終編

文字数 6,332文字

「由伸……っ!」

嬉しそうにはにかんでアンタは笑った。


その顔を見て、俺は無意識に動いていた。


アンタはいつでも俺に微笑む。
その無垢さが俺には言い様もなく居心地が悪かった。

白む空の中あの街を後にした俺達は、一つのところに長居する事なく移動を繰り返して生きた。
その短い滞在になる街で、お前は小さな白い花を俺が捨てたワンカップの瓶に生けた。

「くだらない事をするな。」

「くだらなくないさ。綺麗じゃないか。」

そう言って大事そうにそれを握りしめ、顔に近づける。
目を瞑り、その香りを楽しむようなお前に、俺は言葉にできない不安を覚えた。

まるで掃き溜めの鶴だ。

白く無垢な小さな花。
生けられた飲んだくれのゴミ。

まるで自分たちを表しているようだと思った。

クズはどこまで行ってもクズだし、無垢なる美しいものはどんなところにあろうとも美しいのだと。
大きな緑の葉に隠れるように鈴なるその小さな花は、控えめなお前によく似合っていた。

「……何て花だよ、それ。」

「ん?すずらんと言うんだ。可愛いだろう?」

「男二人の汚ねぇ雑魚寝部屋には似合わねぇけどな。」

呆れてため息をついた俺をお前は笑った。


どうして……。

どうして、お前はそうやって微笑むんだ?


どうして俺の傍らにいるんだ?
お前の頭なら俺から離れてやり直す事も容易いはずだ。
なのにお前はそうしない。
俺の助けなどとうに必要ないはずなのに。

「……園田。」

「何だよ。」

「もう一度、あそこに行こう……。」

訝しむ俺にお前は微笑んだ。
思えばあの時からお前は少しおかしかったのかもしれない。

小園家の隠し財宝。

俺達を繋いだ秘密。
その謎をお前はとうとう解いて、それが目の前にある。
あのトンネルは、この部屋を開ける為の仕掛け部屋だった。
光輝は導き出した数字からいくつかのレンガを選んで外した。
そしてトンネルへの入り口とは別の隠し扉が開いたのだ。
その小さな隠し部屋は案外こざっぱりしていて、書類の類が多い気がした。
金塊でも積んであるのかと思っていた俺は少し拍子抜けした。

お前は呆然とその部屋の中に入り、手に持つ明かりで中を見渡す。
そしてその中でやっと正気に戻り、俺の名を呼んで、少し勢いが余ったのか小走りに近づいて来た。


どうしてそうしたのか俺にもわからない。



「……よ、しの……ぶ……?」



微笑んでいたお前の顔が、虚を突かれたように変わった。
響いた破裂音。
手に慣れない痺れが走っている。
そこから硝煙のきな臭さが立ち昇っていた。

「……どう、して……?」

唖然と俺を見つめながらお前はそう言った。
ゆっくりと胸を押さえる。
起きた事が信じられなかったんだろう。

正直、俺もよくわからないんだ。

「……馬鹿だな。謎解きに俺は必要なかったのに、同行させたお前が悪い。」

がくん、とアンタは膝をつく。
安っぽいドラマのワンシーンみたいだ。

「何故……?」

「悪いな、光輝。俺みたいなチンピラにゃ、アイツらから完全にお前を助け出すには力不足だったのよ。お前に近づく為にはまず、アイツらに近づく必要があった。何しろお前は生きてる事にはなってるが、病気の為、アイツらが変わりに財産管理をしているって事になってたからよ。生きてるか死んでるかは半々ぐらいだと思ってたよ。だが、アンタは生きてるってわかった。そこで俺はアイツらの裏をかいて、どこにいるのかもわからねぇお前を連れ出さなきゃならなかった。それにはアイツらの目をくらます餌が必要だった。わかるな、光輝。お前ならこの先は話さなくても。」

俺の言葉に光輝は微笑んだ。
口から血をこぼしながら、寂しそうに微笑んだ。

俺は顔を顰めた。
頭のどこかでそんな顔が見たかった訳じゃないと言い訳した。

「俺には2つの顔があった。一つはお前の知る、爺さんからお前を託された俺だ。そしてもう一つは、お前を泳がせ財宝を探させるアイツらのスパイとしての顔だ。」

「……知って、た……。」

「だったら、何で今更、ここに来た?光輝?」

「……君の、真意が知りたかったんだ……由伸……。」

光輝は微笑んだ。
いつもの様に俺に微笑んだ。

そしてバタンと倒れて動かなくなった。

俺は力なく握っていた短銃をその場に捨てた。
弾はまだ入っているだろうがどうでも良かった。

アイツらに渡された物など、あの日、あの部屋に置いてきてしまえば良かったのだ。
なのに俺はそうしなかった。
お前の目を盗んでそれを隠し持った。

「……あの時、すでに俺の答えは出ていたのかもな……。」

動かなくなった光輝をただ見つめる。

胸ポケットを漁ったが煙草は見つからない。
諦めてなんの気なしに周りを見回した。
目に飛び込んできたのは、この部屋が見つかったら乾杯しようとお前が言っていたコーヒーのポットだった。

焦げ臭いような不思議な薫りの琥珀色の飲み物。

おそらく光輝が幼い頃、周りの大人が飲んでいたのだろう。
そこに憧れや夢や思い出や温かな日常があったのだろう。

せめてもの弔いか。

俺はその蓋を開けた。
嗅ぎなれないその香りがふわりと立ち上る。
俺はその中蓋と外蓋にその澄んた褐色の液体を注いだ。
その片方を動かない光輝の傍らに置いた。

「……乾杯……いや、献杯か……。」

俺はそう言って、酒を飲むようにグイッと飲み干した。

「……苦!!何だこれ?!匂いはいいが何だこれ?!」

思わず素でびっくりした。
見た目もこんなに黒くて変な飲み物だと思ったが、味も変だ。
渋いお茶を飲んだように、俺はペッペッと舌を出した。

「……金持ちってのは……変なモノを飲むんだな……。」

そして少しだけ光輝を眺めた。
そこにあるのは死体なのに妙に美しかった。

お前は狡い男だ。
散り際まで美しいなど、桜ぐらいだと思っていたのに。

これでよかったのだ。
どうしてだか気持ちがとても落ち着いていた。

「……誰かにやってしまうくらいなら、か……。」

そんな事を思い、卑屈な笑みを浮かべる。
アイツらに言われたのは、財宝を見つけたら銃で脅してお前を連れてこいと言うことだった。
殺せなんて事は言われていない。

だが光輝。
お前は俺が苦労して羽化させた蝶だ。

その美しい羽をむしられ、光の届かない所に鎖で繋がれる事を知りながら、お前をアイツらに渡す気は毛頭なかった。

けれど俺にはその蝶を守る力もなかった。
なかなかお前を連れてこない俺に、アイツらは罰を与えた。
そして逃げられないのだと脅した。
このまま嬲り殺されてお前を奪われるか、財宝を見つけ出し、ほんの僅かな謝礼と引き換えにお前を渡すか選ばされた。

「……だがな、俺はクズだ。お前も財宝もアイツらに渡す気はねぇんだよ……。」

お前は俺の生きる為の灯火だ。
諦めてしまいたいくらいの絶望の中で、いつも光り輝いていた。

だから生きた。
必死に藻掻いて手を伸ばした。

だが……。

いざそれを手の中に持ってしまった時、俺は戸惑った。
それがあまりにも光り輝いていたので戸惑ったのだ。

こんなに光り輝くものを自分が手にしていいのかわからなかった。

それは不安に変わり、不安は不信に、表現できない苛立ちに変わった。
お前が輝けば輝くほど、自分の醜さを露呈している気がした。
強い光は濃い影を生むのだ。
俺はお前に照らされながら、長くて黒々とした影を背負った。

それが苦しくて、何度もその光を壊してしまおうと思った。
でもできなかった。

お前は無垢すぎて、俺にはできなかった。

なのにそんな俺にお前は微笑む。
柔らかく全ての罪を許す様に微笑む。

それに救われ、そして殺された。

俺はどうしていいのかわからなかった。
爺さんにお前を託された俺でいたいのか、それともチンピラらしくお前をアイツらに売ればいいのか、それすらわからなかった。

何でお前はここに戻ってきた?
何でお前は謎を解いてしまった?

あのまま当て所なく彷徨い続ける生き方では駄目だったのか?

何でお前は俺の傍らにいた?
お前の頭なら、俺などいなくとも生きるのに困らなかったはずだ。

「……何でだ、光輝……知っていたなら、何で俺の側にいた……。さっさと消えてくれれば良かったのに……。」

胸焼けして吐き気がした。
意識していなかったが、罪の意識というヤツだろうか?
そんな自分を薄ら笑う。

「……飲みなれねぇモンは飲むもんじゃないな。」

それをコーヒーのせいにする。
ズキズキと心臓が痛む。
随分と傷心なんだな、お前を殺したぐらいで……。

でもこれで、お前を誰にも渡さずに済む。
誰かに売る事も、アイツらの手に渡る事ももうない。

お前はここで、秘密の財宝と共に眠るんだ、光輝。
永遠に……。

俺はこの部屋を、この場所を、二度と開かないようにするつもりでいた。
財宝などクソ喰らえだ。
俺にとっての宝はもうとっくに見つかっていたんだから。

アイツらは諦めないだろう。
そして俺を追ってくる。
どこまで逃げれるかはわからない。
だがお前とお前の財宝を追ってくるアイツらを、俺は引っ掻き回してやる。

それが新しい俺の生きる理由になる。

お前の受けた苦痛の仕返しになるかはわからないが、結局はお前も財宝も手に入れられないのだからいい気味だ。

「宝は誰にも渡さない……俺のモノだ……。」

俺の宝……。
誰にも渡さない……。

お前は俺だけの蝶なのだから。

そう思い、立ち上がろうとした。
だができなかった。

「?!」

動いたせいで悪心が強まる。
思わず蹲って嘔吐いた。

何だ……これは……?

どうもおかしい。
光輝を殺してしまった事から精神的に参っているには行き過ぎてる。

ドドドッと妙な鼓動。

頭が痛い……。



「……だいぶ効いてきたみたいだね、由伸。」

「?!」



そう、声がした。

吐き気と頭痛、動悸でふらつく顔を上げると、動くはずのないものがムクリと体を起こした。
俺を見つめるその顔は、いつもの様に微笑んでいた。

「……こう……き……。」

「うん、ここにいるよ。由伸……。」

その無垢な笑みは、あまりにも無邪気で寒気がした。
そして回転の悪い頭をどうにか動かして、そして理解した。

「……コーヒーか。」

「うん。」

「はは……ザマァねぇ……。」

「掛けだったんだ。君がどこを撃つかも、コーヒーを飲むかも、全部掛けだったんだ。」

そう言って笑う光輝に俺はニヤッと笑ってみせた。
床についた手が震えている。

全部掛け。

なのにそれに見事に引っ掛かるとは、自分の安っぽさに笑うしかない。

「……どこから気づいてた……?光輝?」

「言っただろう?全部だよ、由伸。全部知ってた。」

「全部……か……。」

「うん。君が小園と通じている事も、あの日、小園に暴行された事も。……傷を見てすぐわかったよ。アイツらのやり方は吐き気がするほど僕はよく知ってるからね。」

「……なるほど、な……。」

「君がアイツらに銃を渡されてる事もあの家にいる頃から知ってたよ。弾を抜いておこうかとも思ったんだけどね、そうすると君が疑心暗鬼になるだろうからやめておいた。」

光輝はいつも通り微笑んで俺に語りかけていた。
今となってはそこに隠されていた無垢という狂気に気づくが、俺はずっと光輝の持つそれに気づかなかった。

「でも、防弾チョッキを着ていても、痛いね、これ。距離も近かったせいか、肋が折れたかもしれない。」

俺はクッと笑った。
手に力が入らなくなり、そのまま埃のたまった床に突っ伏した。

「毒を盛るって難しいんだ。無味無臭のモノならともかく、植物から取った毒とかは基本苦味があるからね。」

「……あの……花か……。」

「うん。すずらん。綺麗な花には棘があるって言うだろう?」

その言葉に酷く納得した。
どうやら綺麗なら綺麗なだけ、強い毒を持つようだ。

ヒューヒューとした呼吸。
自分の事なのに他人事の様に感じる。

「…………残念だよ、由伸。君なら信頼を示してくれると思ったのに……。」

そう言われ、どうにかこうにか力を振り絞ってその顔を見上げた。
少し寂しそうに笑う顔に俺は全てを悟った。

そういう事か。
全て謎掛けのようで、言葉通りだった。

俺はコイツに……光輝に、信頼を示さなければならなかったんだ……。

沢山の選択肢と迷いと愛憎の中、俺は信頼を示さなければならなかったんだ。
全ての中から俺は選ばなければならなかった。
お前に……信頼を選ばなければならなかったんだ。

「……僕は……君がいればよかったんだ……。由伸……。財宝なんか欲しくなかった……君の信頼が欲しかったんだ……。」

俺は何も言わなかった。
言えるような状態じゃなかったからでもあるけれど。

「君が信頼をくれたらそれでよかった……他には何もいらなかった……。その先の事なんがどうでも良かった……。二人で根無し草のようにずっと放浪したままでよかったんだ……。」

お前にとって、俺は何だったんだろうな、光輝。
今となってはそれを知る由もない。

「真の価値ある財は金にあらず。決して揺るがない信頼を分け合う者こそがそれである。……これが家督を継ぐ者に、この財宝の存在と共に教えられる言葉なんだ……。」

静かな隠し部屋に響く、カナリヤの声。
その歌を誰が聞いているのだろう。

「……この財宝もね、確かにそれなりのモノがここにはあるんだけどね……。お金は人を変えるから……自分の隣にいるその人が……それを前にして信頼を示せるかを知る為のモノなんだよ……。」

そう独り言のように呟く。
そしてじっと床に倒れ込んだ男を見つめた。

「……由伸?」

不思議そうに首を傾げた。












光輝はゆっくりと床に倒れる由伸に近づいた。
そして呼吸と脈をみて、ああ、と小さく呟いた。

「……基本的には毒殺はなかなか上手く行かないものなんだけどね……。ましてや植物毒は調整が難しいし、苦味で吐いてしまう事が多いから……。」

中毒症状は重篤になるのが関の山なのだが、希に死ぬ人もいる。
そっと床に倒れる男の髪を撫でた。

「……君は自分では気づいていなかったけれど……本当に綺麗な人だね、由伸……。あんな掃き溜めに生きていたのに……この程度の毒に少しの耐性もないなんて……。」

迷いながら、苦しみながら、それでも真っ直ぐにしか生きられなかった人。
欲望の渦巻く人々の中で生きてきた光輝には、眩しいくらい真っ直ぐで純粋な人だった。

「……君の隣で生きていけるなら……僕は何もいらなかったんだ……。その為には何を犠牲にしても構わなかったんだ……。」

でも、君は純朴すぎた。
純朴すぎる故、世の中の汚さにあがないきれなかった。

「……僕じゃ、君の支えにはなれなかったんだね……。僕は君と違って醜いから……。」

自分に流れる血は、世の中の汚さを凝縮している。
人の抱く欲望を飲み込み、吸収してしまえる。

「僕は……君を試した……。君がどれだけ悩み、傷つき、苦しんでいるか知っていたのに……。その上、望む答えをくれなかったら罰を与えようなんておこがましい事を考えつく、汚い人間なんだよ……由伸……。僕はアイツらと変わらない……卑怯で薄汚く、自分本意な身勝手な人間なんだよ……。」

だから罰を受けた。
大切な大切なその人を死なせてしまった。

「……僕が、君を殺したんだ。由伸……。」

唯一見つけた、穢のない魂を。
誰よりも信頼を得たかったその人を。

君の信頼を得られなければ、世の中にはもう、信頼できるものは何一つ残されてはいない。

「……この先、僕は人を本当に信頼する事はないよ……。自分自身も含めてね……。」

そして立ち上がると、いくつかの書類を手にした。
それだけあれば、光輝には十分だった。

「……これは単なる八つ当たりだけど……君を脅して傷つけ、不安を与えたアイツらから全部、奪う。そして君を大切にしなかった君の家族にも挨拶をするよ……必ずね……。」

それを懐にしまうと、冷たくなり始めた由伸を背負った。

「……君は僕のものだよ、由伸。僕が君のものであるようにね……。これからもずっと……。」

そう呟いて微笑む。
思っていたより軽いなと、妙な事を考えた。
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