第7話

文字数 5,579文字

  ①【社会的要因】「おおらかさ」を失った社会の中での子育て
   今の親たちは、子育てをするにあたり、社会全体を覆う閉塞感の中でおおらかさを失った人々との共存を図っていかなければならない。これが、私が子育てをする上で、最もしんどさを感じる点だ。
私自身、子育てをする中で何度も感じてきたことなのだが、日本では少子化が問題だとこれほどまでに叫ばれていながら、不思議なことに、子供とその親に対するまなざしには温かさがない。特に都市部ではそれが顕著だ。まるで社会の異物か邪魔者のような扱いである。
   子供が小さい頃に暮らした中核都市では、直前までアメリカの田舎にいたこともあってか、特に強く感じた。「子供の足音がうるさい。防音マットを敷いて欲しい」と階下のひとり暮らしの高齢者に言われたこともあったし、散歩中、子供が疲れてぐずるので、強い口調で諭していたら、いきなり通りがかりの高齢者から「そんな言い方をするもんじゃない」と怒鳴られた挙げ句、自分の子育て時代はいかに大変だったかを諭されたりもした。また、住宅地にほど近い場所にある、幾つかのこぢんまりとした飲食店の入り口には「お子様が騒がれる場合には退出して頂きます」との張り紙がしてあった。友達と、子連れで里山に出かけたときにも、周囲に殆ど人がいないにも関わらず、高齢の管理人から「ここでは静かにしてくれ。そして子供から目を離さないように」と注意をされた。その度ごとに、不快な思いをさせて申し訳なかったとお詫びした。ただ、そうしながらも、1つ疑問が残ったのだ。なぜクレームをつけてくるのはいつも決まって高齢者なのか。そこには、かつてのような、人生の労苦を乗り越えた、受け止める存在としてのおじいちゃん・おばあちゃんの姿はなかった。自分が抱える強い苛立ちをぶつけているかのようだった。
   日本の都市部で子育てをしていると、ひどく疎外感を感じる。
   まるで社会の最底辺にでも転落したかの如く感じるのだ。都市部において子育ては、もはや新たな3K仕事くらいにしか思われていない。そして、こんなにも不確実性が高く、将来先細り確実な日本で子供を育てる、まして2人以上育てるなどという非合理的な選択ができるのは、よほどの無能者だけだと思われているふしがある。自尊心を傷つけられる。
それと同時に、子供を、大人の基準に合わせ、完璧にコントロールすることを求められているとも感じる。
   率直に言って、本来猛獣のようなエネルギーを持っているはずの子供たちを、大人の都合に合わせて、どこででもおとなしく静かにいるようにしつけるなど、どだい無理な話なのだ。近年は、公園ですら騒ぐなという、耳を疑うようなニュースも聞くし、同様の理由で保育園の建設計画まで頓挫するという。一体、どうしろというのだ。未来を担う、活力溢れる子供たちに対し、老人になれ、とでも言うのだろうか。子育てから逃げ出したくなる親がいても、何の不思議もない。
   
おおらかさを失った社会からの理不尽な要求に真面目に応えようとすると、親は子供にスマホやゲームを与えざるを得なくなる。特に母親たちは、敏感に周囲の「空気」を察知して、要求に対応しているかに見える。あるいは、お金をかけて、子供を習い事に通わせる必要に迫られる。子供がいつもうるさく、周囲に迷惑をかけ、言うことを聞かないのは、親である自分が至らないからであるので、プロの手に委ねさえすれば、子供は先生の言うことなら聞くし、技能の習得も進む。おまけに親自身も、世の中の冷ややかな目線にも晒されずに済むし、自分の時間も持てる。一石四鳥、というわけだ。
本当にこれでいいのだろうか。


  ②【経済的要因】子育てに「経済」がのめり込んでいる
   「子育てにはお金がかかる」。もはや常識のように言われて久しい。
   古い調査ではあるが、平成22年(2010年)3月内閣府「インターネットによる子育てに関する調査」によれば、家計負担割合が高いと見られる子育て費用は、未就学児の保育費と、中学生の教育費である。令和元年(2019年)10月から幼児教育・保育は無償化されているので、依然として家計負担割合が高いと思われるのは、中学生の教育費である。
   同調査では、高校受験を控える中学3年生では学習塾費が206千円/年・人にも上る。中でも目を引かれるのは、世帯年収別にみた学校外教育費の金額と世帯年収に占める割合だ。年収1000万円以上では316千円とやはり高く、年収に占める割合は(仮に1000万円とした場合)3.2%だが、年収300万円未満の層であっても168千円と、年収に占める割合は(仮に300万円とした場合)5.6%に上る。学校教育費がそれぞれ526千円(5.2%)、198千円(6.5%)で、世帯年収との相関がより強いことを踏まえると、学校外教育費は、その大半を学習塾費が占めるわけだが、本来、学校の勉強さえしっかり理解出来ていれば不要だと考えられるにも関わらず、まるで食費のように、どの年収階層であっても増減が小さく、もはや削ることの難しい必要経費と化しているようだ。
   これは何も中学3年生に限った話ではない。習い事の月謝等は幼稚園に上がる4歳頃から、学習塾費は小学1年生から多くなり始める。合計額は、小学1年生で87千円、小学6年生で162千円、そして中学3年生では234千円に上る。これらは全国の平均値であるので、東京都の影響を強く受けていることは考えられるが、いずれにせよ、特に中学、高校といった進学を控える時期に、子供たちに少しでも明るい将来への切符を渡してやりたい、との親の思いが滲んでいる。
   私の周りを見回しても、子供たちは皆驚くほどの数の習い事や塾通いをこなしている。幼稚園に入る頃には、英語、公文、ピアノ、体操、水泳、書道、バレエ等のなかから2~3個やるのは当たり前のようで、共働きの場合ではほぼ毎日何かの習い事に通わせている家庭も多い。小学校に上がる前には、いわゆるお受験目的の塾に通っている子もいた。

   親たちをこれほどまでに駆り立てるものは何なのか。
   長らく就職氷河期を経験し、その就職にあたっては学歴フィルターなるものの存在が明らかになっている。そして近年は、テクノロジーの進歩、AIの台頭で、MARCH以下の学歴では代替されるリスクがあるとまで言われている。「絶対に子供を負け組にするわけにはいかない」。子供の将来を案じて、必死にならざるを得ないのもうなずける。
   そして、やっかいなのが、少子化の中で先細りせざるを得ない教育産業界の事情である。
   以前のように子供の数が多ければ、ある程度年齢が進んでから生徒を囲い込めば、事業は十分成り立ったのが、これほどまでに少子化が進んでくると、年齢を前倒しして生徒を囲い込まなければ事業が成り立たないであろうことは容易に想像できる。
   その結果、どうしても親の不安につけ込むようにして圧力をかけてくるのだ。郵便受けにはほぼ毎日入塾案内が投函されているし、どこで調べたのか、通信教育の勧誘も郵便で届くことがある。近くの駅近辺を子供連れで歩いていると入塾の勧誘にあう。そして、親を攻めてもどうにもならないとなると、学校付近に押しかけて、下校途中の子供に対してまで勧誘をかけてくる。子供の口から「(塾・習い事に)行きたい!」と言わせれば、親が承諾するであろうことを見込んでのことだろう。
   よほどの信念でもないと、抗しがたく「経済」に飲み込まれてしまうのだ。


  ③【心理的要因】幾つになっても「枯れられない」
   「女性活躍」。「すべての女性が輝く社会」。
   私はどうも、これらの言葉が苦手だ。
   「一体私はいつまで『女』でいなければならないのだろうか。幾つになっても、蝶よ花よではないがキラキラしていないとだめなのだろうか。女は子供を産んでしまえば、枯れて土にかえり、蒔かれた豆(子供)の養分となって生きていくのではだめなのか。」そんな思いに駆られるのだ。

   ここにも、避けがたく少子高齢化の経済的影響が見え隠れする。少子化の影響で働き手が減る一方で、高齢化は進む。政策立案者の意図は、単に支える側の人間を増やすためにとどまらないであろう。なぜなら、直接的な意味で高齢者を支える介護であれば、昔のように女性が家庭内の家事として内製化すればいいだけだからだ。これでは日本のGDPは増やせない。専業主婦の家庭内労働はGDPにはカウントされないのだ(農家の自家消費は立派にGDPにカウントされるにも関わらず)。単に支えるだけでなく、いつまでも経済の表舞台へ出てきて、消費の主体として活躍してもらわねばならないのだ。そして、主婦が家庭内にとどまって行っている家族向けの各種サービスをやめさせ、それらを外注化させることが出来れば、当該産業も活性化する。
   主婦が家族向けに行っている主なサービスは、外注すれば、保育、飲食・宿泊業、掃除・片付けなどの家事代行業、介護、学校外教育業、等、多岐にわたる。これらの業種の担い手は女性が多いと言われるが、見事に、今まで家の中でやっていたことを外でやり始めただけだと映る。
   そして、バブル期の価値観を引きずる、“結婚しようが子供がいようが、いつまでも現役の女としてキラキラしていたい女性”の虚栄心を見事につかむキャッチフレーズだとも思う。家の外にひとたび出ようと思えば、見た目にも気を遣わざるを得なくなるので、服や化粧品、美容代にもお金をかけたくなる。通勤には車が必要になるかもしれない。枯れて裏方に回らずに、いつまでも「女性らしく」「輝こう」とすれば、自ずとお金がかかり、消費は膨らむこととなる。
   中国では、男性の定年が60歳であるのに対し、女性の定年は50歳(幹部職の場合55歳)だという。注6)東洋医学の考え方では、女性は7の倍数で年を取り、生殖年齢の上限である49歳(閉経)で一区切りを迎えるので、それとも符合する。仕事で一区切りを迎えた女性は、今度は孫育てに勤しむそうだ。なかなか合理的な枯れっぷりだと言えないだろうか。

   そもそも「女性活躍」とは何を指すのだろうか。新聞報道を見ると、OECD加盟国の中でも女性管理職や女性役員の登用が進まない、あるいは国会議員の女性比率が低い、などと言われているが、「女性活躍」とはエリート女性の処遇改善を言っているのだろうか。この場合、果たして出産・子育てとの両立は可能なのだろうか。
   私は独身時代、A社の事務系総合職として十数年働いたが、そこでの経験を踏まえると、信頼できる実母か夫による、完全に母親の役割を担ってもらえるほどの、継続的且つ献身的なサポートがなければ非常に難しいのではないかと言わざるをえない。
   A社は、世界中の市場でグローバル競争を繰り広げている。その競合環境は、たとえ業界世界一の実績を上げていても決して安穏としていられるものではなく、新技術の台頭、新規参入者の脅威に晒されながら、常に戦い続けなければならない。これを私のかつての上司は「ずっとオリンピックで金メダルを取り続けるようなもの」と表現した。且つA社の業界は、部品点数が3万点にも及ぶ垂直統合型産業でもあり、川上から川下までのサプライチェーンも幅広く、利害関係が多岐に渡る。従って、ありとあらゆるレベルで緊密な擦り合わせが必要になる。
   こうした環境下に置かれているためか、上司や先輩は、とにかく熱血漢が多かった。仕事に対する熱量が半端ないのだ。特に新入社員から若手の時代に配属された部署ではそれが顕著で、職場はまるで体育会の部活動のノリだった。或いはまさにリゲインのCMを具現化した世界だった。一般職の女性社員が退社する17時頃から職場の空気が変わる。難しい案件をチームで練り上げたり、社内の他部署や海外の代理店との交渉にどう臨むか上司や先輩と議論したり、非常に密なコミュニケーションが取られる。そこにはマニュアルはない。純然たるOJTの形式で、まるで一子相伝のように、暗黙知の形で、仕事にまつわる様々なノウハウや哲学めいたもの、心得が継承されていく。また、仕事が終わった後も、まるで本音でぶつかり合ってついた傷を修復するかのように、今度は飲ミュニケーションでメンバーの結束を図っていく。このようにして、自分と同じ、仕事に対する熱い思い、高い志を共有できると見なされた者だけが、職場での信頼を獲得し、生き残ることが出来るのだ。
   このように、個々のメンバーの高い志と、集団としての一体感・相互の強固な信頼関係が求められる職場環境で、結婚・出産・育児にまつわる一個人の私的事情を持ち込むことは非常に難しい。たとえ職場の上司・先輩の理解があろうとも、集団の利益・結束を阻害する要因になることは目に見えているからだ。かつて所属していた職場、そこでの働き方に誇りを持っていたからこそ復帰できない、ということはあると思うのだ。
   そして仮に職場に完全な形で復帰できた場合であっても、今度は家族という集団、中でも子供との信頼関係をどう構築し維持していくかが非常に難しくなる。子供たちは、小学生になった今でも、毎日のように「母ちゃん大好き」と笑いかけてくれる。そして何かにつけ「抱っこ~」と寄ってきて、抱っこすると何とも言えない安堵に満ちた表情を見せてくれる。豆である子供たちから土を奪うことは、決してあってはならない。
   私は常々、日本において仕事と家庭の両立が、欧米諸国と異なり難しいのは、個人と集団との間に軋轢が生じやすいためだと考えている。

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  • (1)はじめに

  • 第1話
  • (2)子供たちの現状

  • 第2話
  • (3)親たちの現状

  • 第3話
  • (4)違和感の根底にあるもの---40年前の子供時代を振り返る

  • 第4話
  • (5)人々の意識の転換点---1980年代後半から1990年代前半に起きたこと

  • 第5話
  • (6)経済・社会不安に覆われる中で---個人主義の先鋭化

  • 第6話
  • (7)現在の子育てで感じるしんどさについて

  • 第7話
  • (8)子供たちの抱える苦しみを考察する---親のしんどさはどう子供に影響するか

  • 第8話
  • (9)子供たちの苦しみを救う手がかり

  • 第9話
  • (10)おわりに

  • 第10話
  • 注記

  • 第11話

登場人物紹介

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