第1話

文字数 1,894文字


忙しくなると、皆余裕がなくなるのは分かっている。鳴り響く電話を無視しデータを打ち込んでいると、はやく誰が出て!と怒鳴り声がして仕方なく私が出た。隣のぼんやりしている新人の男は出てくれない、むかつく。
最近は残業が多く、気が遠くなる。
それを改善しようと話をだしても、今だけだから繁忙期乗り越えたらマシだから皆がんばろ、と私の業務改善案はただのわがままとして流されてしまった。
エナドリの独特な香りが鼻を刺激して
喉がなんか酸っぱ辛くなる。21時。
「じゃ、谷口さん帰りよろしくねー、ちゃんと戸締まりして帰ってねー」
「はい、お疲れ様です」 
残業時間は月100時間を越えた。
「あ、あの谷口、さん大丈夫スか、俺残ります、か」
「あーいいよいいよ」
新人はむしろとっとと帰ってくれ、足手まといだし。
そんな新人はともかく、私は上司の男ー、平塚に殺意を抱き始めた。平気で私に仕事をおしつけて帰りやがる。自分には家庭があるからって、独身は休まなくてもいいみたいにしてして、むかつくから強めにキーボードを叩く。辞めればいいんだろうけど、妙なプライドがなぜ私が辞めなくてはいけないのか、上が変われ。と意地になる。

そんなある日のこと、出勤時間の朝から妙に騒がしく、見てみると我が社のマスコットキャラクターであるペンギンの石像が倒れているではないか、下敷きになってぐったりしているのは平塚だった。
救急車がくる音が遠くから聞こえこの時は仕事どころではなかった。
私は心配だね、と口ではいいながら昨夜、丁度『明日の朝、あのペンギンでも倒れて平塚のやつ死なないだろうか』
と、時間帯も死に方も妄想通りだったことに、手が震えていた。これは私に念力のような特殊能力が芽生えたのではなかろうか。

いやいや、一回はさすがに偶然だろう。
しかしその後も私がいらっとした途端にその人が転ぶ、飲み物が倒れキーボードを濡らす……。
「相手のプレゼンデータさえ消えればねぇ……」なんて小声でつぶやいて、念ずれば停電が起きる、など何回も起きー……
私は確信した。私には念力の能力があると。

もうそれならこんな会社に長居する必要もなくどこでもやっていけるだろう。私は有頂天になって退職届けを出した。
あとは有給を消化するだけだ。どこに旅行に行こうかなあ。

「谷口さん、辞めちゃうんですか……」
階段で声をかけられた。
新人の佐藤は最近は仕事できるようになったが、頼りない男だ。ひょろいし全然タイプじゃない。
「うん〜もっといい条件のとこあって〜佐藤くんは頑張ってね〜」
「あ……でも……うちも最近は働きやすく…なりましたよね」
平塚がいなくなってから嫌なタイプの中堅がいなくなり、風通しがよくなって上は下の残業を把握しやすくなった。最近はまったく残業はない。
それでもこの能力をもつ私がいるべき場所ではないはずだ。
にしても色々うるさい佐藤を私は念力でこらしめてやろうとおもって手に力を込めた。
「佐藤くん邪魔、どっかいって」
数秒遅れてギュン、と風がふいたように、佐藤くんの体は吹っ飛び倒れる。
「た、谷口……さん」

私は気持ちよくて仕方なくて、もう入ることのない会社をあとにした。
ちかっ、ちか、と太陽の光が眩しい
変に、自分に巨大な影がかかる。
平塚を殺したペンギン像が、私のところに倒れようとしている。
「もー、邪魔」
弾き飛ばしてしまえばいい
私は両手を上に伸ばしてそう思った。私の余裕は、その石像が私の両手をぐしゃ、と潰す
その瞬間までだった。


*

俺はあわてて階段を駆け下りる。
谷口さんに念力能力など、ない。念力能力があるのは俺の方だ。

俺が平塚を殺す時に使ったペンギン像は
そのせいで倒れやすくなっていたらしい。
力をつかうのが間に合わず、潰れた彼女をみて叫んで救急車を呼ぶ。

『はじめまして、私が研修担当だよ、分からないところは聞いてね』

『佐藤くんメモとるの綺麗だね、私が新人の頃なんてさそんなメモで読めるのかって平塚さんに怒られちゃってもう』

『頑張ってるね、偉いね』

俺はただこの力で彼女のためになりたかっただけだ。それが彼女に彼女自身に力があると勘違いさせてしまった。勘違いを正すこともせず、ふっとばされたフリなんてして、でも、爛々と輝く彼女の目を、夢を壊したくはなかった。
神様、お願いします
俺はどうなってもいいです、彼女を助けてください。残業を押し付けられて疲れてただけ、本当はいい人なんです。

ペンギン像の目が、血を吸ってほの暗く光りこちらをみている。
念力が使えたところで、気持ちを伝えることも、命を助けることも、できない。

そんなひどく無力な存在なのだと言われているような、そんな気がした。


end
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