CASE2

文字数 12,680文字

「次の悪魔祓いはいつ?」
悠一は月字教会聖堂の最前列で、祭壇を掃除中の神谷と話している。二人の他には誰もいない。悠一は神谷がバチカンから帰って以来、ほとんど毎日のようにここに通っていた。
もちろん、話し相手の神谷がいるから通っているわけだが、月字教会自体も気に入っていた。この教会はどこか凛と、それでいて心安らぐ空気を孕んでいる。
早見沙織のケースの後、悠一は2件のエクソシズムに立ち会った。どちらも取り憑いていたのは低級な悪魔だったらしく、神谷が苦戦することはなかった。早見沙織に取り憑いたウコバクの力が大きかったことを、ようやく悠一も理解した。
「今のところエクソシズムの予定はないよ」
神谷は教壇を拭きながら答えた。
「そっかー。残念」
早見沙織のケースは、結果的に悪魔を祓えなかったわけだから記事にはできなかった。その後の2件を記事にしたのだが、これは首尾よく雑誌掲載に漕ぎ着けることができた。
「なあ、これを見てくれるか?」
悠一はおもむろに持っていたスマホを神谷に渡した。神谷がそれを無言で覗く。
杉田智和という中年男性のインスタグラムだった。
『悪魔のおかげでウハウハ!』
メッセージに添えられた写真に写るのは、痩せた男が紙幣を両手で扇状に広げている姿。顔は満面の笑みだった。ただし、肌が土気色で目の下のクマが酷く、およそ健康的には見えない。
「なんか取り憑かれてそうだろ?」悠一がニヤリとして言った。
「なんか取り憑かれてそうだね」
「今時、『ウハウハ』っていう言葉遣いも、やっぱり悪魔のせいかな?」
「いや、それはこの人の個性でしょーー。『悪魔のおかげで』って、どういうことだろう?」
「こいつブログもやってんだよ」
悠一は神谷の手からスマホを取り、別のページを開いた。
『悪魔の助言で負け無し丸儲け』というタイトルで株式投資の方法が書かれている。しかしその内容は企業分析でもテクニカル分析でもない。ウィジャボードだ。
ウィジャボードとは西洋降霊術のひとつで、日本で言うところの“こっくりさん”に当たる。
『詳細を知りたい方は連絡ください!』とあったので、悠一は早速メールを送ってみた。
ピロリンーーと神谷が掃除を終える前に着信音が鳴る。
『指定する口座に5万円を振込んでいただければ方法をメールで送ります』
「お金を取るんだね」神谷が溜息をついた。
「ま、今時は何でも商売になるからな。どうする? 放っておくか?」
「いやーーそうもいかないでしょ。やっぱり」
「じゃあ、とりあえずコンタクトを取ってみるか」
『ウィジャボードというのがよくわからないので、出来れば会って説明してもらえないでしょうか?』と返信。
『ご心配不要です! 懇切丁寧にご説明するので、必ずお分りいただけます!』
レスポンスが早い。今ちょうどパソコンに張りついているようだ。
「こいつ、依頼者と直接会う気は無いんだな」
「どうしよう?」
「女を使っておびき出してみようか?」
「そんなの上手くいくの?」
「見てみろよ」悠一は別の日のインスタグラムを開いた。女子高生に囲まれた杉田が、ご満悦でダブルピースしている。
『近所で買い物していたら、なぜか女子高生と仲良くなりました! これも悪魔のおかげ!』
「今時、ダブルピースしてるのも、やっぱり悪魔のせいかな?」
「いやいや、それもこの人の個性でしょ」
「こいつ、橋の向こうらへんに住んでるみたいだな」
このあたりで“橋の向こう”と言えば、佃、月島、勝どきといった、江東区周辺を指す。写真には豊洲のららぽーとが写っていた。
「女を使っておびき出すなんて……、一体どうやって?」
「しかも奴は女子高生好きときた」
「もしかして悠一……」
「そのもしかしてだよ」

「ーーというわけで、よろしく頼む」
悠一が笑顔で説明を終えた。
「はあ? 何言ってんの? あんた、わたしの素行を親にバラしたくせに! 許さないんだから! ねぇ、神父さま、この人すごい失礼なんですけど」
神谷によって月字教会に呼び出された早見沙織が、不機嫌そうに神谷の言葉を求めた。
「ごめんね。早見さんの安全はちゃんと確保するから」
「もう! 神父さままで!」
「以前の君と同じように悪魔に苦しめられているんだ、この人は。可哀想だと思うだろ?」
「うっさいわね! あんたは記事のネタが欲しいだけでしょ!」それにーーと沙織は続けた。「この杉田って人、悪魔を嫌がってないみたいだし。寧ろ自分で悪魔を呼んでるんでしょ? きっと余計なお世話よ」
悠一は“どうする?”という目線を神谷に送った。
「早見さん、本人が嫌がってるかどうかはそれほど関係ないんだ。この人の場合は周りの人に悪影響を及ぼす可能性もあるからね。それに、僕としては、悪魔がこの地域に潜んでるなんて我慢できない。だから、協力お願いできないかな?」
神谷の決意が固いことを悟ったらしく、うーん、と沙織は顎に人差し指を当てて考え込んだ。
「ーーこの人、悪魔を呼び出す方法をみんなに教えようとしているんだもんね。確かに、放っておくのは良くないよね。わかった! やってみる!」
悠一が関わっていることには納得がいかなかったようだか、沙織はが笑顔で了承した。
「早見さん、ありがとう。本当に助かるよ」
「神父さまには魂を救ってもらったんだもん。わたしもお返しができて嬉しいです」
「いやいや、実はあの時は悠一がーー」神谷が余計なことを話そうとしているのを悟って、悠一は大急ぎで言葉を被せた。あれ以来、沙織は神谷に心酔している。悪魔祓いが成功したと思わせてあげた方がいい。
「それじゃ早速だけど、先ずは捨てアドを作って、それでインスタのアカウントを作る。そのアカウントを通じて杉田に捨てアドを知らせてくれ。やつは用心深そうだから、君の過去の投稿を確認するだろう。身元を特定されないような写真をよく選んで載せておいて」
「あんたに指図されたくない」沙織はじっとりした視線で悠一に睨んだ。
「捨てアドレスを作って、それでインスタグラムのアカウントを作ってくれるかな。そのアカウントを通じて杉田さんに捨てアドを知らせて。アカウントには身元を特定されないような写真をよく選んで載せておいてね」と今度は神谷が同じ指示をする。
「はい、神父さま、わかりました♡」
「アカウント作成してすぐに連絡を取ると怪しいから、コンタクト開始は来週末にしよう」悠一がつけ足すと、チッ、と沙織は舌打ちする。
「アカウント作成してすぐに連絡を取ると怪しいから、コンタクトは来週末以降にしようね」
「はい、神父さま♡」
ーーかくして、杉田をおびき出す作戦が始動した。

数週間後、作戦決行の朝、悠一が月字教会に行くと、神父服でなくジーンズに黒シャツ姿の神谷が小型のバンを停めて待っていた。トヨタのハイエース、地味だが質実剛健な名車だ。古臭くて白いボディが愛らしい。
沙織はすでに中で待っていた。
「あんたが最後に来るなんておかしくない? 二時間前待機しなさいよ」と早速悪態をつく。
「はいはい」という生返事とともに悠一も後部座席に乗り込んだ。
「約束の30分前、そろそろ出発しよう」
神谷がエンジンをかけると、ハイエースは軽快に走り出した。
「神谷、なんでハイエースなんだ? もっと走りやすい車でもよかっただろう?」
車を用意することは悠一の指示だった。沙織が杉田の車に乗せられた場合に対抗するためだ。でも、車選びは神谷に一任されていた。
「安いし、もしものためだよ」
「もしもって、何だよ」
「後で話すよ」
約束の場所はららぽーと豊洲の敷地内にあるスターバックス。車を近くの路上に停めて、外から店内を覗く。約束10分前にして、杉田は奥の席で待っていた。椅子に浅く座り、飲み物にもほとんど手をつけていない様子で、どことなくそわそわしている。
「待ちきれないって感じね。気持ち悪い……」
沙織が顔をしかめた。
「怖かったたら止めておくか?」悠一が心配して言った。
「ううん。大丈夫」
沙織が明るい笑顔で答える。
「じゃあ、俺たちは先に入っているからな」と悠一が車を降り、神谷がそれに続く。
悠一と神谷は杉田のすぐそばの席に陣取った。警戒されてはいないだろうし、沙織との会話をよく聞き取りたかったからだ。
二人が席についたタイミングで、沙織が店内に入ってきた。そのまま杉田の待つ席へと歩いていく。
「杉田さんですよね。大原さやかです」
沙織は金回りの良さそうな杉田に興味を持っている女子高生、大原さやかというキャラクターで奴に近づいていた。インスタとメールのやり取りを見るに、杉田もそれを信じ込んでいるように思えた。
「は、はじめまして。杉田智和です」
杉田はキザったらしい作り笑いを浮かべている。
「写真の通り、かっこいい人でうれしいです」
「そ、そうかなーー。さやかもすごく可愛いよ」
馴れ馴れしく名前を呼び捨てにされて、自分が相手ならムカついて悪態をついてきそうなものだがーー。沙織はそんな表情は全く見せず演じ切っている。女って怖いな、と悠一は思った。
「杉田さんって悪魔さんを操れるんですよね。すごーい!」
「まあね。並大抵じゃ出来ないことだからね」
「わたし、見てみたいなぁ……」
「え? いいよ。見てみる? ちょうど今後の投資戦略を悪魔に聞きたいと思っていたところだから」
杉田は黄ばんだ歯を覗かせて笑ってはいるが、目だけは真剣そのものだ。沙織をどうにかしてやろうと思っているに違いない。それは男の悠一から見ても、嫌悪感を抱いてしまう表情だった。
「えーっ! いいんですかぁー? やったぁ、うれしい!」
「ち、ちょうど今日は仕事用にホテルの部屋を用意しているんだ。そこに行こうか?」
悠一はアイスコーヒーを吹きそうになった。こいついきなり過ぎだろ、神谷もそう思ったらしく、目を見開いて驚いている。
「どうしようかなぁー?」
迷う振りして、沙織は目線をさりげなく悠一たちに向けた。指示が欲しい、という合図だ。
これ以上は沙織の身に危険が及ぶ。悠一は、そろそろ割って入ろう、と神谷に視線で促した。しかし、神谷は首を横に振った。
「ホテルの個室なら、その場で悪魔を祓うことができるんじゃないかな」
「そんなに急がなくても、コイツを説得してから教会でもどこでも連れて行けばいいだろ?」
「見たところまだ憑依されていないようだけど、悪魔が取り憑いているわけだから、そんな説得に応じるとは限らないよ。僕たち二人がついてるから、早見さんは守りきれると思う」
神谷は頑なに続行を主張した。
沙織は笑顔を杉田に向けたまま、何度も悠一たちをちらちらと見ている。顔は笑っているが、目は明らかに「早く指示しろよ」と語っていた。
折れた悠一は杉田に見つからないように用心しながら、沙織に向かって微かにうなづいた。
「じゃあ、杉田さんっ、連れて行ってください!」
沙織は一際大きな声で言った。
「よ、よし。車を取ってくるから待ってて!」
杉田は大急ぎで店を出て行った。
沙織は手をひらひら降って杉田を見送った後、スマホを取り出した。すぐそばに座っている悠一からLINEが届いていた。
『車で後をつける。身の危険を感じたら、迷わずアレを使え』
沙織はスマホを打ちながら手をポケットに入れた。おそらく指先にスタンガンを確認したのだろう。
『あいつ、ホントきもい。今度、なんかおごってもらうからね』
悠一と神谷は店を出てハイエースに潜んだ。程なく杉田が車で戻って来て、沙織を乗せて走り出す。
「どこのホテルに行くつもりかな?」
神谷は見失うまいとハンドルを握っている。
「豊洲ららぽーとでの待合せは杉田の希望だったわけだから、そんなに遠くじゃないだろうな」
杉田の車は塩見方面に向かっていたが、すぐにコインパーキングに入っていった。
神谷は一旦コインパーキングを通り過ぎて、路上にハイエースを停めた。「適当なところに駐車したら追いかけるから場所を連絡して」
神谷を残して、悠一は二人を追った。
着いた先は駅前のアパホテルだった。
『あぱ』と手短に神谷に打って、悠一は急いでチェックインの手続きをする。キーが無いとエレベーターにも乗れないタイプのホテルだと、これ以上の追跡が出来なくなってしまう。スタバでも近くに座っていたから、隣でチェックインするのは尾行がバレても仕方ない行為だが、沙織の身の危険を考えるとやむを得ない。
杉田と悠一がカードキーを受け取ったのはほとんど同時だった。
三人が一緒にエレベーターに乗り込む。ちょうどその時、神谷がホテルに駆け込んできて、なんとか扉が閉まる前に滑り込んだ。我ながらあまりにも雑な尾行だな、と悠一は苦笑した。
杉田は悠一たちの様子を全く気にしていないようだ。沙織の肩に手を回し、終始彼女の顔を見つめてニヤついている。杉田に気づく気配がないので、思い切って悠一と神谷は彼らと同じフロアで降り、一定の距離を置いて追いかけていった。
杉田が部屋のカードキーを入れた瞬間に一気に距離を詰める。
「なんなんだ! あんたたちは!」
驚く杉田を部屋に押し込め、扉を閉める。
「いいから座ってください」と神谷が促した。
何が何だか理解していない杉田は怯えた表情でベッドに腰掛けた。それを三人で取り囲む。杉田は悠一と神谷の顔を何度も伺って落ち着きがない。
「こんな格好ですが、私は神父でエクソシストをしている神谷といいます」
神谷は相手を刺激しないように、ゆっくり諭すように話した。「早速ですが、杉田さん、あなたは悪魔に取り憑かれています」
突然のこととはいえ、紳士的な神谷の態度に、杉田は気を大きくしたらしい。
「何で神父が俺の名前を知っているんだ!」
「いやいや、あんたインスタもブログも本名でやってるだろ?」横から悠一が口を挟む。
「憑依はされていないようですが、悪魔と近しい関係にあるのは危険です。わたしに祓わせてもらえませんか?」
「さやかもグルなんだな! 払うって何だ? 俺は一銭も払わんぞ!」
「いい歳して見っともない、ちょっと落ち着いたら?」沙織が冷たい目で言い放った。
「このガキ! 大人に対してなんて口の利き方だ! 騙しやがって! ホテル代はお前らに払ってもらうからな!」
「もちろんホテル代はお支払いします。なのでお願いです。悪魔を祓わせてもらえませんか?」
「わかった! 悪魔を祓うとか何とか言って、俺から金をせしめる気なんだろ! そうは行くか! 騙されんぞ!」
「あーあ、馬鹿らしい。ベタベタ触られて気持ち悪いから、わたしシャワー浴びてくるね」沙織はバスルームに入っていった。
「わたしはカトリックの神父です。エクソシズムでお金をもらうようなことはしません。どうやら、あなたは数体の低級な悪魔に取り憑かれ生気を吸われているようです。このままだと取り返しのつかないことになりますよ」
「はあ? 適当なことを言うな。俺が悪魔を呼びつけて利用しているんだ。取り憑かれているわけじゃない」
言いながら目がチラチラとバスルームの扉に泳ぐ。余程、沙織のシャワーが気になるようだ。
嗚呼こいつ清々しいくらいにクズだな、と悠一は思った。
「とにかく俺は帰る! お前らのことは通報してやるからな!」
「通報してもらっても構いません。ただ悪魔を祓いたいのです。まだ、お帰りいただくわけにはいきません」
おいおい通報は困るだろ、と悠一は思ったが、今は口を出さないことにした。
「そんなに悪魔祓いをしたいなら金を払え。そしたら考えてやる」
「お支払いしてもいいですが、二度と悪魔を呼び出さない、他人にも勧めないと約束してもらえますか?」
神谷は金を払ってでも悪魔を祓いたいらしい。神谷を突き動かすのは、悪魔への嫌悪からか、それとも杉田のような人間にさえ愛を施そうつもりなのか。神谷の瞳の奥から読み取ろうとするも、わからない。
「俺は投資コンサルタントで食ってんだ。そんなことは約束できない」
「それでは困ります。悪魔を祓う意味がありません。どうかお願いします」
「話にならん!」
杉田は腕を組み黙り込んでしまった。
「どうする?」悠一は神谷に耳打ちした。
「納得してもらうまで粘るしかない、かな……」
ーー狭いホテルの一室に重い沈黙が充満する。
ガチャリとバスルームの扉が開いて、沙織が出てきた。
「何? まだやってんの?」と備え付けの冷蔵庫から水を取り出す。「みんなも飲む?」
「ああ、ありがとう」
「神父さまは座っていてください♡」
戸棚からコップを出そうとする神谷を止めて「あんた、手伝いなさいよ」と悠一に言いつける。
「ーーはいはい、わかったよ」
悠一が戸棚を覗き込んだ時ーー。
杉田が悠一たちを押し退け、外に猛然とダッシュした。
「ちょっと、何逃してしてるのよ!」
沙織の声を後にして、悠一と神谷が追いかける。ーーがどうしようもできない。追いついて無理矢理部屋に戻そうとしたところで、大声でも上げられたらお手上げだ。二人は廊下に立ち尽くすしかなかった。
「ーーどうする? いくら説得しても無理っぽかったから諦める?」
「いや、どうにかして、もう一度話がしたい。どうすればいいかな?」
「そうだな……、がめつい奴だったから、駐車料金だってケチるんじゃないか? コインパーキングに張るのがいいと思う」
「わかった。そうしよう」
二人は部屋に戻った。まず二手に分かれて、神谷は先にハイエースに戻り、悠一は沙織を豊洲駅に送っていくことにした。
しばらくして悠一がハイエースに乗り込んだ時、杉田はまだ姿を現していないようだった。
「まだ、みたいだな」
二人は杉田の車を眺めた。国内メーカーの赤いSUV、特に高級車でもない。金銭に対する執着といい、杉田は大して儲けているわけじゃなさそうだ。“悪魔の力を借りて投資”だとか奇抜なことを言い、金持ちのフリをして周りの興味を引きたい。そんなところだろう。
「どうして神谷はそんなにアイツの悪魔を祓いたいんだ?」
「そりゃ、それが僕の役目だからね」
「そういう、うわべの話じゃなくてさ。神谷の熱の入れようは、俺から見ると不自然だから。何か特別な理由でもあるのかと思って」
「別にーー。特別な理由なんて無いよ」
神谷はいつもの笑みを絶やさずに答えたが、悠一には一瞬だけ顔が強張ったようにも見えた。たとえ理由があったとしても、神谷が言いたくないのなら、今はたけど聞いても無駄だろう。悠一は自分の無遠慮な好奇心を押し留めた。
「そういえば、朝も聞いたけど、なんでハイエースなんだ? 軽とかでもよかっただろ?」
「もしも、杉田が悪魔祓いに応じなかった時のためーーまあ今がそうだけど……」神谷は些か躊躇い気味に続けた。「拉致しようかと思って……」
「え……。マジで?」
神谷がコクリコクリと頷く。「実は鞄に縛るためのロープとか入れてあるんだよ」
「マジかー……」
「どうして神谷はそんなにアイツの悪魔を祓いたいんだ?」というさっきの質問が喉元まで出かかったが、もう一度押し留めた。
「さすがに拉致はマズイだろ。目白の大司教は何て言ってるんだ?」
「杉田は医師の診察を受けたわけでもないし。今のところは僕の独断専行だよ」
ローマ教皇庁聖職者省が認可する国際エクソシスト協会は、エクソシズムの執行や司祭のエクソシズム参加するに司教の許可を求めている。また、エクソシズムの対象者は儀式の前に、医者の診断を受けなければいけないし、儀式にも医者が立ち会わなければならない。
「神谷さぁ、そういうことをしたら、杉田が騒ぎ立てた時に誰もお前を守らないぞ。俺だけじゃなくて早見沙織まで巻き込んでるんだから、よく考えろよ……」
「それはわかってるけど……」
悠一は閉口した。
ーー車内に重い空気が充満する。
「おい、見ろよ。杉田だ」
日付が変わる直前になって、杉田が車を取りに戻ってきた。もちろん、駐車料金をケチってのことだろう。
神谷はハイエースを発進させ、コインパーキング内の杉田の車の前に停めた。これで杉田は車を出せない。
二人は驚く杉田の前に立った。
「お願いします。どうかあなたの悪魔を祓わせてくださーー」
「しつこいな! あんたら! もういい! 警察を呼ぶからな!」
神谷が言い終わらない内に杉田が激昂した。このままじゃダメだ。悠一は咄嗟に口を出した。
「あんた、2016年2月から10カ月で株のリターンが300%ってブログに書いてたよな。T芝株だろ?」
「な、何を言い出すんだ」話題が変わったことに驚いてはいるが、杉田は悠一の言葉を否定していない。
「不祥事株を狙うなんて個人投資家の常套手段だから、別に悪魔の助言なんて必要ない。まあ、タイミングは絶妙だったかもしれないけど」
「ほら見ろ! やっぱり悪魔の力が必要なんだよ」杉田は勝ち誇ったように言った。
「今は株じゃなくてFXに注ぎ込んでいるらしいな」
「ふん! よく俺のブログを読んでいるじやないか」
「レバレッジは?」
「ればれっじ? なんだそれは?」
「証拠金取引なんだろ? レバレッジは何倍だ?」
「あ、ああ。証拠金かーー。確か……、千倍だったと思うが……」
「千倍? 真っ当な証券会社じゃないだろ……、それ」
レバレッジ千倍とは、例えばドルに百万円投資したとして、一円の値動きで利益や損失が一千万円レベルになるということだ。高レバレッジを認める国もあるが、日本ではレバレッジは25倍以下に規制されている。
「適当なことを言うな。ちゃんとした外資の証券会社だ」
たとえ外資であっても日本でビジネスをする以上は日本の規制を遵守する必要がある。金融当局の網の目をくぐり抜けたまともじゃない証券会社に違いない。ーーが、ややこしいので今はその論点は避けておく。
「あんたは騙されてるよ。投資詐欺と同じだ。初めは儲けさせておいて、気を大きくさせてから大勝負をさせている。ロングかショートかどっちでもいいけど、為替なんてプロでも一番難しいアセットだぞ? なんせ、為替に影響するイベントなんて腐るほどあるからな」
「俺は悪魔を操っているんだ。儲かるに決まってる!」
「そもそも、どうして悪魔があんたを儲けさせるんだ? 悪魔に何かメリットはあるのか? 儲けさせるかわりに生気を吸わせてやってるとか?」
「いや、俺はウィジャボードで儲かる方法を悪魔に聞いただけだ。別にそんな約束はしていない……」
「悪魔が何の強制も受けずに無償で人間のために働くことはありません。きっと彼の言うように、あなたを陥れる魂胆です。奴らは人間の絶望を好みますから」
神谷が「どうか考え直してください」と訴えた。
「そ、そうなのか……?」杉田は言葉を失った。
「まずはポジションをクローズして、神谷神父に悪魔を祓ってもらうんだな」
杉田が頭を抱えて座り込む。
「さすがは元専門家だね」と神谷が悠一に耳打ちした。
「別に。一般常識の範疇だよ」
一年前まで、悠一はとある外資系金融機関でデリバティブのトレーダーをしていた。昔の仕事がこんなところで役立つとはな、と肩をすくめる。
「杉田さん、今からウチの教会にいらしてください。早速、悪魔を祓いましょう」
神谷がしゃがんで杉田の肩に手をかけた。杉田から反応はない。
「……杉田さん?」
尚も杉田は沈黙を続けている。
「ーー悠一、車から鞄を取って」
神谷が杉田から目を離さずに言う。ただならぬ雰囲気に悠一は急いで鞄を持って駆け寄った。
神谷はロープを取り出すと、杉田の手足を縛り始めた。
「取り憑いていただけの悪魔たちが憑依を始めようとしている! 早く手伝って」
両手両足、両腕両脚を堅く縛り、猿ぐつわをはめる。
何も知らない人が見たら犯罪現場だろうな、否、実際に連れ去るわけだから犯罪か、そんなことを考えた。悠一は当惑しながらも冷静さを失わない質だ。幸い、杉田をハイエースに詰め込むまで、目撃されることはなかった。
それまで、じっとしていた杉田だが、車が走り出す頃になるとワナワナと体を揺らし始め、次第にガクガクと大きな痙攣になる。悠一が精一杯押さえつけるが、あまりに力が強く、歯が立たない。
「聖別されたロープだから簡単に逃がしたりしない。悠一は危険だから無理をしないで」
神谷はドライブモードで電話をかけた。相手は飛田医師だった。
「先生、今から月字教会に来てください」有無を言わせぬ口調で神谷が言う。
『え? 今からですか?』と飛田の寝ぼけた声が聞こえる。
「今からエクソシズムを行います。立会いをお願いします」
『あの……、私、明日も仕事なのですが……』
飛田の困った顔が目に浮かぶようだ。
「お願いします。もうすぐ教会に着きます」そう言って神谷は一方的に電話を切った。
ハイエースが月字教会の敷地に滑り込む。
悠一と神谷は縛られた杉田を抱え上げようとしたがーー無理だった。今はもう、痙攣というか、例えて言うなら、全身に巨大な海老が埋まってるかのような奇怪な動きをしている。二人はなんとか杉田を引きずって聖堂に入った。
「ちょっとなんなのよ、それーー」
聖堂には何故か早見沙織がいた。
どうしてここにいるんだよ、と尋ねている余裕はなかった。杉田を祭壇の前まで引きずると、悠一は車に戻って神谷の鞄を取ってきた。
神谷は鞄からガラスの小瓶ーー聖水を取り出し、大振りの十字架は口づけしてからチェーンを首にかけた。その顔はいつもの柔和な表情からかけ離れていて、強く堅い決意に満ちていた。厳かに祈りを捧げた後、のたうち回る杉田を責めた。
「大天使聖ミカエルよ。戦いにおいて私たちを護り、悪魔の凶悪な謀計に勝利させ給え。天主の彼に命を下し給わんことを伏して願い奉る。天軍の総帥よ、霊魂を損なわんとて世を徘徊するサタンと他の悪魔を、天主の御力にて永久に地獄に閉じ込め給え!」
「ぐぉあおおおおぉぉーー」と杉田がくぐもった呻き声をあげる。さっきまでの声とは違う、地の奥から湧き上がってくるような低い声。それが何重にも重なって聞こえる。
神谷が聖水を振りかけると、今度はそれが「ぎゃあああぉぁぁっ!」という壮絶な叫び声に変わった。
「この者から出て行きなさい!」
「さあーー」と神谷は続けた。「全知全能、万物を創造したる主の名においてもう一度命ずる、その者から出てゆけ!」
「ぉぉおおおぉぉんンッーー」
悪魔の断末魔が響き渡り、聖堂は真夜中の静けさを取り戻した。
悪魔祓いが成功したことを確認し杉田のロープを解いている間に飛田が到着した。すぐに介抱を受けるが、健康状態には問題ないようだった。

ーー片付けが終わり、早見や飛田とお茶をしていると杉田が目を覚ました。
「ここは何処だ?」
「月字教会です。あなたの悪魔は祓われました。もう大丈夫ですよ」神谷が微笑みながら暖かい緑茶を差し出す。
「そうか……」杉田はそれを受け取り、ずずっと啜った。「熱いーー」
「それじゃあ、私は失礼します」と飛田が立ち上がった。
「真夜中にお呼びたてして申し訳ありませんでした」
神谷が深々と頭を下げた。
「いや、まあ……ね。でも、他に医師のあてが無かったんでしょう? 仕方ないですよ」
「あの……またお願いしてもいいでしょうか?」
「そうですね……、出来れば事前に教えてください」
じゃあ、と飛田が教会を後にした。
「そういえば、何でお前がここにいたんだ?」
神谷と飛田のやり取りを見ていた沙織に悠一が聞いた。
「だって顛末が気になるでしょ? ここで待ってたら帰ってくるかなって」
「ならそろそろ帰れよ。親が心配してるぞ」
「うっさい。あんたに指図されたくない」
その時、黙っていた杉田が口を開いた。
「お前らーー神父もだけど、仲が良さそうだな」
「こいつと?」沙織の声のトーンが上がった。「全然仲良くないし嫌いだし。あ、神父さまは好きですよ♡」
「俺にはそうやって話せる相手はいないな。ウィジャボードの投資も辞めないといけないし。本当、俺には何にもないーー」
「何もないなんてことありませんよーー」神谷が何か言葉を繋げようとしていたが、沙織がそれを遮った。
「何もなくてもいいよ。何も怖くない。私ね、今、神さまを信じているの。前から信者なんだけど、本当に信じ始めたのは最近になってから。悪魔に取り憑かれてから」
杉田が驚き見開いた目で沙織を見た。
「私、自分のことが嫌いだったけど、今は好き。神さまが私のことを愛してくれるから、私も私のこと好きになったの。それに神さまにもっと愛されたいし、自分のことをもっと好きになりたいから、色々良くしようと思ってるの。たくさんいた彼氏も整理した。『汝、姦淫する勿れ』だっけ? 神さまが決めたルールだから守ろうと思って」
「俺は神なんて信じてない」
「悪魔は利用してたのに? それっておかしくない?」
「それは……まあ、おかしいな」杉田は自嘲気味に笑った。
「意識してみたら神さまの愛ってどこにでも満ちてるってわかる。あなたにもわかれば、もっと強くなれるのにね」そう信仰を語る姿は、悠一に悪態をつく沙織とはまるで別人のようだ。
「お前、こそばゆいことを平気で言うのな」からかう悠一を沙織はキッとら睨んだ。
「悠一、心を語るのは恥ずかしいことじゃないよ。早見さんは主の愛をちゃんと理解しているんだね」
神谷の言葉で沙織の表情が一気にほぐれる。
「せっかくの機会だから、わたし、神父さまの話が聞きたいな♡」
「それではまずは親御さんに連絡しましょう。皆さん、ゆっくりしていってください」
ーー空が白む頃まで語り、それぞれが眠い目を擦りながら帰って行った。

杉田の件が解決した数日後、神谷は告解室で人を待っていた。もちろん、相手は誰だかわからない。月字教会のアドレスに匿名のメールで懺悔をしたいという申出があったからだが、奇妙なことに聞き手として他の神父ではなく神谷を指定してきた。
約束の時間きっかりに、壁越しのすぐ隣に人が座る気配がした。
「神谷です。お話お伺いします」
「はじめまして、神谷神父。私はベルゼブブだ」
隣の男は確かにそう名乗った。しかし、神谷はその第1級の悪魔の名前よりも、声に反応した。
「神谷明!」
神谷は反射的に顔の高さにある小さな小窓のカーテンを開けた。
そこには少年時代の記憶のままの姿をした父がいた。
「当人の許可なく相手を見るのはご法度だろう?」
「どうして、お前がーー」神谷の手は戦慄でワナワナと震えている。
「ウコバクに聞いてな。ちょっと調べてみると、お前は本当に興味深い」
「お前と話すことなんて何もない!」
「おいおい、神父がそんなことを言っていいのか? まあ、私も今日はただの挨拶のつもりで来ただけだがな。それに、何か話が噛み合っていないようだ。ともかく会えて良かったよ。また顔を出そう」
そう言って、隣の男は立ち上がり告解室を出た。
「待て!」神谷もすぐさま出たが、そこは誰もいない無人の聖堂であった。
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