第1話

文字数 5,749文字

初めに説明しておかなければいけないのは物事にはいつも何種類かの見方があるってことだ。物事の日向と日陰、海と川の境界線、自分か他人、世の中のほとんどの物事は白と黒や、二十歳以上かそれ以下かのように明確な基準をもって分け隔てられるものではないんだ。それはどんな意味においても。だから君は物事のベイグな部分を自分の頭で考えて正しい選択をできるように判断していかなければいけない。与党を信じるのか野党を信じるのか、どこまでが合法でどこからが違法なのか、何もそれは政治や法律のような些末事に限った話じゃない。もっと本質的で、超自然的なものの価値観の話だ。その枝分かれのような時点は君のこれからの人生の中で何度もやってきて、鋭い刃物を君の胸に突き立ててくるだろう。それから君は逃れることができない。時には進むべき道とはかけ離れた選択をして、自分や他の誰かを傷つけることもあるだろう。恐怖心やほんのささやかな怠惰で判断を先延ばしにして機会を逃してしまうこともあるだろう。その度に君の胸に当てがわれた刃は柔らかい肉を裂き、刃先を温かな血で濡らすだろう。君は声をあげることもできずにただ、体に浸透する異物を受け入れなければいけない。でも安心してくれ、君が道を誤ったところでそれは絶望や死をもたらすような破滅的なものでない可能性もある。未来のある時点から過去の自分の選択を正解にしてしまえばいいんだ。仮にそれが間違いだと気付いてもあとからそれを微修正してやって、元からそこに超然と存在していたかのようなフリをすればいいんだ。それは疑いようのないものだと、イデアそのものだと、周りの全ての人間に信じさせることができれば、君の選んだ誤りは祝福され、認められる。物事はベイグなのだから君が見つけた黒を薄めてグレーにしてしまえば、それが元は白かったか黒かったかなんてほとんどの人間には分かりっこないし、呆然と生きている人間のほとんどはそれが目の前のそれが過去に何色をしていたのかなんてことに気にも留めないだろう。今どうなのかにも注意を払えない連中なのだから、実際は。ただ君自身はその元の色を決して忘れてはいけない。どれだけ周囲の人間に元は白だったと信じ込ませたとしても君自身をも欺いてはいけない。それは元は黒で、自分の手でグレーに塗り替えたのだと、そしてすべての人がそれを元は白かったと言っているのだと。君自身がその事実を忘れたりなんかしてしまえば、それは大きな喪失に繋がる。具体的に何が失われるのかについてはここで上手く伝えることはできない。誤解しないでくれたまえよ、決して思わせぶりや、嘘なんかじゃない。その何かは確かに実在するんだ。しかして、それがなんであるかはその時々で全く変わるんだ。それが正義感であるという人もいれば、自我であるという人もいる。それが愛だと表現する人もいる。本当に十人十色なんだ。だからかくあるべしということは残念ながら伝えてあげられそうにない。でもこれだけは言える。自分に嘘をつき、それが嘘であることに気付かないなんてこれ程までに愚かなことはこの世の中にそうそうないってことだ。どんな意味においてもね。そのことは忘れずにいてほしいんだ。これから君は何度も生きる為に嘘をつくだろうし、この世界に生きていく以上それは必要不可欠なことだろう。それは僕自身の経験からも間違いない。日に百も千も嘘をついて、勤勉に働かなければいけない。それは些細な嘘や小手先の技術なんかじゃない。もっと根深く、もっと邪悪な光を持った、生まれたてのマグマみたいな嘘だ。絶対に見透かされてはいけないし、決して他人にひけらかしてもいけない。嘘をつく君と、つかれる誰かの二人だけの密約だ。きっとこういうことは経験があるだろうけれど、秘密というものはそれを知る人数が増えれば増えるほどその本質の価値は劣化し、実情は変形していってしまう。僕たちの仕事にそんな落ち度は許されないんだ。常に新鮮で、誰にも見破られないような斬新な欺瞞を生み出し続けなければいけない。それこそが僕たちのアイデンティティだと言ってもいい。そのことは君もわかっているだろう。繰り返しになるが、自分のついた嘘に騙されるな。

P・S ナポレオンによろしく。彼はこの世界では掛け値なしに一流と呼ぶべき存在だ。




先生の葬儀は想像の何倍も大規模なものだった。生前の彼をどこまで知っているのか、参列者には市議会議員や、教育委員会の役員、カトリックの司祭や医師会の会長まで名だたる地元の著名人たちが押し寄せてきた。司祭がミサなんかの畏まった際時に被る円形のカロッタを身に着け、お焼香をする姿にはいかにも宗教に関心がない(よく言えば多様性を重んじる)この国らしい情緒のようなものさえ感じられた。
二百人を超える参列者たちは皆思い思いに生前の彼との思い出を口にして、中にはむせび泣くものもあった。受付所で入場拒否にあった暴力団関係者などは持参してきた刃渡り三十センチほどの腰差しを腹に当て「今お供します」と叫びながら自刃しようとしたほどだった。あいにく自殺は偶然二人前に並んでいた大工の棟梁の手によって羽交い絞めにされ、未遂に終わったけれど、もしかしたら既にどこかでひっそりと先生の後を追っているかもしれないと思うと私は不思議な気持ちになった。
モスグリーンのパイプ椅子の上で先生の奥さんの喪主挨拶を聞きながら、私はこの儀式そのものが彼のついた一世一代の嘘のような気がしていた。それは実際何かの象徴のように便宜的に執り行われたもののように思えたし、厳かな雰囲気を醸し出す陳列者のほとんど全員が厳粛と言う名の面を被っているだけで、薄い面をとってしまえば例外なく笑っているようにも思えた。死さえも嘘として二百人分の仮面を両手にぶら下げ、今にも先生はこことは交わらないどこか特別な世界でうすら笑っているような気さえした。さらに言えばその一世一代の茶番のトリックに気付いているのは何万人という彼の知人の中でも私一人だけのように思えた。それは幾分心地の良いものだった。
「自分のついた嘘に騙されてはいけない」先生、私だけは騙されてはいません。あなたのユーモラスな嘘に今日もまた大勢の人間が騙されていますよ。あなたはやはり一流の詐欺師です。嘘で人を悲しませ、ともすれば死に追いやるなんてあなたにしかできない芸当です。そう伝えてあげたかったが、お焼香の時に間近で見た彼の顔に訴えかけても先生があの悪戯な顔でにやりと笑うことはなかった。
通夜は三時間ほどで終わり、参列者のほとんどがセレモニーホールの二階に用意されている宴会場に上がって、引き続き彼の死を偲んだ。先刻まで空をほんのり赤く染めていた秋の夕日は遠く西の山向こうに沈み、タールを一面にぶちまけたようなベッタリとした曇天が闇夜に広がっていた。
五十五歳とは微妙な年齢だ。私は人生の中で何十という葬儀に参列した。
それは多くの場合、私にとっては仕事のタスクの内の一つだったが、どれも悲しい葬儀と言うわけではなかった。故人の半分は老衰か、ほとんど老衰に近い年齢で病死した人で、往々にしてそういう葬儀は「大往生だった」「安らかに死ねてよかった」などと、送る側に理由を与えるもので、葬儀後の会食も久方ぶりの親族の集いと言うような体裁になるものだった。
子供の葬式は最悪だった。高校生のバイク事故、六歳の小児癌患者、どれも例外なく誰かがもしくは何かがおかしくなった。半狂乱で小さな遺体にすがる母親、声にならない声でむせび泣く兄妹、何かを呪うかのように参列者を睨みつける親戚家族、まるで死そのものを受け入れなければその事実さえもグレーソーンにできて、死んでいるか生きているのかわからない曖昧な場所に我が子、我が兄妹を安置しておきたいという願望のようにも感じられた。
先生は極めて中立的な立場だった。半狂乱になる人はいないまでも、決して大往生と言い切ることができるほどには腑に落ちていない。グレーゾーンだ。悲しんでいいのか、安堵していいのか決めかねている参列者で囲まれた会食の会場は、分譲マンションの投資説明会のようだった。一蓮托生する最後の決め手が見つからないという顔で銘々のグラスにインプットされた作業のビールを注いでは注がれたミルクを惰性で舐める猫のように舐めていた。あるいは先生が一歳でも若ければ、歳をとっていたら決定打は出ていたのかもしれない。五十五歳という年齢の持つ微妙な駆け引きが私にわかれば、どんな顔をして、どんな話を振ればいいのかがわかったのかもしれない。
それは悪魔の照明に他ならなかった。彼はこれ以上老いも若返りもしないのだ。
ナポレオンと呼ばれる男は葬儀には現れなかった。正確には多分現れなかった。
先生は死ぬ前の週、私の手を取って「私に何かあったらナポレオンという男に連絡を取りなさい。彼には私の全てを与えている。それからは彼が君の一切合切を受け持ってくれるでしょう」と言い残した。私はそれを新宿の喫茶店の喫煙席で聞いた。テーブルに置かれたシルバーのトレイには丁寧に並べられたマルボロの吸殻が手入れをされたベージュ色の薬莢のように積み上げられていた。私たちの注文したコーヒーカップはとっくに空になり、白いカップのそこでついさっきまで私の口に入っていた何かが黒く乾き、へばり付いていた。
先生は仕事を通してあらゆる方面の知人を紹介してくれたが、聞いた名前の中にナポレオンという名前は思い当たらなかったので、私はどうやって彼を知ればいいか尋ねた。
「時が来れば彼の方からやってくるでしょう。そして、君は彼の人となりを知らずとも出会えばそれが誰なのかわかるはずです」
先生の言葉は概念のように聞こえた。常にその言葉はある境界線以上であり、別の境界線以下の一定の範囲の中にあるものだとでも言うかのように。
私は彼が彼であることの判別が付けられるか不安になり「もしそれがナポレオンその人だと分からなければどうしましょう」と尋ねた。ナポレオンという名前が呼び名なのか、それとも形容なのか、情報は何も与えられていなかった。
先生は私の問いには答えずに黙って指先に挟まれたマルボロをトレイの淵に置き、目を閉じて狭い店内の隅で吊るされたスピーカーに目を向けた。
「この曲はなんでしたか? この歳になると段々とものを覚えられなくなってきてね。昔よく聴いた音楽や、見た映画のタイトルなんかが思い出せなくなるのです。君にもそういう経験はありますか?」
先生は目を閉じたまま、煙草を差していた手で後頭部の辺りを掻いた。
「アップ・ウェア―・ウィー・ビロングです」
私はジャケットの胸ポケットからラッキーストライクを一本取りだして火をつけた。乾いた草が燃える音がして、それからゆっくりと胸一杯に煙を吸い込んだ。
「そうでしたね。あれは名作でした。ところで君はこの映画のタイトルがなぜ『愛と青春の旅立ち』という邦題で世に売り出されたのか知っていますか?」
目を閉じたまま先生は先の短くなったマルボロを手に取り長く吸い、吸ったのと同じだけ長く吐いた。喫煙席には他に客はいなかったが、狭い店内の狭い一角は二人の吐く煙で瞬く間に靄がかかったように白く濁った。
「映画の内容に沿った邦題を付けようとしたんじゃないでしょうか? 八十年代の映画はどれもタイトルに愛や恋なんかの安直な言葉を付けたがっていたのでしょう」
私は質問を蔑ろにされたやるせなさから幾分ぶっきらぼうに答えた。先生は閉じていた目を開け、私の吐いた煙の上る先を遥か上空を飛ぶ旅客機の航路を占うかのようにぼんやりと眺め、煙の向かう先にゆっくりと自分の煙を重ねて吐いた。
「ある意味では正解です。しかし、ある意味では不正解と言わなければいけません。これはあくまで想像力の問題なのですよ、カツミくん。君はこの映画が作られた時にまだ生まれてないでしょうが、それはここでは関係のないことですし、この映画以外の他の映画にどんな邦題がラベル付けされていたのかもまた本質からは大きくかけ離れています。君はこの映画を見たことがありますか?」
私は先生の出す問題の意図がわからず、またぶっきらぼうに「あります」とだけ答えた。
「だとしたら君にもちゃんと解答権はあったはずです。映画のストーリーを思い浮かべて、答えを導き出すのです。君はこの映画がリチャード・ギアとデブラ・ウィンガ―が演じた八十年代のありふれたラブロマンス映画だと定義付けるのですか? もしそうであるなら君の答えは正解になるでしょうが、私としては違う意味で君に失望しなくてはならなくなります」
先生は赤と白の箱を上着のポケットに仕舞い、私の目をまっすぐに見た。白髪の混じった髪は規則正しく額の中心で分けられ、前髪の間から覗く目には独特の凄味があった。
「複雑な家庭環境を抱えた若い空軍の訓練兵たち、愛を知らずに育ってしまった十代の悲劇、そんな彼らを癒す貧しくも尊い女工たち。それらを分けて邦題と結び付ければ君なりの定義付けがこの映画の邦題にもできるはずです。同じことを何度も言うのは私の信条には反しますが、自分の中の答えを探し続けなさい。それを答えにするのです」
先生のもとで働き始めた時に最初に言った言葉だった。「自分の中での答えを世の中の答えにしなさい」それは抽象的な表現や、世の中を漂う漠然とした概念ではなく言葉通りの心理だった。それは解釈の余地を許さない全ての理の定義であり、私が仕事を進める中で確実に守らなければいけない規則の一つでもあった。
「ではナポレオンが何者かは私自身で決めろと、そう言うのですか」
先生は再び目を閉じ、空のコーヒーカップの淵を指で撫ぜた。
「君がそう思うのであれば、それを答えにしなさい」
それから濁りを失った息を大きく吐いて付け加えた。「人から与えられたものなど所詮答えになりはしないのですから」
先生が与えてくれたものの中で曖昧なものは何一つなかったが、それでいて完全なるものは何一つなかった。ナポレオンを探すという命題だけを私の脳に、体に焼き付け、彼は人生の幕を何者かによって閉じられた。
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