第1話

文字数 1,927文字

「ねえあなた、ボディーソープがもうないみたい。ちょっと買って来てくれる」
「はいよ」
ジーパンとTシャツに着替え、顔を洗って家を出た。車のエンジンをかけ、どこのドラッグストアに行こうかと考える。今日は休日だ、少し遠出でもしようかな。
 旅のお供はテイラースウィフトの『RED』。よし、行こう。

ボディーソープと聞くと、いつも金ちゃんのことを思い出す。

「このあとまた公園に行って練習する?」
「今日はダメ。ボディーソープとヘアリーベッチを買って帰んないといけないから」
「ん?なんて?」
「だから、ボディーソープとヘアリーベッチを買って帰らないといけないの」
「なにそのヘアリーベッチって」
「知らない」
「知らない?」
「うん、知らない。お母さんにボディーソープのお遣いを頼まれて、お父さんが『じゃあヘアリーベッチも買ってきて』って」
「何か聞かなかったの?」
「聞いたよ、もちろん。分かんないんだから。僕だって初耳だもん。でも教えてくれなかったの。それが何か教えないから見つけ出して買ってきてって」
「ほう、それは…それは、だね」
「なんなんだろう、ヘアリーベッチって」
「何のヒントも無し?」
「うん、なーんにも」
「何にも分かんないでどうしようとしてたの?」
「まぁボディーソープのついでに頼んだぐらいだから薬局に行けばどうにかなるかなぁと」
「じゃあさ、俺も一緒に行っていい?」
「いいの?」
「だって気になってしょうがないし、二人の方が早く見つけられるかもしれんやん」
 こうして僕と金ちゃんのヘアリーベッチ探しの旅が始まった。僕たちは自転車をかっ飛ばして薬局へ向かった。店員に尋ねるのは旅の趣がないからまずは自力で探そうということになった。僕たちは二手に分かれた。僕は入り口に近い側から商品棚を隅から隅まで点検して行ったが「ヘアリーベッチ」の文字を見つけることはできなかった。反対側からスタートした金ちゃんも同様に見つけられていなかった。
「こっちにはなかったよ」
「こっちも。よく見た?」
「見たよ。そっちこそよく見た?」
「当たり前やん。じゃあ俺がそっちを見てくる」
「なかったって」
「見逃しとるかもしれんやん」
「いいよ、じゃあなかったらどうする」
「どうもせん」
楽しく始まったヘアリーベッチ探しの旅は早くもケンカの火種となった。持ち場を入れ替え、僕は入口とは反対側を、金ちゃんは入り口側を見て回った。しかし、お互いに見つけることはできなかった。
「ごめん、なかった」
「こっちもなかった。こっちこそごめん」
今度は二人で店内を一周したが、やはり見つけることはできなかった。
「ないね。もう店員さんに聞こっか」
「そうやね。聞いた方が早いね」
二人で話し合って店員に聞こうと決めたまさにその時、店員の方から「何やってんの」と声をかけられた。その声のかけ方に僕はムッとしたのだが、金ちゃんは落ち着いていた。
「あの、ヘアリーベッチってありますか?」
「なにそれ?」
「分からないんです」
「分からないものを聞かれても探しようがないんだけど…何かの商品名?」
「だから、分からないから聞いているんです」と僕は語気を強めて言った。店員は口にこそ出さなかったが「この生意気なガキめ」という目をした。
「ちょっと待ってて、調べてくるから」
しばらくして戻ってきた店員は「うちにはそんな商品名の物は置いてないね」と言った。僕たちは店を出た。
 別の薬局に行って探してみたが見つからず、店員に聞いても結果は同じだった。「この店にはヘアリーベッチという商品はありませんね」。
「薬局にある物じゃないみたいだね」
「何なんだろうね、ヘアリーベッチって」
「図書館に行って調べてみる?」
「いいね。そうしよう」
 図書館に来たのはいいが、それが何かを知らない僕たちは何をどう調べたらいいのかが分からなかった。館内をうろうろした揚句、僕たちはいつの間にかヘアリーベッチではなくてウォーリーを探していた。ウォーリーには○が付けられており、探そうとしなくても見つけることができた。
「なんで○なんかつけるんだろうね。自分の物ならともかく、みんなの物なのに」と金ちゃんはひどく怒っていた。
 閉館を知らせる音楽が流れた時、僕は『怪決ゾロリ』を、金ちゃんは『ハリーポッター』を読んでいた。探し物があることなど二人ともすっかり忘れていた。
 結局その日、僕たちはヘアリーベッチを探し出すことができなかった。それでも、「それが何かが分からないもの」を探す旅がこんなにも愉悦を与えてくれるのだということを知ることができた。ヘアリーベッチに気を取られるあまり、ボディーソープを買い忘れたこともいい思い出だ。
 僕は助手席にある買い物袋に手を伸ばして中身を確かめた。うん、大丈夫だ。
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