家族になれないわたしたち

文字数 1,886文字

「別にさ、無理に籍入れなくたって良くない?」
 と、恋人がさらりと、牛丼に紅ショウガが付いてなくても良くない?くらいのテンションで言うもんだから、わたしも思わず「ああ、まあ、そうだね」とあいまいに頷いてしまった。そんなふうに適当に受け流した答えが、大きな後悔となるのはよくある話だ。
 同棲を決めた引っ越しからして、そう。家族でなければ入居が認められない物件は、多様性を大合唱する時代でもまあまああった。CMでおなじみの大手住宅メーカーも、ルームシェアに当たるわたしたちは門前払いだった。〈皆さまの快適な暮らしを応援します〉というキャッチコピーは、全員を平等に扱うという意味合いは含まれていないらしい。われわれのお眼鏡にかなった人たちの快適な暮らしを応援します、あくまでも。
 物件を決めてからの住所変更も、そう。変更届に恋人とわたしの名前を書き連ねたら、
「いや、お二人とも世帯主になるんで、二枚別々に書いてください」
 と、苦笑いされた。これはわたしの無知がいけないのだけど、同じ住所を別の紙に書き写すとき、なんだか急にやるせなくなったものだ。
 で、これはもちろん恋人が同性のケースのお話である。恋人が異性であれば、いずれ結婚するだろうということで、案外不動産会社も鷹揚になる……いや、きっと収入が安定していることが大前提なのだろうけど。
 とにかく諸々の手続きで、わたしは恋人との関係に不安を抱いていたのだが、それはわたしだけのようだった。悲劇のヒロインというのは、二人ともヒロインの場合、どちらが請負うのだろう。どうもその適性はわたしのほうにあったようで、楽観的なヒーロー役は恋人となった。
 周りの目が気になる。どっちかが入院したらどうする。葬式のときどうなる。全部含めて、将来が丸ごと不安である。
 ああだこうだと悲観して嘆くわたしに、恋人はいつものんびりと返す。
「誰がなんと言おうと、同じ屋根の下で暮らしてれば家族じゃない?」
 と、これも紅ショウガ付いてなくても良くない?レベルのトーンで言われる。多分、このバランスがわたしたちにはちょうど良くない?だったのであるが、今はそうはいかない。
『同じ屋根の下にいたいよう』
 画面越しに眉を八の字にしてべそをかいている恋人。遠く隔離された真っ白な部屋では、あんなに楽観的だった人もこの様である。病院とはかくも恐ろしい場所である。人格をくるりと反転させる。
 そして、その反転された性分は、外の世界の人間に託される。わたしもまた人が変わったように悲劇のヒロイン役を降りることとなる。
「広い意味では同じ屋根の下でしょ」
『ええ……どういうこと?』
「なんていうか、この広い空の下?」
『屋根じゃないじゃん』
「キャンプみたいで楽しいでしょ。今流行ってるし」
 わたしの受け答えに、画面の中の小さな恋人はいちいち涙ぐむ。『真面目に話してよう』と泣く。わたしはムッとして「真面目だよ」と返す。それでまた泣かれる。
『会いたいよう』
「今、会ってるでしょ」
『そうじゃなくて直接!』
「帰ってきたら会えるから」
『今日! 今、会いに来てよう』
「だから会いに行けないんだってば」
『なんで! どうして! 鬼! 薄情者!』
「家族じゃないからでしょ」
 そこで恋人はぐっと言葉に詰まり、枕に顔をうずめて号泣し始める。ああ、画面からフェードアウトするなよ、とわたしはため息をつく。
 引っ越し。住所変更。入籍。これまで恋人がスルーしてきた面倒な手続きは、暮らしが安定しているときは気にならない。その日一日が楽しければそれでOK。
 そういうのは、非常事態時に牙をむく。面倒くさいと放置していたことが、途方に暮れるほど厄介な化物として現れるのだ。
 だから、この楽観的恋人に頼るのはやめにして、悲観的なわたしはもしもに備えて猛烈に勉強をした。保険。資格取得。パートナーシップ条例。定年無関係の職。遺産相続。
 家族になれないわたしたちが家族になるには、相当な労力が必要なのだ。
『家族……じゃないんだあ……』
 こんなに弱い生き物だったのか、とあきれる反面、わたしは少しおかしくなる。恋人が落胆すればするほど、大丈夫たいしたことないと不思議な余裕が生まれてくる。
 役割は固定じゃない。いざというとき、勝手に入れ替われるものなのだ。
 それに気づいたとき、わたしは再び画面に戻ってきた不細工な泣き顔を小突いてやった。ずいぶん痩せた輪郭を、指でそっとなぞる。あと何年かしたら、温度も画面越しに伝わったりするのかな。
「もう家族だけどね」
 恋人の目からこぼれた大粒の涙を、わたしはそっとすくいあげた。
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