第1話

文字数 1,534文字

「マコトさん郵便きてるよ」
「後で読むからどこかその辺にでも置いといて」
「披露宴の招待状みたいだけど、早く返事出した方がいいんじゃない?」
「今日はもう遅いし、どうせ返信するのは明日になるから慌てて読んでも変わらないよ。それに今から優斗をお風呂に入れるところだし」
「久恵さんからだけど、気にならない?」
「久恵から?」
 思わず声が裏返った。しまったと思ったが時すでに遅し。我が伴侶(はんりょ)は意地悪な視線を投げかける。
「ほほう、さてはまだ元カノさんに未練があるのかな?」
「勘弁してよ。もうこっちは結婚して子供もいるっていうのに。それに向こうは新婚さんだよ。何を想像しているのか知らないけど、間違いなんて起きないよ」
「分かってるって、信じてるよ。ちょっとからかってみただけだよ。マコトさんはすぐに本気にするから面白いよね」
 久恵にも同じようなことを言われたことがある。全く迷惑な話だ。
「優斗のことはこっちでやっておくからさ、マコトさんは早いとこ返事書いちゃいなよ。さぁ優斗ちゃんお風呂行ってキレイキレイしましょうねー」
 そう言って優斗を抱き上げ、浴室に向かって歩いて行く。
「それでは、邪魔者は退散いたしまーす。どうぞ、ごゆるりと」
 チクリと刺さる言葉を残し部屋を出て行った。
「まったく」
 思わず深いため息が漏れた。こうもからかわれるのが、生まれ持ってのものだとするなら、母はよくよく面倒な体質に産んでくれたものである。
 (おもむろ)に封筒を取り上げ、中をあらためる。そこに入っていたのは返信用のハガキと二通の便箋だった。一通はプリンターで印刷された時候の挨拶から始まる無機質な定型文が並んでいた。

この度、私 鈴木(旧姓)久恵は結婚する運びとなりました。そこでささやかではございますが、披露宴を執り行いいたしますので、ご多忙とは思いますが是非ご夫婦でご参加していただきたいと存じます。

 もう一通は万年筆で綴られた手書きの文章だった。

マコト、お久しぶり!こうやって連絡するのはマコトの披露宴以来だよね。突然の結婚報告にびっくりしちゃったかな?そうです、なんと私にもステキな出会いがありました。本当に人生ってわからないものね。あれからマコトとは疎遠になっちゃったけど、これを機に家族ぐるみのお付き合いができたら素敵なんじゃないかななんて思ってます。あ、勿論そっちが迷惑じゃなければね。
話したいことがいっぱいありすぎて書ききれないから、また落ち着いたらゆっくりお話したいな。披露宴絶対来てね。また会えること楽しみにしているからね。では、当日披露宴で。
キューちゃん改め、木村 久恵より

「キューちゃんか」
 その呼び名に思わず懐かしさが込み上げる。

「私のことはキューちゃんと呼んで」
 そう言われたのは久恵に告白した日だったっけ。恥ずかしくて人前でそんな呼び方はできなかったけど、もうそう呼ぶことはできないなと思うと一抹の寂しさのような感情がこみあげた。
 久恵は人生で初めてできた彼女で、将来を約束した女性でもあった。渋谷に引っ越して幸せな家庭を作るのが二人の夢だった。でも結局その夢は叶うことなく、こうして今の生活がある。
 いや違う。二人で幸せになる道ではなく、自分だけが幸せになる未来を選択したんだ。女性にとって最も輝かしい二十代の半分を奪った挙句に捨てるという行為がどれほど残酷なことかは勿論分かっている。罪悪感はあった。恵まれた今の生活に幸せを感じる一方で久恵に対する罪の意識を忘れた事はない。
 でも、久恵から届いた招待状と、そこから伝わる当時と変わらない彼女の言葉使いから、どこか(ゆる)された気持ちになった。
 温かみのある久恵の字を見ていたら、二人で夢に向かって歩んできた日々が色鮮やかに脳裏を駆け巡った。
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