第1話

文字数 1,756文字

 そこは窓際に席があるコンビニだった。コンビニで購入した食べ物をすぐその場で食べられる場所。男がいつもの飲み物を二人分購入して席に座ったとたん女がしゃべりだした。
「わたし、東京に行こうと思ってるんだぁ」
 そうだった。女はことあるごとに女優になる夢を語っていた。女優になるには、この小さな町にいてはなれそうにもない。
「だから東京の大学に弟も行ってるし、住むところとかきいてチャレンジしてみようかと」
「仕事はどうすんの?」
「もう辞めたし」
 彼女はスーパーでレジ打ちをしている、はずだった。
「もう辞めたの?」ため息がでた。
「そう。思いきって。だから、ね」
「ね、って?」
「だからあなたとも会えなくなるなと思って」
「でも電話やインターネットあるし、半日かけりゃ東京にも行けるよ」
「とにかく夢に集中したいの」
 悲しかった。淋しかった。なにも別れなくてもいいものを。
「でも女優になる夢をいつまでも追いかけるつもりはないの。三年でだめだったら、この町に帰ってこようと思うの。そうしたらまた会ってくれない?」
 なんとも彼女にとって都合のいい話だったが、まだ別れたくもなく、受け入れるしかなかった。
「わかった。いいよ」
「だったら三年後の今日、午後五時にこのコンビニで」
 それは桜にはまだ少し早い肌寒い季節のことだった。

 男はその約束を忘れはしなかった。そのように別れ、彼女のスマホとは早々に不通となった。すべてをリセットする彼女らしいやりかたと言えた。男は普通にその町でサラリーマンを続けた。彼女が女優になったという情報はえられなかった。もちろん芸名をつけているだろうから顔写真や出身地をチェックするのはおこたりなかった。でも、音沙汰がなかった。どうしているのか心配な反面、彼女のことだから元気にやっているのだろうと思っていた。
 そのようにして、あっというまに三年間という月日は過ぎた。男は忘れてはいなかった。
彼女のことはひとまず置いといて別の女性になびいたときもあった。でも彼女のことは忘れられなかった。
 男はその日、そのコンビニに現れた。そのコンビニはつぶれもせず、まるで三年前のようにそのままあった。なつかしくて涙がでそうになった。男はいつもの飲み物を購入して、いつもの席に座った。そこから道行く人々が見れる。彼女がいつ現れるかドキドキしながら待った。でも彼女は現れなかった。日がどっぷり暮れて夜になり、行き交う人々の流れも途絶えていっている。ダメか……。すでに何度も、いや何十回と腕時計を確認している。
すでに夜の十時も回った。このコンビニで食事をすませトイレに行き、いろいろな飲み物も飲んだ。十二時まで待とう。それで来なかったら帰ろう。男の心はすでに残念感に包まれていた。あとはいかに彼女のことをあきらめるかだった。刻々と時計の針は過ぎていき、道ゆく人も目をこらすまでもなく人通りがなかった。もはや万事休す。あと数分の残すのみだった。飲み物のゴミをゴミ箱に捨てた。
 すると横断歩道の向こうに信号で止まっている男女がいた。もしやと思い、目を凝らす。
信号が青になると小走りしだした。ひょっとして……。あっ、と思った。女性は見慣れた彼女だった。三年たってもわかる変わらなさ。
でも横の男には見覚えがなかった。二人は息をきらしてコンビニに入ってきた。
「あ、ひさしぶり~」
 こちらは待ち遠しなのに軽いテンション。
横の男もこちらを見ている。その男はどこか彼女に似ていた。
「ほら、やっぱりいたじゃん」その男が言う。
「あ、これ、わたしの弟。わたしが約束してなかったかって言うもんだから急いで来たの。まにあってよかった~」
「なにか飲む?」
 二人に飲み物を買ってあげた。
 三人、窓際席に腰を下ろし、彼女は語る。
「わたし、女優に向いてないとわかって、一年で帰ってきたの。だってセリフおぼえられないだもん。で、またこの町でレジ打ちやってたの。そのうちあなたにも会うと思ってたんだけど。案外会わないものね。それで弟がたまたま休みで実家に帰っていて、姉貴約束してなかったかって言うから。あ、そうだった、と思って。急いで来たの」
 とりあえず来てくれて良かった。
 それだけだった。
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