第1話

文字数 1,812文字

「手をかざして念力を感じてください」
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そんなつもりはなかったけど、手が触れてしまった。
不思議と熱かった。指先からじんわりと熱が広がっていくのがわかった。
私には今、念力が送られているそうだ。
まだ少しこの感覚から離れたくなかったので、本編の動画も見ることにした。
相変わらず画面には手だけが映っていた。
少し鼻にかかった低い声がますます私を迷宮入りさせた。
念力を感じる力が強い方は頭が痛くなるので、そういう方は超念力も使えるようになると案内された。
私はその直後に、頭がずきずきと痛くなり始めた。
気がつくと、私の手は真っ赤に染まり指先の血管は激しく音を立てていた。

私の手はどうなってしまったのか?
なかなか冷めやまない熱に本当に力が宿ってしまったのかと錯覚した。
何度考え直しても、熱は逃げなかった。
どうやら私の理性は戻ってきたくないようだった。

朝起きると、理性は少しだけ戻ってきてくれていた。
私は1年間限定の契約社員だった。
私の仕事は楽器の受注を請け負う部署だった。
マネージャーの塩崎さん。リーダーの増田さん。
優しい人達ではあるが、ミスをすると人が変わったようにとても怖かった。
今日は月曜日。月曜日は週の中でも一番電話が多い日だ。注文の電話のみならいいが、クレームの電話も合わせてやってくる。
このクレームの電話が1本くるだけで、塩崎さんと増田さんが苛立ち始め空気は凍りつく。
そこでプレッシャーに弱い私は、塩崎さんと増田さんの波動に押しつぶされ浅瀬で溺れるように謝罪の言葉を噛みに噛み、相手の怒りをかっては、さらに私は奥底へ沈んでいく。クレームが来るたび、私の仕事は定時を超えていく。

今日は一体どんな電話がくるのだろうか?

就業開始のチャイムと同時に厄介な電話が来ませんようにと自然と私は電話の上に両手を合わせ強く願っていた。手を合わせる前に目を瞑る。3秒息を吐き、3秒息を止め、邪念を払う。そして祈りを込める。
自然にやっていた自分に少し戸惑ったが、願いが叶えばいいと思った。

小指の方からビリビリと何かが伝わってきた。

就業から3時間経過した。
未だ電話は鳴らない。
お昼休憩。
午後からの就業開始。
今日初めての電話が鳴った。
「リコーダーを10個発注をお願いします。」
「承知いたしました。在庫ございますので、本日発送いたします。」
このやりとりだけで電話は終了した。
そして仕事も終了した。
掌にほのかに熱さを感じた。
もしかして、念力。
いや、まさか。
それからの数日、クレームの電話が鳴ることはなかった。
これは念力のせいなのか。


私は次の日、会社を休んだ。
頭痛と耳鳴りが止まなかった。

家でじっとしているのもさらに頭痛を酷くさせたので、癒しを求めて水族館に行くことにした。

ペンギンの足は本当は長い。前にそんな動画を見たことがあった。
ペンギンは普段90度に足を曲げて生活をしているらしい。
前から気になっていた事実を確かめるにはいい機会だと思った。

動物園のペンギン達は疲れていた。
私みたいに疲れていた。
歩くことも食べることもせずじっとしていた。
私は両手を合わせて願った。
どうか歩いているところを見せてください。
あわよくば泳いでいるところも。

小指からビリビリと熱が伝わってきた。

ペンギンはあっという間に飛んだ。
水面に向かって大きくジャンプした。
足が伸びた。大きく伸びた。
気がした。

頭痛と耳鳴りは1日で治り翌日には仕事に行けた。

勘違い。
妄想。
洗脳。

興味があるものに出会うと私はすぐに興奮して体温が上がる性質なので、画面から熱を感じたのはそのせいだったし、頭が痛くなったのは長い時間ずっと同じ姿勢でずっと画面を見続けたせいだ。

指先から強い鼓動を感じたのは、電話に出るプレッシャーで失敗したらどうしようと緊張していたからで
小指ビリビリがしたのは、携帯を変な角度で握りしめたせいで手が痺れていたから。

ペンギンの足が伸びたのは、疲れていたせい。
そもそもペンギンの足は直角に固定されているため伸びないらしい。
思い起こせばここ数日、残業続きだった私はとても疲れていた。
仕事は嫌だった。早く辞めたかった。
ずっと逃げたかった。

現実逃避出来た私は普通でいることに執着するのを諦めようと思った。

全ては勘違いだ。
だけど私はこの馬鹿げた念力に少しだけ救われた。
困った時にだけ発動できる念力。
思い込みの念力は私を少しだけ動かす。
突き動かせ。
折りたたまれた私の拙い超念力。
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