにして、示した。
何これ、なにこれ!
「ち、千晶ちゃん!」
ぐん!
突然、見えない誰かに引っ張られたかのように、千晶の左腕が伸び切った。
驚く暇もないのか、千晶はぽかんとした顔のまま、左腕を差し出した格好で宙を飛ぶ。
「あっ」
弾かれたマナは尻餅をついて転んだ。
そのマナの前髪を、千晶の足先が掠めていく。マナは咄嗟に首を引っ込めた。
いったい何が起こっているのか。
「ひ、い、いいいいいいい」
左腕を伸ばしたまま、物凄い勢いで千晶は窓硝子に突っ込んでいった。
ガッ!
鈍く濁った音が響く。
「千晶ちゃん!」
窓に叩きつけられて、千晶は投げ捨てられたかのように床に落ちる。
硝子に小さな一文字の穴が空いていた。
自動販売機などにある硬貨を入れる、ちょうどあんな形の穴だ。縁が溶けた飴のようになっているが、
「十円玉が! 十円玉が勝手に飛んでいったの! わたしの指、指が離れなくて、指がくっついたまま」
千晶は一息に言うと、おかしな形に歪んだ人差し指をマナに差し出し、悲鳴を上げた。
マナは泣き喚く千晶を保健室に連れて行った。
「どうしたの! なんて酷い」
千晶の指を見た先生は青ざめた。すぐに近くの整形外科に連絡を取る。
「何があったの?」
千晶はとても話ができる状態ではない。
マナは本当のことを話すことなど出来ず、ただ「千晶ちゃんが転んで窓にぶつかったらしいが、自分はその瞬間を見ていない」というようなことをもぐもぐと言った。
千晶が病院へ行った後、担任や教頭先生から事情を問い質されたマナは、同じことだけを繰り返す。
現場を確認したいという先生達に、マナは教室へ連れて行かれた。
微かに、何かが焦げたような臭いがした。
どういうわけか、半紙は何処にも見当たらなかった。こっくりさんをしていたことが先生に知られずに済む、とマナはホッとした。
窓硝子に空いていた妙な穴が取り沙汰されたが、マナは知らない分からないで押し通した。
一ヶ月が過ぎても、千晶は学校に来なかった。
二ヶ月が過ぎる頃、タクシーに乗っている千晶とお母さんを見たと、吉行くんが話しているのをマナは聞いた。
「……小さな丸い火傷みたいなのが、顔中にあってさ」
先生は、千晶の話はしない。