大樹の下で

文字数 925文字

信仰には答えがない。

一つの幹から枝葉が生えていくかのように、
いろいろな考え方があって、
とらえ方があって、
かたちがあって。

見上げてみればいつの間にか、本当に大きな大樹になっていたのだろうと思う。そして、その木をどのように思うかも人それぞれだ。

私は、その大樹を見て、「いきもののありのまま」というものを感じた。

けれど、その木を見て色々な実りを与えてくれるものだと思う人もいれば。切り倒して素材にするべきだと思う人もいれば。その樹を写真に収めてSNSで広めたいと思う人もいる。

バイブルとは、大木のような存在だ。

そうして、これからも更に大きく、大きく育っていく。神様とは、信仰とは、どのような有り様だと考えるかは人それぞれだ。

この信仰という樹に何という名前を付けようか。それを考えるには、大樹はあまりに大きすぎて、見上げているだけでなんだか首が疲れてきてしまった。

私はその大樹の下に腰を掛けた。そよそよと、まるで疲れた私を包み込むように、ぬくもりが混ざった風がびゅう、と一つ吹いてきた。

そんな自然の中で過ごしていると、色々なことを考える心の余裕が生まれてくる。

自分が本当にしたいことは何か。
自分が歩んでいきたい道はどんなものか。
自分が辿り着きたいゴールはどんな場所か。

信仰とは枝葉のようなもので、それを見てどう感じるかは人それぞれ。けれど、自然というバイブルは誰も拒むことはない。

あるがままに、全てを受け入れて、ただ、そこに人がやってくるのを待っているかのように、生い茂り続けているのだ。

そうして、ふと疲れた時にふらりとここにやってきて腰を据えてみれば、皆が何かしらの考えをぼんやりと抱く。

信仰とは、聖書とは、そのような存在なんだろう。もし疲れた時は、そんな大樹の傍でゆったりと休みたい。休んだうえで、いろいろなことを考えてみたい。

そうして、浮かんだ考えがきっと、バイブルの示す道なんだろう。

信仰には、答えはない。神様がどんな姿をしていると考えるかは、人それぞれだ。

今日も私は仕事に出かける。
土日が来れば好きなことをする。

けれど、疲れた時や、悩んだ時には。あの森の中の大樹に手を振って、会いに行きたいと。

そうして、意味もなく考え事をしたいと。
そう思っている。
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