第１話
文字数 1,981文字
随分の前はなし三十代の頃、台湾一混雑する台北駅前の長い陸橋でミサンガを売ったことがある。
90年代急速に発展する台湾を象徴するかのように、台北駅前は地下鉄とショッピングセンター工事の真っ最中。
駅前にぽっかり空いた巨大な縦穴に何本ものクレーンが林立、圧搾機がけたたましく鳴り響き周囲の古いビルを次々と解体。駅から押し出され途切れることのない人の波、バス、タクシーそれにバイクとただでさえ往来が過密な上、地下鉄工事の大型建設機械に埋め尽くされ何もかもが混然一体としていた。
人々の往来を確保するため横幅の広い陸橋が新しくできた台北駅と繁華街を結び、広大な工事エリアの真上にあって長く伸びる。人通りが終始絶えることがない陸橋は、路上の物売り達にとってまたとない絶好の稼ぎ場、煙草や日用品、衣類から文房具、アクセサリーまで様々な商品が売られていた。
そんなある日、寝床である台北一安いとされるゲストハウスに南米ペルーから旅行者がやってきた。
ペルーからのバックパッカーとはこれまた珍しく洗濯場で話しかけると、彼は一介の旅行者ではなく旅する道売りだった。
台北でペルー人の行商人に出会うとは思いもよらなかったが、彼の商品がミサンガだと聞いて納得。地元ペルーで仕入れ旅しながら日本各地で売り歩いたが、すでに日本は競争相手が多すぎて飽和状態とのこと。帰国途中の台湾で在庫をなんとか処分したいが、台湾では日本よりも知名度がなく全く商売にならないとこぼしていた。
Jリーグが創設されて間もない頃、Jリーガーのアイテムのミサンガも大流行。肌身離さず結んでいたミサンガが自然に切れると願いが叶うと言われ、サッカーには無関心だけど何かと願掛けが多い若者にも拡がった。
ただ流されるまま台湾に移り住んで早や四年、何かやりたいこともなくあっという間に歳月が過ぎていった。中途半端な語学力では現地就職もおぼつかず、不安定なバイトの薄給でどうにか四年をしのいでいたが、もういい加減三十歳を超えこのまま流されてもいけない、環境を変えなくてはならないと流石に焦っていた。
日本で流行ったものは必ずと言っていいほど台湾でも流行り、もし新たなアクセサリーとして台湾の若者に火がつけば大儲も夢じゃない。それに願掛け大好き縁起を担ぐ台湾気質とくれば買わないわけがなく、更に道売りに最適この上ない場所まで知っている。
待てよ、これはひょっとすると今の自分を変えるチャンスかもしれない。二段ベッドが隙間なく並ぶドミトリーの薄っぺらな寝床でひとりニタついた。
翌日、帰国直前のペルー人をつかまえ在庫を引き取ってもいいと打診してみると、帰国直前の慌ただしさと少しでも現金をと考えたからかもしれないがほぼ投げ売り同然で売ってくれた。
意気揚々とミサンガを携え陸橋にやっては来たものの、駅前陸橋はただでさえ人通りが多くかつ物売りたちの激戦区、わずかな場所さえ確保するのも難しかった。老練な道売り達が陸橋の最適であろう箇所を占め、商品を広げるや否やあっという間に人だかりができ、新参者のつけ入るスキさえない。生半可な気持ちで始めた人間と違って、最適な場所求め陸橋で道売り達は必死になって先を争っていた。
それでもどうにか場所を見つけ意を決し商品を並べるが、二時間経過しても見向きもされない。同業者でもある隣で靴下売りの男性が唯一興味を示してくれたが、一見してカラフルな編み紐にしか映らず初日は一本も売れなかった。
陸橋にその後も通い詰めるが思ったほどバカ売れするわけでもなく、売れたら売れたで補充する在庫もなく、気持ちもだんだん薄れ、新たな新天地香港へ引っ越すことが決まりそのうちミサンガのことは忘れてしまった。
あれから時を隔て三十数年、地下鉄や高架鉄道、拡張する高速道路、バス専用レーン、地下ショッピングセンターなど、再訪する度に人々の暮らしぶりが確実に豊かになっていったことが実感できる台湾。
台北駅前の巨大な建設現場や長い陸橋はもはや存在せず、取り締まりの警官に追われながら商売していた道売り達の姿はもう何処にもない。いつかは自分の店を持つんだと、陸橋で将来を語ってくれた靴下売りの男性は果たして夢を叶えることができたのか。
常に外圧に脅かされたとえ情勢が不安定であろうと、人々は前を向き何事も好機と捉えリスクを顧みず挑み続け、傷つき壊れやすい人生の多感な時期に有無を言わさず兵役が課せられても、互いに励まし合いひたすら耐え忍ぶ。機転に冴え忍耐強く溢れ出るエネルギーを発散させていた当時の台湾の若者。
現状や既成に決して満足せず何かを闇雲に追い求め近づくだけで熱量を感じ、生きていることを実感させてくれる若者は今もいるのだろうか。
理路線然と立ち並ぶ眩いばかりの高層ビル群を見上げ、台北駅の前で想いを馳せた。
90年代急速に発展する台湾を象徴するかのように、台北駅前は地下鉄とショッピングセンター工事の真っ最中。
駅前にぽっかり空いた巨大な縦穴に何本ものクレーンが林立、圧搾機がけたたましく鳴り響き周囲の古いビルを次々と解体。駅から押し出され途切れることのない人の波、バス、タクシーそれにバイクとただでさえ往来が過密な上、地下鉄工事の大型建設機械に埋め尽くされ何もかもが混然一体としていた。
人々の往来を確保するため横幅の広い陸橋が新しくできた台北駅と繁華街を結び、広大な工事エリアの真上にあって長く伸びる。人通りが終始絶えることがない陸橋は、路上の物売り達にとってまたとない絶好の稼ぎ場、煙草や日用品、衣類から文房具、アクセサリーまで様々な商品が売られていた。
そんなある日、寝床である台北一安いとされるゲストハウスに南米ペルーから旅行者がやってきた。
ペルーからのバックパッカーとはこれまた珍しく洗濯場で話しかけると、彼は一介の旅行者ではなく旅する道売りだった。
台北でペルー人の行商人に出会うとは思いもよらなかったが、彼の商品がミサンガだと聞いて納得。地元ペルーで仕入れ旅しながら日本各地で売り歩いたが、すでに日本は競争相手が多すぎて飽和状態とのこと。帰国途中の台湾で在庫をなんとか処分したいが、台湾では日本よりも知名度がなく全く商売にならないとこぼしていた。
Jリーグが創設されて間もない頃、Jリーガーのアイテムのミサンガも大流行。肌身離さず結んでいたミサンガが自然に切れると願いが叶うと言われ、サッカーには無関心だけど何かと願掛けが多い若者にも拡がった。
ただ流されるまま台湾に移り住んで早や四年、何かやりたいこともなくあっという間に歳月が過ぎていった。中途半端な語学力では現地就職もおぼつかず、不安定なバイトの薄給でどうにか四年をしのいでいたが、もういい加減三十歳を超えこのまま流されてもいけない、環境を変えなくてはならないと流石に焦っていた。
日本で流行ったものは必ずと言っていいほど台湾でも流行り、もし新たなアクセサリーとして台湾の若者に火がつけば大儲も夢じゃない。それに願掛け大好き縁起を担ぐ台湾気質とくれば買わないわけがなく、更に道売りに最適この上ない場所まで知っている。
待てよ、これはひょっとすると今の自分を変えるチャンスかもしれない。二段ベッドが隙間なく並ぶドミトリーの薄っぺらな寝床でひとりニタついた。
翌日、帰国直前のペルー人をつかまえ在庫を引き取ってもいいと打診してみると、帰国直前の慌ただしさと少しでも現金をと考えたからかもしれないがほぼ投げ売り同然で売ってくれた。
意気揚々とミサンガを携え陸橋にやっては来たものの、駅前陸橋はただでさえ人通りが多くかつ物売りたちの激戦区、わずかな場所さえ確保するのも難しかった。老練な道売り達が陸橋の最適であろう箇所を占め、商品を広げるや否やあっという間に人だかりができ、新参者のつけ入るスキさえない。生半可な気持ちで始めた人間と違って、最適な場所求め陸橋で道売り達は必死になって先を争っていた。
それでもどうにか場所を見つけ意を決し商品を並べるが、二時間経過しても見向きもされない。同業者でもある隣で靴下売りの男性が唯一興味を示してくれたが、一見してカラフルな編み紐にしか映らず初日は一本も売れなかった。
陸橋にその後も通い詰めるが思ったほどバカ売れするわけでもなく、売れたら売れたで補充する在庫もなく、気持ちもだんだん薄れ、新たな新天地香港へ引っ越すことが決まりそのうちミサンガのことは忘れてしまった。
あれから時を隔て三十数年、地下鉄や高架鉄道、拡張する高速道路、バス専用レーン、地下ショッピングセンターなど、再訪する度に人々の暮らしぶりが確実に豊かになっていったことが実感できる台湾。
台北駅前の巨大な建設現場や長い陸橋はもはや存在せず、取り締まりの警官に追われながら商売していた道売り達の姿はもう何処にもない。いつかは自分の店を持つんだと、陸橋で将来を語ってくれた靴下売りの男性は果たして夢を叶えることができたのか。
常に外圧に脅かされたとえ情勢が不安定であろうと、人々は前を向き何事も好機と捉えリスクを顧みず挑み続け、傷つき壊れやすい人生の多感な時期に有無を言わさず兵役が課せられても、互いに励まし合いひたすら耐え忍ぶ。機転に冴え忍耐強く溢れ出るエネルギーを発散させていた当時の台湾の若者。
現状や既成に決して満足せず何かを闇雲に追い求め近づくだけで熱量を感じ、生きていることを実感させてくれる若者は今もいるのだろうか。
理路線然と立ち並ぶ眩いばかりの高層ビル群を見上げ、台北駅の前で想いを馳せた。
