第1話

文字数 1,948文字

 付き合ってから、暫く経った時だった。
 香織は、会社の仕事で、イラストを描かないといけなくなっていた。
 しかし、だった。
 香織は、学生時代から、唯一、イラストを描くのは、苦手だった。そして、美術の成績が悪かった。さらに、絵が苦手だから、イラストを描くのが、上手な同級生に対して、コンプレックスを抱いていた。
 それは、辛い話だったと言える。
 例えば、学校の文化祭では、みんなでイラストを描くとなっても、香織は、できなかった。香織は、確かに、運動は得意で、200m走を走るのは得意だし、ソフトボールも好きだし、水泳も得意だが、イラストを描くのは、苦手だった。
 イラストを描くことで、甘い思いをしたことはなかった。
「ああ、嫌だ」
 と香織は、感じた。
 イラストを描くのは、辛い作業に近いと思った。
 香織にとってみたら、絵を描くのが得意な人間は、羨ましいが、一方で「絵を描くのは苦手」と言うのが、怖かった。
 それは、単純な理由だが、「藤木さんって、絵を描くのが苦手」と相手に印象を与えるのが、怖かった。それで、馬鹿にされるのが、怖くて、臆病になっていた。
 そして、それは、香織にとってみたら、人生最大の罰ゲームに違いなかった。
 学校では、絵を描かなくて済んだのだが、社会に出たらそうは行かなかった。
「ああ、ヒロタカも、絵を描くのは苦手だろうな」
 と勝手に、香織は、決めつけていた。
 そして、はぁ~とため息をついていた。
 一方、ヒロタカは、どこか、憂鬱そうにため息をついている香織が「どうなっているのか」と少し、心配になってきた。
 いつもヒロタカに向かって、強気な発言や態度をしている彼女が、そんな態度ではないから、と妙な気持ちになってきた。
「どうしたの?」
「いや、少し、憂鬱な気持ちになって」
「どうして?」
「いや、商品のイラストを描けってなって」
「イラストを描くのは苦手?」
「そう」
「オレ、学生時代、漫画研究会にいたから、イラストなら描くことができるよ」
 と、ヒロタカは、言った。
 ヒロタカは、学生時代、漫画研究会にいた。理由は、漫画家になりたいと思っていた。しかし、漫画家になった先輩から「お前は、漫画家になれない」と言われて凹んだから。そして、デザイナーになりたいとかイラストレーターになりたいとか思ったが、デザイン会社でも採用されなくて、今の会社に採用された。
 だから、漫画研究会にいたのは、辛い思い出だったのが、今では、甘い思い出になりつつあると、ヒロタカは、感じた。
「今日、夜、パソコンのメールで、相談するよ」
 と、ヒロタカは、言った。
 夜通し、ヒロタカは、香織と二人で、イラストについて話をした。
 ズームを使って、話をした。
 いや、香織は、この件で、泣きそうになっていたが、こんな時、ヒロタカを友人にもって良かったと思った。
 確かに、ヒロタカは、気が弱くて、不器用な男だったと思う。
 そして、明け方になって、商品のイラストが、完成をした。
 香織は、ヒロタカに、こうLINEを送った。
「今日は、ありがとう。(^▽^)/」
 と送信をした。
 そして、商品のイラストの期限に間に合った。
 良かったと思った。
 朝、香織は、出勤をしていたが、ヒロタカは、出勤をしていなかった。
「あれ?」
 と香織は、思った。
 が、後から、会社の他の同僚が
「大川さん、熱が38度まで出て、歩くことができなくて、一週間、休みます」と連絡が来た。
 香織は、ヒロタカが、まさか、と思った。
 そして、香織は、自分が、あんな無理をさせたからではないかと思った。
 香織は、心配になった。
 ヒロタカが、いないと辛いと思った。
 香織は、ヒロタカに、LINEを再び、送信した。
「大丈夫?」
 と言った。
「うん、大丈夫」
 と言った。
 だが、香織は、ヒロタカが、いないと辛いと思った。
 そうだ、と。
 香織は、そのまま、ヒロタカのハイツへ向かった。
 気持ちとして、心配になっていた。
 だが、仕事が終わって、そのまま向かった。
 ハイツのドアを開けたら、ヒロタカは、無精ひげの顔で、パジャマ姿で出てきた。香織は、慌てて、ヒロタカのために、雑炊を作った。
「うまい」
「そう?」
「うん」
「今まで、ごめんね」
「いや、良いって」
 香織は、少し、ほっとした。
 ヒロタカが、いないのは、辛いと思った。
 しかし、今は、目の前にヒロタカが、いて、良かったように思った。
 その日は、香織は、ヒロタカのハイツに泊まった。
 その後、しばらくして、香織は、会社の仕事を辞めた。
 そして、ヒロタカの街にあるスーパーマーケットのレジの仕事を始めた。
 香織は、家計が辛いものもあったが、それでも、ヒロタカといたら、甘く感じることもあったらしい。
 そして、暫くして、結婚して夫婦になった。
 
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