第1話 凌霄花の夢
文字数 2,000文字
橙色の凌霄花が、太陽の光を弾いている。
──あれは太陽の眷属なんだよ。
そう言ったのは父だったか。
──だから、絡んで絡んで立ち上がり、空を目指して紅炎 みたいな花を咲かせるんだ。
思い出すのは、懐かしい声。
真夏の空が眩しくて、俺はつい眼を眇める。
かつて父と母と双子の弟と暮らした家には、小さな庭に不似合いなほど大きな凌霄花の木があった。冬は葉を落とし、夏になればまた濃緑に葉を繁らせて色鮮やかな花をつける。
そのさまは、明るい夏の光を一身に浴びているというのに、いつもどこか小暗いように感じられたものだった。
「……」
かすかな風に目の前の花が揺れる。陽を影に、いくつもの炎が揺らいでいるようだ……そういえばあの時、母は何と言ったっけ──。
「鬼火みたいですね」
突然背後から声が聞こえて、俺は飛び上がりそうになる。
「真久部さん……びっくりしましたよ」
そこには何でも屋である俺の顧客、古道具屋慈恩堂の店主が立っていた。エコバッグ代わりか、不格好に膨らんだ風呂敷包みを片手にぶら下げている。
「どうしたんです、こんなところに突っ立って」
「いや……、凌霄花が……」
凌霄花が、何だっていうんだ? 自分でも分からない。
「鬼火みたいねって、母も。あの、花が……」
支離滅裂に言葉を紡ごうとすると、雲に隠れて少し翳った陽射しが戻る。なんて、眩しい──凌霄花の濃緑の闇が、さらに昏くさざめいて……。
「何でも屋さん」
ひんやりとした手が俺の腕を掴んだ。
「……え?」
振り返ると、真久部さんがすぐ近くまで来ていた。掴まれた手が痛い。
「ダメですよ、そっちに行っちゃ」
訳も分からず手を引かれるまま足を踏み出すと、バシッと背中を叩かれた。
「真久部さん……」
いきなりのことに、声には非難が含まれていたと思う。なのに、聡いはずの人が知らぬふりで提案してくる。
「そこのコンビニで買ってきたんだけど、きみも一緒にどう?」
つい買い過ぎて、と見せてくれた包みの中には、段重ねになった高級カップアイス。
「……リッチですね、って、溶けちゃいませんか?」
コンビニでは、ドライアイスなんて入れてくれないよな。
「一個だけならね。たくさんあるから大丈夫」
特にカチカチに凍ってるのを選んできたから、とにっこり笑う真久部さん──。ふと気づくと、俺は店主と共に慈恩堂に向かって歩き出していた。
「一人で食べきれないし。時間、大丈夫でしょ?」
「はぁ……」
昼飯食べに帰ろうとしてたところだし。
「暑いねぇ」
「ええ。梅雨明けてから、雨もあんまり降らないし──」
「雨……そういえば、宇宙にも雨が降るんだよ。知ってる?」
「えーっと……流星雨?」
「あれって彗星が砕けた塵なんだって。星の欠片。地球に落ちれば流星雨だけど、残りはそのままどこかへ飛び続けるらしいよ。まるで通り雨みたいじゃない?」
もしその先に宇宙船みたいなものがあったら、ぶつかって穴が開くかもだけどね、と悪戯っぽく笑う。
「星に降るか、降らずにそのまま飛んで行くか──ただの塵なのに、そんなふうに考えるとロマンがあるよね」
「でも、孤独ですね……」
宇宙って、真っ暗で何も無いっていうイメージがある。そこをずっと、もしかしたら永遠に飛び続けるのかと思うと、とても寂しい気持ちになる。
「──遠い宇宙を行くと、鬼火が見えてくるというよ」
「鬼火……?」
「それは赤色巨星といって、太陽の成れの果てらしい。闇に燃えるさまが、まるで鬼火のようだと。飛び続ける星の欠片にもし心があるなら、それはどんなふうに見えると思う?」
訊ねられ、考えてみる。
「とても……魅力的に見えるかも 」
何も無い真っ暗な空間に、忽然と現れる灯──鬼火。孤独で、寂しくて……たとえそれが恐ろしいものだとしても、ふらふら吸い寄せられるかもしれない──。
「それだよ」
「へ?」
「孤独で寂しい心につけ込むんだよ、アレは。気をつけないと取り込まれてしまう。きみはたまに危なっかしいね、何でも屋さん」
それだけ言って、真久部さんはどんどん先に歩いていく。
何のことだろう? 鬼火……さっきの凌霄花のこと……? そうだ、濃緑の葉が暗い空のようで、そこにたくさんの鬼火が燃えて……。
「何でも屋さん!」
「……え?」
「ダメだよ、あんまり考えちゃ。ほら、早く来ないと溶けちゃう!」
重たげに振られる風呂敷包み。
「あ!」
お高いアイスが溶けちゃう? それは困る!
俺は慌てて真久部さんを追いかけた。
──何か心配してくれてるみたいだけど、俺なんて高級アイスひとつでこんなに簡単に釣られちゃうんだから。
だから、きっと大丈夫だよ、真久部さん。
──あれは太陽の眷属なんだよ。
そう言ったのは父だったか。
──だから、絡んで絡んで立ち上がり、空を目指して
思い出すのは、懐かしい声。
真夏の空が眩しくて、俺はつい眼を眇める。
かつて父と母と双子の弟と暮らした家には、小さな庭に不似合いなほど大きな凌霄花の木があった。冬は葉を落とし、夏になればまた濃緑に葉を繁らせて色鮮やかな花をつける。
そのさまは、明るい夏の光を一身に浴びているというのに、いつもどこか小暗いように感じられたものだった。
「……」
かすかな風に目の前の花が揺れる。陽を影に、いくつもの炎が揺らいでいるようだ……そういえばあの時、母は何と言ったっけ──。
「鬼火みたいですね」
突然背後から声が聞こえて、俺は飛び上がりそうになる。
「真久部さん……びっくりしましたよ」
そこには何でも屋である俺の顧客、古道具屋慈恩堂の店主が立っていた。エコバッグ代わりか、不格好に膨らんだ風呂敷包みを片手にぶら下げている。
「どうしたんです、こんなところに突っ立って」
「いや……、凌霄花が……」
凌霄花が、何だっていうんだ? 自分でも分からない。
「鬼火みたいねって、母も。あの、花が……」
支離滅裂に言葉を紡ごうとすると、雲に隠れて少し翳った陽射しが戻る。なんて、眩しい──凌霄花の濃緑の闇が、さらに昏くさざめいて……。
「何でも屋さん」
ひんやりとした手が俺の腕を掴んだ。
「……え?」
振り返ると、真久部さんがすぐ近くまで来ていた。掴まれた手が痛い。
「ダメですよ、そっちに行っちゃ」
訳も分からず手を引かれるまま足を踏み出すと、バシッと背中を叩かれた。
「真久部さん……」
いきなりのことに、声には非難が含まれていたと思う。なのに、聡いはずの人が知らぬふりで提案してくる。
「そこのコンビニで買ってきたんだけど、きみも一緒にどう?」
つい買い過ぎて、と見せてくれた包みの中には、段重ねになった高級カップアイス。
「……リッチですね、って、溶けちゃいませんか?」
コンビニでは、ドライアイスなんて入れてくれないよな。
「一個だけならね。たくさんあるから大丈夫」
特にカチカチに凍ってるのを選んできたから、とにっこり笑う真久部さん──。ふと気づくと、俺は店主と共に慈恩堂に向かって歩き出していた。
「一人で食べきれないし。時間、大丈夫でしょ?」
「はぁ……」
昼飯食べに帰ろうとしてたところだし。
「暑いねぇ」
「ええ。梅雨明けてから、雨もあんまり降らないし──」
「雨……そういえば、宇宙にも雨が降るんだよ。知ってる?」
「えーっと……流星雨?」
「あれって彗星が砕けた塵なんだって。星の欠片。地球に落ちれば流星雨だけど、残りはそのままどこかへ飛び続けるらしいよ。まるで通り雨みたいじゃない?」
もしその先に宇宙船みたいなものがあったら、ぶつかって穴が開くかもだけどね、と悪戯っぽく笑う。
「星に降るか、降らずにそのまま飛んで行くか──ただの塵なのに、そんなふうに考えるとロマンがあるよね」
「でも、孤独ですね……」
宇宙って、真っ暗で何も無いっていうイメージがある。そこをずっと、もしかしたら永遠に飛び続けるのかと思うと、とても寂しい気持ちになる。
「──遠い宇宙を行くと、鬼火が見えてくるというよ」
「鬼火……?」
「それは赤色巨星といって、太陽の成れの果てらしい。闇に燃えるさまが、まるで鬼火のようだと。飛び続ける星の欠片にもし心があるなら、それはどんなふうに見えると思う?」
訊ねられ、考えてみる。
「とても……魅力的に見えるかも 」
何も無い真っ暗な空間に、忽然と現れる灯──鬼火。孤独で、寂しくて……たとえそれが恐ろしいものだとしても、ふらふら吸い寄せられるかもしれない──。
「それだよ」
「へ?」
「孤独で寂しい心につけ込むんだよ、アレは。気をつけないと取り込まれてしまう。きみはたまに危なっかしいね、何でも屋さん」
それだけ言って、真久部さんはどんどん先に歩いていく。
何のことだろう? 鬼火……さっきの凌霄花のこと……? そうだ、濃緑の葉が暗い空のようで、そこにたくさんの鬼火が燃えて……。
「何でも屋さん!」
「……え?」
「ダメだよ、あんまり考えちゃ。ほら、早く来ないと溶けちゃう!」
重たげに振られる風呂敷包み。
「あ!」
お高いアイスが溶けちゃう? それは困る!
俺は慌てて真久部さんを追いかけた。
──何か心配してくれてるみたいだけど、俺なんて高級アイスひとつでこんなに簡単に釣られちゃうんだから。
だから、きっと大丈夫だよ、真久部さん。