『雷鳥は頂をめざす』①

文字数 2,562文字

 それは、残雪が日本アルプスや常念岳の山肌に残る、とある日だった。
 数ヶ月後に、全国に発せられるコトになる新型ウィルスの感染拡大防止自粛が起こり。
 Jリーグの年内開催が危ぶまれる事態にまで発展する世界の激変にまで発展するとは……2020年の新年には、今年のJリーグ開催を心待ちにして期待していた各チームのサポとファンの誰もが想像していなかった。

 数ヶ月前までは、期待と希望に溢れていた平凡な日々が、このまま続いて。
 普通にリーグ開催が行われると信じていたあの日──目に見えないほど、ちっぽけなヤツらが人間の愚かしさを嘲笑うかのように脅威の存在となった──あの日。

 まだこの時、自粛臨時休業になっていなかった『喫茶山雅』の店内で、わたしはブレンドコーヒーの風味を楽しんでいた。
 松本山雅のチーム名の由来となった、駅前にあったと言われる喫茶店『山雅』は、世代的に行ったコトは無かったから知らなかったが。
 ここ松本城からほど近い横道通り、みどり町にチーム創立50周年の記念プロジェクトとして復活した『喫茶山雅』で飲む一杯のコーヒーは、自分の憩いの場になっていた。

 コーヒーの風味を味わいながら、喫茶山雅の店内を眺めるわたしの心は思い出へと……望むJリーグの再開、山雅のホームスタジアム『サンプロアルウィン』へと飛ぶ。

(そう言えば、あの時だったな……初めて松本山雅の名を知ったのは。まさか、あの時に知った地元の母体企業を持たない市民チームが、本気でJリーグ参入を目指していて。J1初昇格パレードとJ2初優勝パレードの二回もパレードを松本市内で見れるコトになるとは……思ってもみなかった)

 わたしとテーブルを挟んで向かい合った席に、幻で若い女性記者がメモとレコーダーで取材をはじめたのが見えた。
 幻の女性記者が、わたしに質問する。
「松本山雅について、少しお話し聞かせてもらえませんか? お店の人に聞いたら、あなたがそれなりに古くから山雅を見てきた人だと聞いたので……取材を」
 店内には、お客はわたし一人しかいなかった。
「わたしも、そんなにくわしくは知りませんよ……いまだに、それほどサッカーのルールが分からないまま、観戦を楽しんでいるくらいですから──その昔、山雅のユニフォームが『山雅』じゃなくて『山稚』って誤プリントされてしまったコトがあったらしいのは山雅の笑い話みたいな逸話として知っていますが。その程度の知識ですよ」

「あたしも、それほど年々変化するサッカーのルールにくわしくありませんから大丈夫です……マニア的に詳しい人じゃないと、観戦してはいけないんですか?スタジアム観戦の熱気や雰囲気を楽しみにスタジアムに足を運び、チームを応援する……そういった人たちが地元チームの支えになると思っています」
 わたしは幻の女性記者の言葉に苦笑しながら、コーヒーカップを口に運ぶ。
「会話の内容に記憶違いもあるかも知れませんよ……思い出ですから、それほど確実な年度や月日は伝えられないです」
「今はネットで検索して修正できますから」
「そういうコトでよかったら」 

 わたしは、店内に飾られている山雅のポスターを眺めながら、幻の女性記者に語りはじめた。
「わたしが最初に山雅の試合を、アルウィンで観たのは……北信越の地域リーグだったか、その先のJFLに昇格後のリーグ戦だったのか……もう定かではありませんが……入場料が無料でしたから地域リーグの時かも?」

 晴天のその日、わたしは松本平広域公園内のサッカー場〔現・サンプロアルウィン〕近くの芝生で開催されていた。
フリーマーケットを散策していた、特に買いたいモノがあったわけではなく。
 ブラブラとヒマ潰しでフリマを見て歩いていた、わたしは一枚の配られていた紙を手渡された。
 ワラ半紙のような粗末な紙にコピーされていたのは、地元サッカーチームの無料試合開催の告示だった。
「○○時から『松本山雅FC』の試合がありますから、観ていってください……無料です」

 その紙を見た、わたしの反応は。
(『松本山雅』? アルウィン? ふ~ん、地元にもそんなサッカーチームがあるんだ? ちょっと観てみるか)
 その程度の反応だった。
 プロ野球好きな父親に反感を常に覚えていて、野球よりもサッカーの方に興味が向いていた。わたしが、その時に初めて松本山雅の試合を見た──そこから週末の楽しみに、アルウィンでの山雅の試合観戦が加わった。

「今みたいに携帯電話で気軽にインターネットで、情報収集できなかった時代ですからね……試合があるたびに、ちょくちょくスタジアムに足を運んでは次回のホーム戦情報を入手するしか方法が無かった時代です──その時の応援者や観戦者の人数は百人に届いていなかったんじゃないかな?」

「確か、2009年10月11日の天皇杯二回戦で。地域リーグだった山雅はJ1のチームに2ー0で勝利して、ジャイアントキリングってメディアで騒がれましたよね」
「今は逆に天皇杯でジャイキリを狙われる立場側ですけれどね──だとすると、その頃だったのかな? 南ゴール裏にいつものお気楽な感じで行ったら、百人を越えていた時があって……ビビったから」
 わたしは、あるコトを思い出して含み笑いをした。
「なんですか? ニヤニヤしちゃって」
「いや、失礼……昔、山雅に所属していた選手のチャットに振り付けが誕生した瞬間を目撃したのを思い出したので」
「チャットに振り付けが誕生した瞬間ですか? 少しくわしく」
「まだ、南ゴール裏が人で埋め尽くされていなかった頃──ある選手のチャットが行われた合間に、ゴール裏の前方にいた数名の女性グループが、なにやら振り付けのような手の動きの相談をしているのを見ました……そのアクションが毎試合で少しづつ広まっていって、最後には南ゴール裏全体が手の動きで揺れるようになりました『今日もゴール決めちゃって♪』そんな歌詞のチャントでした」
 松本山雅は市民が作り、サポやファンで育て一緒に歩んでいく地元のサッカーチーム。
 悩みも試行錯誤も、一喜一憂も。
 ホームに創意工夫で人を楽しませるコトが、山雅に人を惹きつける魅力となる。
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